大田絵堂の戦いの「宣戦布告」は、諸隊側からされました。
慶応元年正月、凍てつく深夜、萩軍本陣となっていた絵堂村の柳井家に戦書を投じ、ほぼ同時に銃撃を始めたようです。
その柳井家の門にはいくつかの弾痕が残りましたが、そのまま使用されること140年。
平成17年に、県道改修工事に引っかかったため、柳井家から地元の美祢郡美東町(現・美祢市美東町)に寄付。
200mほど離れた、絵堂の開戦記念碑の側に移 . . . 本文を読む
宮古湾海戦出撃の時、体調不良の蟠龍艦医・遠山春平の代わりに高松凌雲らが貸してくれた医師が赤城信一。
この赤城とともに蟠龍は出撃した。
この人はのちの高龍寺分院の惨劇(松前・津軽藩兵が病院の分院に火をかけ、傷病兵を焼き殺した。医師も殺害されている)の時にその場にいたが、殺されずに捕縛され、のち官立室蘭病院(現在市立室蘭総合病院)初代院長。
北海道初のキリスト教系弧児院建設にも協力。
元は会津の漢方 . . . 本文を読む