長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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洋髪率高っ!?箱館軍

2011年06月28日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
いわゆる「欧化武士」だった榎本武揚に率いられた箱館政府。 その士官クラスの多くが「ちょんまげに着物」ではなく「洋髪に洋服」で写真に納まっています。 兵士たちはどうだったんだろう? ここにひとつ、面白い話があります。あんまり知られてない気がするんだけど? 林董(はやしただす、当時の名は董三郎。当時英国帰りの10代で榎本付の通訳・翻訳者。のち外務大臣、伯爵)が残した「後は昔の記」に出てくる話で . . . 本文を読む
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小笠原諸島は外国だったかも!…幕府海軍がなかったら。

2011年06月26日 | ★その他歴史がらみ
祝★小笠原世界自然遺産認定! でもこの小笠原、日本領ではなかったかもしれないって知ってますか? 漁民が漂流したことでこの島の存在を知った幕府、1600年代に一度調査船を出し(もちろん風帆船。中国系の船を使ったらしい)、植物調査などをしました。 この時、島を「無人島(ぶにんしま)」と命名。 しかしその後幕府は、江戸から1000キロも離れたこの島を、積極的に開拓しようとはしませんでした。 幕 . . . 本文を読む
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懐中時計は右?それとも左ポケット?

2011年06月25日 | ★その他歴史がらみ
「幕末の写真によくある懐中時計の話」 の、余談的続き。 懐中時計を右ポケットに入れているか、左ポケットに入れているかは、鎖の向きで一目瞭然なんですが、↑の記事で「右が多いみたい」と書きました。 でも、外国人の写真も色々気をつけて見てみたら、けっこうバラバラ。 時計なんて、取り出して見るだけのものなので、利き手とは関係ないと思うし、単なる好みか。 実際わたしは右利きだけど、ケータイとかは左に入 . . . 本文を読む
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ミニエー銃献納の碑

2011年06月21日 | ★長州の招魂場巡り
山口県にある22箇所の招魂場をコンプリートするのが夢なんですが、全県に散ばってるのでなかなか。 とりあえず、宇部の「維新招魂社」に行って来ました。これでまだ8つ目かあ。先は長い。 で、その招魂社自体の話はまた別に書きますが、ここに面白い碑がありました。 献 装条銃拾六挺  ■方隊中 装条銃とは、銃身に溝を刻んだ(=ライフリングした)銃のことで、要するにライフル。 ゲベール銃の銃身の . . . 本文を読む
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こうなりゃ痛いついでだ。

2011年06月21日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
えーもう、イタイのは重々承知なんですが、夢を見ちゃうものはしょうがない。 夢の中で、誰かわからないけど男性の声で大声で言われましたよww 「11月10日、午後7時35分」 って、ただそれだけを。 なんだよそれ・・・。 松岡磐吉の命日ってことでよくって? もーいいわ。 松岡の本名は「松岡磐吉順風(よりかぜ)」、命日は「明治4年11月10日」の午後7時35分で。 どうせ真実はわかんないか . . . 本文を読む
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初島ってどこ? え、伊庭八郎がらみ?Σ(゜Д゜;)

2011年06月19日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
いやもう…こんな憑依生活wしていては、そのうちいい病院を紹介されそうで怖いんですがwww 不思議な夢をまた見てしまいました。 3日ほど前の朝、夢に榎本武揚が出てきて 「初島に行ってきて」 と言うんですよ。 紙に「初島」と書いてくれたので、字もわかりました。 そこでパッと目が覚めて「どこだ、初島って…」。 気になるのでググってみたら実在した。 しかも松岡磐吉のホーム的な場所…伊豆のちょっと . . . 本文を読む
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幕末の写真によくある懐中時計の話

2011年06月17日 | ★その他歴史がらみ
「懐中時計」は「提げ時計」ともいい、腕時計サイズができる以前に「持ち運べる時計」として広く使われたものです。 現在でも、手首まで手を洗うために腕時計が適さないナース用や、和服用などはこれに似たタイプのものです。 幕末から戊辰戦争の頃、急速に衣類が洋式化した頃にたくさん輸入されはじめ、写真にもよく写っています。 チョッキに下がってる鎖、あれが懐中時計の鎖です。 チーム箱館なんて、士官クラスはほぼみ . . . 本文を読む
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土方の辞世の歌新発見?でも疑問~…

2011年06月16日 | ★新選組(新撰組)
昨日からドバーッと盛り上がってるこの話題。 島田魁(明治33年没)がまとめ、島田家に保管されていた和歌集の巻頭に、これまで未発見だった「土方歳三の辞世」の歌(句ではない)が書かれているということで・・。 26年前にこれを寄贈された霊山歴史館の、現学芸課長さんの今回の発表で「土方が亡くなる前日(総攻撃前に幹部の宴をした時ってこと?)に詠んだ可能性が高い」とのこと。 「鉾とりて 月見るごとにおもふ . . . 本文を読む
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憑依中ww (←痛いw)

2011年06月14日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
相変わらずイタイ生活を続けております。 先日も、松岡磐吉の諱(いみな)はなんなんだろう、と思いながら、うたた寝してました。 ええ、松岡って、もともと諱があったかどうか知らんけど、この人、神道無念流(練兵館)の皆伝(←太字にしといたわ!)なので、皆伝もらった時には少なくともつけてたはず。 さらにその後幕臣になってるから、あることはあったはずーーー。 とか思いつつ、鉛筆待ったまま、うとうとっとして . . . 本文を読む
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町田騒動慰霊墓再び

2011年06月06日 | ★幕末維新の長州
「町田騒動」のことを何度か書いたことがあります。 会津を、庶民を、優しさを愛した長州人 ピストルに刀で立ち向かったひと ご子孫からのコメント 立て札の文字が消えかかって読めない、と書いたんだけど、やはり気になるので、再訪してじーっと見て、書き写してきました。 佐々並慰霊祭追禅詞       木下光堂     萩山口向 五月末  百術一誠 兵二百  佐々並峠 遭遇戦  可燐全員 従容斃 . . . 本文を読む
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