・・・・・く、くだらないっっっっ
いやー、萩有料道路ってのがありまして、山口から萩へ行く時の近道なんです。
有料っつっても150円で、しかも賽銭箱のような料金箱に投げ込むという。
まあそれはいいのだが、この有料道路に入らないと利用できないという、セコい設定の道の駅(道の駅 萩往還公園)があるのです。
そこには吉田先生、木戸くん、高杉くん、伊藤くん、井上くん、野村くん、山田くん、久坂くん、品川 . . . 本文を読む
ご存知でしょうか、大河ドラマの「花神」。昭和52(1977)年放送。ああ、「新選組始末記」と同じ年じゃん!
「花神」は、大河ドラマ史上最高傑作とも言われています!
タイトルは「花神」で主役は村田蔵六(大村益次郎)ですが、実際は「司馬遼太郎の幕末長州モノのミックス」なんですよ。
一人の生涯を描いたものではなく、群像劇なのです。
「世に棲む日日」の内容入りまくりです。「十一番目の志士」も入って . . . 本文を読む
開戦の時…諸隊は凍りつく寒さの真夜中、こんなところ(カルスト台地、秋吉台)を越えて絵堂を襲撃しました。
冬はこんな緑ではなくて、一面枯れ草なんですけどね。
ようやく結びです。っつか読んでる人おるんか、こんなん~
さてと。
「官修墓地」というものがあります。「官」、つまり政府によって作られた墓地です。
「勝てば官軍」と言いますが、その「官」サイドの戦死者が葬られています。
(日本のあちこち . . . 本文を読む
慶応元年1月14日または15日。
奇兵隊開闢(かいびゃく)総督高杉晋作がついに合流。諸隊の隊士が盛り上がったであろうことは、想像に難くありません。
しかし、少人数で連戦してきた隊士たちはへとへとでもありました。
でも、ここで止まるわけにはいかない。俗論党を萩に追い返して完全勝利を収め、そのまま藩論を覆してしまわなくては、何のために戦ったのかわからなくなります。
そこで、次の戦いは、新しく加わった高 . . . 本文を読む
思えば、みょーーーな「革命戦」です。
俗論党(藩政府)は当然殿様を担いでるのですが、革命派側である諸隊も殿様を担いでいるんですから。
フランス革命に置き換えてみれば、貴族も平民も「ルイ16世陛下とわが国を守るのだ」と言いつつ戦っているようなものです。
身分制度を固守する側と、ぶち破る側でありながら、どっちも「トップは保留」って…なんじゃそりゃなんだけど、前にも書いたように長州は、百姓にとっても「 . . . 本文を読む
ちょっと大田絵堂は休憩。
今日は萩に行って来ました
一応仕事で…と言いつつ趣味の場所にいっぱい行ってるあたり。
しかし自分で「藩命のとこに先に行こう」とかつぶやいてて…藩命って何よw
さらに「暑いけど、やっぱ松本村まで行くか」とか言ってる。
とっくに松本村じゃないーっ。
壊れてますね…
萩の堀内地区(お城に近く、武家屋敷や白い塀がいっぱい残っててタイムスリップしそうなところ)は、が入れなかっ . . . 本文を読む
1月10日の戦いは、本道の長登口、わき道の大木津・川上とも、結局は諸隊の大勝利で終わりました
しかし総指揮官の山縣狂介は悲観的です。
萩にはまだまだいくらでも人間がいる。しかし諸隊の人数には限りがある。
下関の高杉晋作とは、もともと連携プレーで始めた戦ではないので、いつ来てくれるかわからない。
慎重派の山縣は、自分たちを「孤軍」と考え、いずれ俗論党の大群に包囲されれば、数で負ける、全滅すると考 . . . 本文を読む
↑はしっこが黄色なんだ、ここの信号…。
慶応元年正月7日未明。
諸隊はあっというまに絵堂を占領したものの、絵堂は狭隘な立地で、攻守共に適していないと言う理由で、ここは捨てて4~5キロほど南の大田に陣を構えます。慎重派の、山縣狂介(有朋)の決断だったようです。
大田はこのあたりでは一番大きな集落。
今でもここに市役所の支所や公民館があります。なんとセブンイレブンもあるのだっ
さて、藩政府は . . . 本文を読む
とーとつですが、同級生に粟屋さんっていて、この間なにげに「粟屋さんって元々どこ?」と聞いたら「あー、うち、萩の堀内。アワヤタテワキって人の子孫~」
Σ(゜Д゜;)
というわけで、「その弐」は粟屋帯刀(たてわき)から始まります。
萩から順に南下していくと(もちろん直線ではありませんが、この戦いに関係ある土地だけ挙げると)、
萩 - 明木(あきらぎ) - 赤(あか) - 絵堂 - 呑水垰(の . . . 本文を読む
「大田絵堂の戦い」のことを書きたいと思います。
ちなみに「おおた」じゃなくて、「おおだ」なんですお。
大田絵堂の戦いは、正義派諸隊と藩政府俗論党が戦った、長州藩の内戦です。
あまり有名じゃありませんが、どういうわけか私は子どもの頃から、この戦いの話にすごく興味がありました。
ひょっとしたらご先祖様、関係あったのかなあ。
あったとしたら、俗論党なんですけど~
ともあれ、長州の藩論が統一された、 . . . 本文を読む
長州は関が原で破れ、防長二州に押し込められて、おっそろしく困窮しました。もんのすごい借金で
それでどんぐらいケチケチしてたかと言うと、「手紙は小さい字で書け、裏を返して行間にも書け」っていうくらい。
↑ホントです。「一寸の間に何文字以上書け」なんてやってます。
代々、藩主の大仕事は「財政改革」でした。
それで、ほとんどの藩が米経済だけで260年過ごしている中、長州は産業を起こして現金を獲得してま . . . 本文を読む
なんつーか、歴史ネタと言うのは
「史実という動かせないもの」と
「~だったらしい、~と言われている、という伝聞」と
「自分の想像や感想」とが書けるわけです。
私は研究家ではないので、史実の追及だけをする気はありません。どれが伝聞でどれが史実なのか、古文書を解読して…なんてこともできません。
(ただ、史料のはっきりしないものを史実と信じ込むことは警戒したいですが)
ただまあ、できるだけ自分で足を . . . 本文を読む
今日まで忙しいのですが、何もないと寂しいので、自分の写真フォルダからアップしとこう。
日野市高幡不動前の商店街の、某お店のシャッターです。
あいてる時は気付かないんですが(当たり前か)、閉店時間中に通ると思わずのけぞる
もーーー、ナイスシティですわー、日野っ
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盆前の修羅場で深夜に帰宅してるんで、全然ブログが更新できない
あと数分で出なきゃならんという朝に思いついたことを一言。
「いいだろう」を「よかろう」というのは方言でしょうか?
「これ、もろーてもよかろうか」(これ、もらってもいいだろうか)
「できた!これでよかろう」(できた!これでいいだろう!)
「お返しはせんでもよかろうじゃない?」(お返しはしなくてもいいよね?)
みたいの、長州ではわりと . . . 本文を読む