別件で行ったお寺(山口市龍福寺)の墓地に、一群の神道式のお墓が。
もちろん、お寺の墓地に先のとがった神道のお墓が建っていることはよくあります。
でもそれは普通、「○○家の墓地のスペース内に、戦死(たいていは太平洋戦争ですね。日露のも一度見たことあるけど)した家族の墓を神式で建てている」というものです。
でもこれは、いろいろな人が一箇所にまとめてあるし、なんてったって隊名がしっかり書いてあるの . . . 本文を読む
萩から山口・防府へ向かって萩往還をてくてく歩くと、町外れの小高い場所で道が曲がり、萩の町が見納めになります。
このあたりには、かつて街道松が並んでました。
萩を発つ人が別れを惜しんで涙を流すというので、その松並木を「涙松」と呼んでいたそうです。
この涙松を一躍有名にしたのが、誰あろう吉田松陰。
安政の大獄で、帰ることのない護送の旅に出る時、ここで
「帰らじと 思い定めし旅なれば ひとしお濡 . . . 本文を読む
室町時代の平均寿命 15歳くらい
幕末の平均寿命 38歳くらい
だそうです。
もちろん正確なデータじゃないんですけど。
えええええって感じの短さですが、幕末、37.8になったらもう老齢と言う意味ではありません。
平均ってのは全部足して割るわけで、乳幼児の死亡率のものすごい高さが、この低い数字を作り出しているわけです。
幕末どころか、戦前生まれの人の大半が「子供のうちに死んだ兄弟姉妹がいる」 . . . 本文を読む
山口市小郡山手招魂場に不思議な光景がありました。
招魂墓碑は当然仏式ではなく神式で、細身で先がとがって背が高いです。
名前の下には「神霊」とか「神位」とかって言葉がついています。
ところがこのお墓には、隣に仏式の小さなお墓が寄り添うように建っています。
刻まれているのは○○信女。
ということは成人女性です。
そもそも招魂場の墓と言うのは、実際に遺体やお骨を埋葬した墓ではありません。
. . . 本文を読む
なんか最近、墓ネタばっかりな気がしてw
関係ないネタ、はさんどきます。
サンドウイッチはどうだね?日本には握り飯がある!なんちゃってな ←
新選組ワインです。
京都の丹波ワインで美味しいです…っていうか、ワイン詳しくないんですけど(私あんまりアルコール飲まないのです)、飲みやすいです。
かといって甘ったるくはなく…。
これって布製の、新選組袖章ストラップが付いてるのも超嬉しい
たぶん霊 . . . 本文を読む
朝日山招魂場にありました。
明治元年戊辰 於奥州帰路 十二月九日 於浪花 見暗殺 行年二十九
厩卒 虎助
当時の感覚から言えば、外国まで行ったくらいの遠い戦場から生きて帰り、その帰り道に大阪で暗殺
(「見暗殺」とは「暗殺される」の意)
いったい何があったんだろう。
厩卒ということで、兵士ではなく馬丁です。
隊は鋭武隊だったらしい。
給料出て、ちょっと浮かれて遊んでて「ちっ長州の野郎が」 . . . 本文を読む
そして話は続く。
墓碑倒壊の山手招魂場ってのは、史料によると「旧社地」となってて、神社としては昭和21年に、近くの栄山公園に移鎮されてる。
その時点で、その後の戦争の戦死者も祀り、「山手招魂場」あるいは「吉敷小郡招魂場」から「栄山(さかえやま)神社」に名前も変わった。
ってことらしい。
移鎮した時、なぜ幕末の戦死者の招魂墓石も移動しなかったのかは不明です。
まあ、忘れ去られたように荒れていた . . . 本文を読む
というわけで(何が。)、一昨日の記事に書いた朝日山招魂場をあとにして、新山口駅にわりと近い、山手招魂場(栄山(さかえやま)神社)へ。
山手招魂場は、諸隊のひとつ、集義隊が作った招魂場です。
集義隊ってのは、尾張かどっかにもありますが(ありがちなネーミングw 遊撃隊もそうだけど←長州にも幕府方にもある)。
集義隊はのち、八幡隊と合併して鋭武隊となります。
集義隊の地元が、ここ小郡。
それがさ . . . 本文を読む
地元デパートで、掛け軸展示即売をやっていて、伊藤博文なんかのもあるってんで、見に行きました
書の掛け軸は、首相コーナー・郷土の作家コーナー・その他 みたいな感じで。
その他のとこに頼三樹三郎とかあった。
首相のとこに、伊藤博文。
俊輔って、書がどうの詩がどうのっていう家に育ったわけじゃない。
でもずいぶん勉強したらしいですねー。
掛け軸70万円台でした。
確か一番高かった。さすがに知名度 . . . 本文を読む
招魂場(しょうこんじょう)の墓碑には、正面に名前、側面に亡くなった時のデータが刻まれています。
いつ・どこで・どのように。
だからリアルで、胸を打つものがあります。
でも中には・・・・
「不知所終」・・・終わる所を知らず、と書かれたものも、いくつもあります。
日付は元治元年7月19日、つまり禁門の変(蛤御門の変)の日です。
ただ大敗しただけでなく、追われて、整然と退却することも . . . 本文を読む
今日は念願の、招魂場参り×2を敢行。
・・・思った以上に登山会だった・・・・・orz
でも、すごく行きたかったので満足満足です
まずは朝日山招魂場(朝日山護国神社)から!
山口市秋穂二島(あいおふたじま)にあります。
北越戦争激戦地と奇しくも同じ名前ですが。
慶応元年(1865)、諸隊のひとつ、八幡隊(のちの鋭武隊)によって創設。
っていうか、4月4日起工、8日竣工って早すぎないか…
めっ . . . 本文を読む
幕末とは関係ない話です。
ちょこっっっとつながってる部分を探すとすると、寺内正毅は御楯隊隊士として五稜郭まで行ったのと、今回の記事の建物の横に建っている碑を書いた藤田鴻輔が長州志士大リスペクトっぽいってことくらいかw
この建物は「旧寺内文庫」と呼ばれ、山口市宮野桜畠(さくらばたけ)に建ってます。
寺内正毅(てらうちまさたけ)は、嘉永5年(1852)、山口の平川(ひらかわ)に住む長州藩士 . . . 本文を読む
私、本籍はお江戸の渋谷広尾(←ひい爺さんが明治維新で失業して上京したから)。
ですが、生まれも育ちも長州(←爺さんが東京の家などを処分して満州に渡り、終戦で山口に引き揚げたから)です。
なので、当然こっちに多い苗字は聞き慣れていて、どこにでも多いような気がしているのだけど、実際はいまだに苗字の地方差って結構あるそうな。
山口でごく普通に聞く、山根さん。
山根の印鑑はシャチハタでは「取り寄せ」 . . . 本文を読む
私が持ってる「世に棲む日日」(司馬遼太郎)の文庫本。
こんな表紙です。今は変わっちゃいました
もうこれ大好きで
よく「古池や 蛙飛び込む 水の音」にカエルの絵を添えるのは下の下だと言いいますわな。
その点、この装丁のすごさ
このすがすがしく躍動感あふれる若々しい物語に、「それっぽい」絵ではなく、なんと静かな絵を持ってきてくれたのかと…。
ううう。美しいっ。
高杉晋作の死で終わる物語。 . . . 本文を読む
高杉晋作が山口(市)に家を建てていたなんてこと、先日記事にした昭和11年作成の史跡マップを見るまで知りませんでした。
これがその部分。藩庁(のち県庁)にほど近い地区です。
46 山田顕義邸ノ一(山田の家はもう一箇所あるため)
47 毛利登人邸
48 高杉父子邸
となってます。
晋作はあちこち駆け回ったあげく下関で亡くなり、結局ここに住むことはかないませんでしたが、小忠太パパとママ、雅さんと . . . 本文を読む