昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

加藤庸二先生の島歩きの学校2007 小正月の奇祭ヘトマト祭り 1回/24回

2007-03-08 04:52:21 | 68西海・長崎県・五島列島
加藤庸二先生の島歩きの学校2007 小正月の奇祭ヘトマト祭り(2007.1.15~17)に参加しました。
この祭りの由来についての定説がありませんが、諸々(もろもろ)の行事を一度に行う祭りとして、全国的に類を見ないものであり、昭和62年に国の重要無形民俗文化財の指定を受けました。

今回出掛けた島々の概要を記載しておきます。

福江島は、長崎港の西海上約100kmの東シナ海にある五島列島の主島。対馬暖流の影響で気候は温暖、東シナ海の荒波を受けた見事な海食崖や、わが国でも珍しい小型のホマーテ、アスピーテの火山群など、西海国立公園の中でもとくに美しい自然景観を誇る。古くは「大値賀島」と呼ばれ、遣唐使の寄留地や倭寇の根拠地として大陸との交流の中継基地となり、貴重な歴史・文化資源も今も数多く残している。弘和3年(1383)宇久島の宇久氏が福江に進出、文禄年間(1592~96)には五島氏を名乗り、江戸時代に入って1万2,600石の五島藩主として支配した。三方を海に臨む海城として知られた石田城は、黒船の来航に備えて嘉永9年(1849)に築造されている。福江市は福江島の東部に位置し、五島藩の城下町として栄え、現在でも五島列島の政治・行政・経済の中心地。古来、深い入江の「深江」と呼ばれていたが、寛永15年(1638)石田陣屋の竣工を機に、「福江」と改称された。今後は、恵まれた資源をベースとした観光産業もジェット機や高速艇の就航でますます発展しそうだ。平成16年8月1日、福江島1市4町と奈留町の合併で「五島市」が誕生した。

嵯峨島は、福江島三井楽町貝津港から西4km沖合、溶岩と凝灰岩でつくられた島。海に突き出た火山海食崖や西岸に広がる千畳敷と呼ばれる岩場は学術的にも著名である。また、この島の人々に伝わる「オーモンデー」の踊りは、国内のどこにも類を見ない異色の念仏踊りで、国選択無形民俗文化財・県指定無形民俗文化財となっている。地下と竹原の2地区がある。ほとんどの人が漁業に従事し、大型船も数多く導入されていて漁家所得も高い。寛永18年(1641)に異国船遠見番所が設けられ、正保4年(1647)まで国内最西端の番所として重視された。また、五島藩の配流地でもあった。大村藩からの移住者もあり、現在住民の5分の1はカトリック信者である。古くは、流人の島、平家の落人の島として歴史に登場し、「嵯峨島」の「嵯峨」は京都の「嵯峨野」に由来していると伝えられている。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から