7月5日は松岡磐吉の御命日でした。
ツイッターで「死去ネット」へのお参りをお願いするずぶやきをしたら、こんなにいっぱいお花が供えられましたー!
嬉しい!!
ありがとうございます。って私が言うなだけど。
最近思うんだけど…。
以前は「幕府方びいき」と言うと、だいたい新選組ファンだったんですが、最近は伝習隊!衝鋒隊!額兵隊!とかのファンもたくさんおられて、交流できて嬉しいです。
(別に最近増え . . . 本文を読む
11月17日、東京にて、箱館戦争関係者慰霊祭「流星忌」が催行されました。
場所は、松岡磐吉・柴誠一・和田春造の松岡兄弟が眠るお寺。
私は松岡・柴の墓所は5年近く前に両ご子孫に教えていただいたので知っていたのですが、私が公表すべき立場ではないと思ったので、一切誰にも教えたことはありませんでした。
しかし、けっこうあっさり見つけちゃったのがフェイスブックで知り合ったオジサンたち(笑)。
今回の慰霊 . . . 本文を読む
いやー、いつ以来だ(生きてます)。
新暦命日(8/20)を前に、久々に推し(松岡磐吉)の新しい記述に巡り合った!
海軍有終会の「有終」から。「有終」は気になりつつ未チェックだったので大収穫!
松岡がこう言った、こうした、と直接見聞した人(蟠龍乗組・横井貫一郎時庸)が書いてるから嬉しい!!
たとえば・・・宮古湾海戦の帰り、回天と出会った時、回天(甲賀が戦死しているため艦長代理は荒井郁之助)に「 . . . 本文を読む
私しかうひょうひょしないネタ。
「あさが来た」でお馴染みの五代才助(友厚・薩摩藩)、日赤作った佐野常民(佐賀藩)、アタシの(←ヤメロ)松岡磐吉(幕臣)は、みんな長崎海軍伝習所同期生(二期)である。
まあ箱館戦争で松岡が沈めちゃった朝陽艦長、中牟田倉之助(佐賀藩)もそう。
ちょっと面白いのは、当時は幕臣と諸藩士の間には大きな身分差があったのに、伝習所では仲良しとまではいかなくても、普通に知り合 . . . 本文を読む
年末から、ふとした拍子に幕府艦船「奇捷丸(きしょうまる)」の原名を調べていました。伝わってるのは「タパンニョー(ta-pang-nyo)」。
当時英国から買った船には、中国絡みの名前がついているのがけっこうあった。太江(ターキャン。日本では大江丸)とか仁記(ジンキー。日本では順動丸)みたいに。
でも彼女たちには漢字表記が併記されているのに、奇捷丸だけはそれを見た記憶がないんです。
そこでFaceb . . . 本文を読む
榎本脱走海軍の艦船にあまり名前を挙げてもらえない船があります。
「第二長崎丸」(長崎二番とも)。
艦隊の品川沖脱走より前に出帆し、ぐるっと回って庄内藩支援に向かいました。艦長は松岡磐吉の7つ上の実兄、柴誠一(旧名は弘吉)。
しかし秋田沖の嵐で座礁破船。しかも時遅く庄内藩は既に降伏してました。
乗組員は上陸して陸路や外国船などで箱館を目指した者あり、おそらくはそのまま逃亡した者あり・・・。
艦 . . . 本文を読む
慶応4年(9月に改元して明治元年)8月20日は、今日10月5日に当たるそうです。
これを書いた5日昼は風もなく雨も降っていませんでしたが、南の海上には大型台風があって、接近とともにスピードを上げるだろうと予報されていました。今は結構は風が吹いています。
この8月20日は、いわゆる榎本艦隊が江戸を「脱走」して北へ向かった日です。
(19日となっているものもありますが、20日になった時=午前零時に . . . 本文を読む
明治4年7月5日が命日の松岡磐吉。
最近またいろいろとわかりました。
防衛省防衛研究所が持っている、明治4年の兵部省の文書に、松岡関連が2通あるのを発見!
それもこの7月2日のことで、なんだか命日直前に見つけさせてくれたのかなあって気がしましたよー!!
文書の1つは、糾問所が作成した7月5日のもの。
「当糾問所に預けられていたこの者は、先日から疫病にかかり、
療養を加えたがだんだん重症 . . . 本文を読む
箱館戦争が終わる頃、榎本武揚が黒田清隆に「これを灰にしては惜しい」と当時貴重だった本を贈り、黒田が礼を尽くしてそれを受け取った話、そして榎本投降後、木戸孝允らが極刑を主張する中、黒田が頭を丸めてまで助命嘆願をした逸話は有名です。
でも実は、助命についてはこういう話があります。
(一部かなに直した他は原文通り)
「(明治2年5月9日)黒田君と私と増田氏(新政府海軍参謀・増田虎之助明道)の三人が . . . 本文を読む
「宮古湾海戦」というと、wikipediaに書かれている次のような認識が一般的です。
海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、新政府軍の主力艦である甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。これはアボルダージュ(フランス語・Abordage、英語・Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で、敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも . . . 本文を読む
続・美味しすぎて死にそうな、山内六三郎書き残しの箱館戦争の記録。
考えてみれば、宮古湾海戦の時は林董が、箱館総攻撃の時は山内六三郎が蟠龍に乗り組んでいたとは、なんて幸運(いや、私にとってですw)
「ほんとに実在したのかw」とか言われちゃう松岡磐吉のエピソードを残してくれたこの二人に大感謝です。
(宮古湾の時は山内も蟠龍にいたんですが、この時のことはまた別に…)
さて、折しも明治2年5月11日 . . . 本文を読む
プギャーーーwwwww
久々の松岡磐吉史実エピ発見!!!
古写真関連の話題で、山内六三郎が宮古湾海戦のことなどを書いてるのが同方會に載ってると今頃知って・・・。
同方會なんかキホンのなずなんですが、不思議なことに見逃してたのです。ホント不思議。
で、読んで思わず叫んだwwwww
いわく(緑は引用、ただし口語訳)
箱館総攻撃の未明(明治2年5月11日)、伴正利が「沖で砲声が聞こえる . . . 本文を読む
私の大好きな幕末海軍って、7割かっこよくて3割笑える(てか可愛いw)んですよ。
のちのガッチガチの軍隊とは全然雰囲気が違います(いや、のちの軍でも海軍は洒落っ気の点でかなり陸軍とは違うようですが)。
で、「幕末の海軍て、何がそんなに面白いん」って聞かれたら、分析能力のない私には「えー。だってかっこいいしー。ちょっとおまぬけでかわいいしー」と、くだらん答えしか返せないんですが、ソコントコ、かの司馬 . . . 本文を読む
長崎1日目に、ジモッティの微熱さんに「明日の夜、夜景見に稲佐山のぼるよー」と言ったら「そのロープウエイの発駅は神社のとこにあるんだけど、その神社(当時は寺)は江川家関係者の宿舎だったって看板が立ってるよ」という貴重な情報を教えてもらいました。
2日目(11/23)の20時もだいぶ過ぎた頃、夜景を見るべくそのロープウエイ駅へ。
看板あったーーー!!
こんなところでうちの殿にお目にかかろうと . . . 本文を読む