長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

松岡が香水w 戦闘中楊枝くわえてるし!

2014年05月07日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
プギャーーーwwwww

久々の松岡磐吉史実エピ発見!!!


古写真関連の話題で、山内六三郎が宮古湾海戦のことなどを書いてるのが同方會に載ってると今頃知って・・・。
同方會なんかキホンのなずなんですが、不思議なことに見逃してたのです。ホント不思議。



で、読んで思わず叫んだwwwww

いわく(緑は引用、ただし口語訳)


箱館総攻撃の未明(明治2年5月11日)、伴正利が「沖で砲声が聞こえるがまだ真っ暗で何も見えません」と報告。
艦長松岡は起きて石鹸で顔と手を洗い、髪を整えて香水をつけ、新しい白いシャツを出して着、今日が最後の日と覚悟を決めている様子が伺えた。私は艦長室の隣にいて「艦長、今日はおめかしでござるな」と言いつつ起きて支度をした。


香水ww ひいいいww
艦長室に香水置いてたんだ・・。やっぱ箱館政府、自由だわー(笑)

でもこれは「今日は死ぬつもりだから艦長として恥ずかしくないようしゃれてます」と冗談を言って新しいシャツを着てた(これは林董が語っている)宮古湾の時と同じようなエピ。ほんと総攻撃の日も今日が命日と思ってたんでしょうね。


さらに、戦闘中ネタ。

艦長松岡氏は泰然として皆を指揮し、時々大砲の照尺を確かめて距離を測ったりしておられたが、つねに口に黒文字(楊枝)をくわえ、舌の上で転がしたりしておられた。
私もその真似をして楊枝を口にするのが習慣になった。危険にのぞむたびに楊枝を口でもてあそべは、気持ちはおのずから鎮静して少しもばたばたすることがないのは実に不思議だ。



えーw 松岡って楊枝くわえっぱなし!こんなクセ初めて知ってめっちゃうれしい!!

それに、楊枝をくわえっぱなしってことからは、やたら喋ったり怒鳴ったりしてないってことですよね。こういう読み取りもできるのでエピソードはありがたい。


で、「朝陽」を撃沈した直後。

撃沈した一弾を放った見習士官の永倉伊佐吉を胴上げした。朝陽が沈没し、敵が一時みな引いたので、前日購入してマストにかけておいたマグロをさばいて、酒を飲んで一休みした。

マストに魚かけないでくださいwww しかも朝っぱらから酒w(朝陽撃沈は朝7時35分)


さらに、

朝陽の生き残りが、海上に残った部分につかまっているのを見て、士官某が「葡萄弾で掃討しよう」と言うので、私は「海戦というものは戦闘力を失わせればよいものだと聞きます。艦長の意見を聞きましょう」と言い、走って行って松岡氏に尋ねたところ「不可」との答えだったので、このことは中止となった。のちに、この生存者の中に中牟田倉之助中将(当時、朝陽艦長。長崎海軍伝習所同期)がいたとわかった。幸運な人である。


山内君もよく知ってましたが、松岡はさすがに海軍ルールを知ってますね。
ただし積極的救助まではしていない様子もこの記述から分かります。
まあ、状況からしてできないですけど。


さらに、退艦にあたっての話。

会計官某(それたぶん梅澤って人)が、艦に火を放ちたいと言ったが、艦長いわく「機関を破壊すればそれで足りる。この先、使うこともあるだろうから」と許可しなかった。

おおお。「自ら火を放ち」は間違いだったか!ほお!!!

最後は原文が「後来用うる所あらん」なんですが「将来使うこともあろうから」って意味で間違ってないよね?
だとしたら「用いる」のは自分ではないんですよ・・それ、もうわかってるんですよ。
戦死しなければ自刃するか、または降伏して処刑されることはもう覚悟してたはず。
新政府軍が使うとわかってても、船を残そうとしたってことだわ・・・。
ウワァァ-----。゜(゜´Д`゜)゜。-----ン! 松岡って相当な船フェチ。

でも新政府軍が「復讐だ」と火をかけた(中牟田艦長が死んだと思ったので、仇を討つために火を放ったという新政府側の記述アリ)んですけどね。
でもでも、マストだけ燃えて鎮火し、「蟠龍」は後に修理して明治海軍の練習艦に使われました。
の息子なんかも練習艦として乗ったことを書き残しています。



・・・いやもう大収穫過ぎてこれでひと月はゴハンが食べられます(意味不明)。
幸せすぎる~!!!
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