alternativemedicine

Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

医療概論と村岡潔先生

2018-06-01 | 中国医学の歴史

 村岡潔先生は、東洋療法学校協会の『医療概論』を中川米造先生と共に書いた共著者で、刊々堂出版の上海中医学院『針灸学』を浅川要先生や池上正治先生とともに翻訳されました。

以下、引用。
「中国の会は人を集める求心力があり、親友の池上正治さん(中国研究者・翻訳家)や妻(後に鍼灸師)をはじめ、学生・社会人たちとの出会いの場でした。」

「医学関係で最も衝撃を受けたのは雑誌『中国』に載ったノーマン・ベチューンの伝記です。」

「中国の戦時下で人々に医療指導を行ない、短期間の訓練で医師になれることを示したその精神は「はだしの医者」に引き継がれていきます。
 医学生だった私はベチューンや「はだしの医者」で医師の方から患者のそばに行くことの重要性と誰もが医療者になれることを学びました。また、医学概論(医学・医療のあり方、医師のあるべき姿を問う学問)という今日の私の研究領域の原点となったのです。

 そして学生や研修医の時代には、鍼灸師の浅川要さんらと自分たちで相互に針灸をし合う「ベチューンに学ぶ会」で活動したり、彼や池上さんたちと『針麻酔』や『針灸学』という中医学書の翻訳出版にも携わりました。この過程で、医学は西洋医学だけではないこと、また中国医学も西洋医学も病気という山を征服するルートのひとつに過ぎないという視点を得ました(これは医療人類学の「多元的医療体系」の考え方につながります)。」

「その後、私は救急医療や脳外科の臨床医として病院をいくつか廻っていきます。皮切りの大学病院では学会発表のいざこざで教授に嫌われ『白い巨塔』の世界も体験しました(笑)。

こうした青年期の様々な出会いが医師としての私の原点をつくり上げたと思っています。そして86年から大阪大学大学院の中川米造先生の所で念願の医学概論の研究を始めます。私が佛教大学に来られたのは先生が本学専攻科の仏教看護コースで最後に教鞭をとられた縁です。
 学生の皆さんには、予防(中国医学でいう「未病」のうちに対処すること)や心身相関(心身一如)の考えにたって自己の心身の力に興味と自信をもってほしいと思います。」
以上、引用終わり。

中医学鍼灸を最初に日本に紹介した、上海中医学院の『針灸学』(刊々堂1978年)は村岡潔先生や浅川要先生、池上正治先生によって、日本語に翻訳されました。
 村岡潔先生は、1969年に日本医科大学に入学、「中国の会」で毛沢東の「ベチューンを記念する」に出会います。「ベチューンに学ぶ会」をつくり、鍼灸を学ばれました。医大を卒業後は脳外科となりました。

 中川米造先生は、大阪大学医学部で、森永砒素ミルク事件や公害事件にも関わり、医療倫理を問う『医学概論(医療概論)』を創り、アーユルヴェーダや鍼灸にも深く関わった偉大な医学者です。


最新の画像もっと見る