古い桜の木がありました。案内板には、「1830年に植えられたと伝えられる「老桜樹(ろうおうじゅ)」。厚岸町指定天然記念物、北海道の銘木に選定されている。」と書かれていました。
(老桜樹)
戻りかけると鳥居と階段がありました。そこは、厚岸神社でした。急な階段を上りました。赤い屋根の社殿がありました。説明文によると「寛政3年(1791)、最上徳内が幕府に上書して道東の中心地である厚岸に神社を創立し、天照皇大神、豊受姫神を祀り神明宮と称した。これはアイヌ教化と北辺鎮護の為であって、更に寛政10年には、近藤重蔵が社殿を改修し、市杵島姫命を合祀し海上安全を祈った。此の時、近藤重蔵が石に刻して建てた碑文及び由来は、歴史上公知の事実である。爾来、海上安全大漁豊作町内繁栄の守護神として一般の尊崇する所となった。文化3年更に社殿を改修し、6月15日に祭礼を斎行していた。明治8年より厚岸町の総鎮守とし、厚岸神社と称するに至り、昭和8年無格社より郷社に昇格し、現在は宗教法人に依る神社として公認せられ、毎年7月15日に例祭を斎行している。」と書かれていました。
(厚岸神社)
(社殿内)
(最上徳内の肖像)
(近藤重蔵の碑文)
(写真撮影:2010.7)
(老桜樹)
戻りかけると鳥居と階段がありました。そこは、厚岸神社でした。急な階段を上りました。赤い屋根の社殿がありました。説明文によると「寛政3年(1791)、最上徳内が幕府に上書して道東の中心地である厚岸に神社を創立し、天照皇大神、豊受姫神を祀り神明宮と称した。これはアイヌ教化と北辺鎮護の為であって、更に寛政10年には、近藤重蔵が社殿を改修し、市杵島姫命を合祀し海上安全を祈った。此の時、近藤重蔵が石に刻して建てた碑文及び由来は、歴史上公知の事実である。爾来、海上安全大漁豊作町内繁栄の守護神として一般の尊崇する所となった。文化3年更に社殿を改修し、6月15日に祭礼を斎行していた。明治8年より厚岸町の総鎮守とし、厚岸神社と称するに至り、昭和8年無格社より郷社に昇格し、現在は宗教法人に依る神社として公認せられ、毎年7月15日に例祭を斎行している。」と書かれていました。
(厚岸神社)
(社殿内)
(最上徳内の肖像)
(近藤重蔵の碑文)
(写真撮影:2010.7)