馬糞風リターンズ

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愛知県挙母市をご存知か?つづき

2014年01月20日 | 地名・地誌
挙母市から豊田市に改名した同市は、TOYOTAの企業城下町として大発展を続けています。誠にご同慶の至りです。 愛知県北部に西加茂郡小原村というところがありました。今でも昔話に出てきそうな山里です。桜の名所で豆腐が美味しい静かな所です。その小原村でも一番人里離れた山合に「山はげ」という1日1組限定、完全予約制の天麩羅料理屋があります。ここのオーナーは大学の同級生で1年半ほど同じ下宿の仲間です。この男は学生時代からスタンドバーの経営を任され大変な人気店にし、その後は自分で経営をするようになりました。学校は6~7年かかって卒業したと思いますが、卒業後名古屋に戻り食堂を創めてやがて「とんかつ屋」などの経営を拡大して10店舗近いチェーン店の大社長にまでなり成功を収めました。
5~6年前、同じ下宿の同級生とこの「山はげ」に遊びに行きました。相変わらず酒好きでギターが上手く、今でも客と一緒にギター片手に「歌声喫茶」をやらかすそうです。とんかつ屋も順調だったそうですが60歳を区切りにこの小原村に引きこもっての「田舎暮らし」を夫婦で楽しんでいるのだそうです。1日1組限定の「天麩羅店」は、生活のリズムと年金代わりの小遣い稼ぎなのだそうです。  普通は宿泊はありませんが、我々は「泊まっていけよ」とのことで久しぶりに下宿時代のように枕を並べて雑魚寝をしました。次の朝、小鳥の鳴声で目覚めるという爽やかな体験をしました。 今年は「喜寿」の同窓会が予定されているので名簿を整理していると彼の住所が「田舎暮らし」の場所としては相応しくない大都会・豊田市となっています。転居でもしたのかとよくよく見ると「愛知県豊田市小原北町」。何と「西加茂郡小原村」という如何にもド田舎らしい地名が平成の大合併とかで「豊田市」に組み込まれてしまったのです。それはないやろ!・・・・・。
1000年以上続いた律令制を踏襲してきた日本の地方自治体が改変や合併を行ったのは明治以降のことです。そして太平洋戦争後の改革時にも手直しがありました。しかし、この平成の大合併のような大規模でタブーにも似た律令制の遺産をも無視した改変はまさに革命的です。  何故「平成の大合併」が必要だったのか?何と言っても自自体の財政困窮があります。そこへ合併特例措債を中心とした行財政支援と、三位一体改革の地方交付税の大幅な削減です。平成の大合併を地図上で色分けして塗りつぶすとはっきりと分かることがあります。 人口と産業が集中する首都圏・近畿圏・中京圏などの税収が恵まれたじ自体の多いところでの合併は殆ど進んでいません。(大阪府を見ればよくがよくわかります)(もう少し詳しく見ると、新潟県:112⇒31、広島県:86⇒23、富山県:35⇒15、・・・・。一方、東京都:42⇒40、神奈川県:37⇒33、大阪府:44⇒43、・・・・。)  また、特筆しなければならないのは宮城県女川町、茨城県東海村、新潟県刈羽村、佐賀県玄海町、・・・などの原子力発電所立地町村は地方交付税に頼らなくても俗に言う「原発資金」が潤沢にあるため町村合併は進んでいません。 かくして日本全国各地に「ドンでもない地名」が誕生してしまいました。そのことはまたの機会に・・・。

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