1月30日にいつも教室に通っている会館で、青野浩美さんのバリアフリーコンサートがありました。
当日の資料より
青野浩美さんは、京都の女子大で声楽を専攻されていた2006年12月、原因不明の病気にかかり、車いすの生活に。
翌夏、今度は昼夜を問わない無呼吸の発作に襲われた。
気管切開し人工呼吸器をつけないと命が危ない。
しかし、元の声は失われる。
「歩けない上に声まで?」。半年、泣いた。
踏ん切りをつけてくれたのは、命あってこその歌という友の言葉。
手術をしてのどに器具を付けた。
特別なチューブを使うと声が出た。
声が出るなら歌えないか?
医師に尋ねると「前例がない」との答え。
「前例がないなら、自分が前例になればいい」。
青野さんは再び声楽家の道を歩き始めました。
「障害者になって初めて分かることがある」、という青野さんの歌とお話をぜひお楽しみください。
と書かれていました。
歌って下さった歌は勿論、歌と歌の間に話して下さった内容も、心にしみる体験談で、感動の涙が出ました。
病に襲われた絶望感から、ここまでその病に打ちかって立派に人々に感動を与えるまでになられたことに、すごいなぁと、みんな見習わなければと思いました。
当日歌って下さった曲の中の一曲をここに。
顔は写らないように気を付けて撮りました。
いつもながら私の手振れが・・・すみません
オーソレミオ
当日の資料より
青野浩美さんは、京都の女子大で声楽を専攻されていた2006年12月、原因不明の病気にかかり、車いすの生活に。
翌夏、今度は昼夜を問わない無呼吸の発作に襲われた。
気管切開し人工呼吸器をつけないと命が危ない。
しかし、元の声は失われる。
「歩けない上に声まで?」。半年、泣いた。
踏ん切りをつけてくれたのは、命あってこその歌という友の言葉。
手術をしてのどに器具を付けた。
特別なチューブを使うと声が出た。
声が出るなら歌えないか?
医師に尋ねると「前例がない」との答え。
「前例がないなら、自分が前例になればいい」。
青野さんは再び声楽家の道を歩き始めました。
「障害者になって初めて分かることがある」、という青野さんの歌とお話をぜひお楽しみください。
と書かれていました。
歌って下さった歌は勿論、歌と歌の間に話して下さった内容も、心にしみる体験談で、感動の涙が出ました。
病に襲われた絶望感から、ここまでその病に打ちかって立派に人々に感動を与えるまでになられたことに、すごいなぁと、みんな見習わなければと思いました。
当日歌って下さった曲の中の一曲をここに。
顔は写らないように気を付けて撮りました。
いつもながら私の手振れが・・・すみません
オーソレミオ