夕日の散歩道は、長い歳月にわたって波しぶきにうたれ、いろいろな形をした珊瑚礁ある遊歩道。島人は「夕日の散歩道」とも呼び奄美大島本島を望み、落日の金色で染められた景観は感動的なものがある。また、年中釣り人のたえない島随一の大物が釣れる場所である。
(夕日の散歩道)
スギラビーチは、潮の干満に関係なく泳ぐことができる。長さは、250メートルで真白な砂とすきとおった海には熱帯魚も泳いでおり、まさに南国そのもの。夕日が、きれいに見える景勝地でもある。
(スギラビーチ)
僧俊寛は源平合戦の頃に平家打倒を企て、“鬼界ヶ島”に流されたとされている。この地から力仕事とは無縁の男性の人骨と副葬品が見つかり、棺に使われている木も島のものではなかったことから、鬼界ケ島とは喜界島のことで、この場所が俊寛の墓ではないかと言われている。しかし、この鬼界ヶ島は文献上で活火山島であったことなどから、ここの喜界島ではなく、薩摩硫黄島であるというのが歴史学上の定説になっている。
(僧俊寛の像)
(僧俊寛の墓と言われている?)
帰りは、喜界空港から奄美空港に戻り、東京へ帰ってきた。台風が心配されたが、大きな問題もなく、楽しく過ごせた3泊4日の島旅であった。
(喜界空港)
(写真撮影:2004.09)
今日で、奄美大島と喜界島の投稿は終わりました。
明日からは、五島列島福江島の「へとまと祭り」を投稿開始します。
お楽しみに。
(夕日の散歩道)
スギラビーチは、潮の干満に関係なく泳ぐことができる。長さは、250メートルで真白な砂とすきとおった海には熱帯魚も泳いでおり、まさに南国そのもの。夕日が、きれいに見える景勝地でもある。
(スギラビーチ)
僧俊寛は源平合戦の頃に平家打倒を企て、“鬼界ヶ島”に流されたとされている。この地から力仕事とは無縁の男性の人骨と副葬品が見つかり、棺に使われている木も島のものではなかったことから、鬼界ケ島とは喜界島のことで、この場所が俊寛の墓ではないかと言われている。しかし、この鬼界ヶ島は文献上で活火山島であったことなどから、ここの喜界島ではなく、薩摩硫黄島であるというのが歴史学上の定説になっている。
(僧俊寛の像)
(僧俊寛の墓と言われている?)
帰りは、喜界空港から奄美空港に戻り、東京へ帰ってきた。台風が心配されたが、大きな問題もなく、楽しく過ごせた3泊4日の島旅であった。
(喜界空港)
(写真撮影:2004.09)
今日で、奄美大島と喜界島の投稿は終わりました。
明日からは、五島列島福江島の「へとまと祭り」を投稿開始します。
お楽しみに。