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Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

クリシュナマチャリアからの、もう1つのアメリカへのヨガの流れ:インドラ・デヴィ

2018-05-18 | インド伝統医学


 「インドラ・デヴィ(Indra Devi:1899 –2002)」さんは、2002年に102歳で亡くなった「現代ヨガの母」です。「インドラ・デヴィ」さんの本名は、「ユージーン・ピーターソン(Eugenie V. Peterson)」と言います。
 インドラ・デヴィさんのお父さんは、スウェーデンの銀行の頭取で、お母さんはロシア貴族です。18歳でサンクトペテルブルクで演劇を勉強していたときにロシア革命が起こりました。インドラ・デヴィ(当時はユージン・ピーターソン)さんは、ベルリンで女優兼ダンサーとなります。インドの詩人タゴールに心酔していたインドラ・デヴィさんは1927年にインドに行きます。1930年代のインド映画のスターとなり、「インドラ・デヴィ」という芸名になりました。インド社交界のスターとなり、マハラジャたちとつきあい、チェコスロバキア大使館の外交官と結婚しました。

 そして、インドラ・デヴィさんは、「近代ヨーガの父」と呼ばれる「ティルマライ・クリシュナマチャリア(Tirumalai Krishnamacharya :1888ー1989)」に弟子入りします。 当時1937年のクリシュナマチャリアは、クシャトリア階級のインド人男性にのみ、ヨガを教えていました。当然、クリシュナマチャリアは教えることを拒否しましたが、スポンサーであるマハラジャからの圧力で教えることになりました。そして、1938年にインドラ・デヴィさんは、夫の転勤で上海に行きます。1939年の上海では、蒋介石夫人・宋美齢(1898-2003:享年106歳)や上流階級の夫人たちにヨガを教えました。

 戦後の1946年に夫はチェコスロバキアで死亡し、インドラ・デヴィさんは、1947年にアメリカのカルフォルニア州ハリウッドに移住します。そこでグロリア・スワンソン(Gloria Swanson:1899-1983)やグレタ・ガルボ(Greta Garbo:1905-1990)といったハリウッド女優やバイオリニストのメニューイン(Yehudi Menuhin:1916-1999)を教えました。ユーディ・メニューインはアイアンガーからもヨガを学び、ヨーロッパ各地にヨガセンターを創りました。
 インドラ・デヴィさんは、1953年にアメリカ人医師と結婚して、アメリカ国籍を得ました。 1961年に夫が別荘をもっていたメキシコでヨガ・センターを開講しました。1966年には無名時代のサティア・サイババと出会い、1970年代はサティア・サイババ(Sathya Sai Baba:1926ー2011)をアメリカに紹介しました。1977年に夫がカルフォルニア州で事故で死亡し、1982年にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住して、2002年に102歳で亡くなりました。


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