どうでもいい話なんですが(いつもか)。
なにげに荒井郁之助(箱館政府海軍奉行、初代気象台所長)のこと読んでいたら、
荒井の墓が私の本籍地にあったwwwww
どういうことだwwww
といいますか、
私の本籍地は「渋谷区広尾5-1」。
郁ちゃんの墓があるお寺が「渋谷区広尾5-1-21」。
うちの本籍には枝番がないんです。
今取れば付いてると思うけど、うちの本籍は明治初年から動いてないせいか . . . 本文を読む
続きなのね。
終わったのは夜中の2時過ぎだった…。
去年7月19日の禁門の変ライヴ以来の馬鹿だった・・・。
↑左から、荒井 古川 星恂太郎(なんでいるのよ!) 甲賀 松岡 土方
あー。マツノさんの「甲賀源吾伝」早く出ないかなー。←予約しているw
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25日にあんなに感動的な(←感動してるのは私くらいのもんだが)宮古湾海戦異聞を書いておきながら、今日はただのバカw
ものすごくくだらないネタなので、そのへんよろしく・・・。
例によってアメーバピグなんですが、ここの「なう」というつぶやき機能を使って「宮古湾ライヴ」をするという快挙というか暴挙がありましてwwww
ま、面白かったんで記念に置いとこうと思います。
本当にくだらないので、御用のある方 . . . 本文を読む
今日、3月25日は宮古湾海戦があった日(そりゃま、旧暦だから厳密には違うけどさ)。
宮古湾海戦といえば、次のような知識が一般的でしょう。
「新政府の甲鉄艦を奪取(あるいは撃沈)するべく、箱館政府の回天・蟠龍・高雄の3艦が出撃したが、
嵐で離散・故障してしまい、結局回天のみでアボルダージュ(接舷攻撃)を敢行した。
しかし接舷斬り込みは失敗に終わり、艦長の甲賀源吾も戦死した」
では、その後何 . . . 本文を読む
「箱館戦争のすべて」(須藤隆仙編/新人物往来社/昭和59年)
現在絶版で、私が持っているのは古書です。
買ったのは東京八王子の古書店。
「傍線、書き込みあり。読むには支障ありません」ということで買いました。
はじめはもちろん、線なんて引いてないほうが良いと思ったのですが、見ていると、元の持ち主さんは、どんなところを重要だと感じていたのか?なんて思うようになり、意外と面白い。
まずこの方は箱館 . . . 本文を読む
ふっ、しまった…。
おとといのブログ、このことを書こうと思ってたことをスッポリ抜かしてたwww
あの大正12年初版「函館戦争と五稜郭」ですが、巻末に
「函館戦争と五稜郭関係資料目録 函館図書館蔵品」
っていうリストが載っているのです。
もうっっっ。これが見てみたいのばっかり!
中には「麥叢録」や「蝦夷錦」「南柯紀行(幕末實戦誌)」など、今でも復刻本や活字になってたりして読めるものもありますが . . . 本文を読む
この本がちょっとヒット!
大正12年発行
御前講演本文蒐録「函館戦争と五稜郭」
この中で函館戦争のことを大正天皇にお話ししたというのが、宮崎大四郎という人。
ここでの肩書きは「陸軍中尉」になってますが、石川啄木の熱心な保護者として名を残している文化人です。
んーーー。
どうしよう。
全部口語訳して載せようか・・・でも嬉しい人は私くらいのもんだと思うから、とりあえず海軍のとこだけちょっと載 . . . 本文を読む
被災地でないところの人が、やっちゃいけないこと。
それは「過度の自粛」だそうです。
関係ねーや、と騒げというのではないですよー。
むやみにイベントを中止したり消費を控えたりすることは、経済の不活性化に拍車をかけてしまうからだそうです。
それは確かに言えると思う。
せめて西日本が元気にいきいきと動かなければ!
今日は(今日もかw)関係ない雑談ダラダラで行きます。
いやはや、1週間近く . . . 本文を読む
さっき、宮城の友達から、やっと携帯が復活したとのことでメールが来ました。
その中に
「略奪が起きるわけでもなく、列も乱さず、みんなあるものを分け合ってる。日本人でよかった」
という言葉がありました。
涙出た
テレビで見ててもホントにそれ思う。
このことは、阪神大震災のときも海外メディアに大きく報道されていました。
「店の人が来るのを、きちんと列を作って待つ人たちを見た。
店のガラスは割 . . . 本文を読む
今回の激甚災害の遭われた方に心からお見舞い申し上げます。
本当に言語絶するというか・・・なんと言っていいのかわかりません。
一人でも多くの方が逃げ延びておられるように、救出されるように祈っています。
あと雑談・・・。
決してギャグじゃなく、三陸あたりの港は知らんトコのような気がしない。
榎本艦隊北上途中の集結地、松島周辺はどの港も大被害や・・・壊滅も・・。
そしてあの宮古湾。
つらい . . . 本文を読む
何をやっているかというと、
熱出して死んでます。
と言ったら
とかコメントもらっちゃってさー、ちくそーwww
吹いたじゃないか。
大鳥くん、ゴザと便器ください・・・。
↑松岡磐吉が高熱でぶっ倒れてた時、大鳥圭介がそれをくれたというwww(c大鳥圭介獄中日誌)
一番熱が高い時、ずーっと帆船の帆の名前とかばかりが脳内をめぐり・・・
ばんちゃんに憑依されるのも大概にしろっていうか。 . . . 本文を読む
少し前に、例の「江良招魂場」(長州の招魂場の一つで、昭和40年頃移転して、ちっちゃい社殿だけあって墓石が行方不明になってるところ)を探して、ウロウロしていた時。
すでに「江良」というからは出てしまってるんだけど、近くに昔ながらの「地区の墓地」があるのを知ってたので、とりあえず行ってみた。
実はそこには、寺内正毅の「5人分くらいあるようなデカい墓」wがあるのです。
ま、それはいいんだが、その . . . 本文を読む
結構よく見かけるくせに、全員の名前の紹介が一度に載ってるのは何故かまれ、という写真w
後列左から
小杉雅之進
【幕政時代】長崎海軍伝習所3期生 咸臨渡米時蒸気方見習い 開陽機関長
【箱館政府】江差奉行並
【明治後】政府官吏ほか 正六位 明治42年没
榎本対馬
【幕政時代】長崎奉行家臣の子 幕府目付
【箱館政府】会計奉行
【明治後】明治3年3月赦免 開拓使等に出仕 明治15年没
林董
【 . . . 本文を読む
続きです。
そういうわけで、蟠龍も箱館にむかって航行を始めた。
その夜、かの有名な薩摩の春日艦は、暗闇に蟠龍を見つけることができず、追い越して行ってしまった。
翌日になり、艫(注:とも=船尾)の方の水平線に2本マストの艦が見えた。
もしかすると高雄かもしれないと思い、速度を落として待っていたが、近づいたのを見ればなんと甲鉄である。
速力はおよそ7ノット。
蟠龍はようやく3ノットくらいの速 . . . 本文を読む
そしてまた松岡磐吉ネタでございますwww
だって宮古湾海戦のあと、かっけーーんですもん!!
この人について、この人を知っている人によって書かれたものは、限りなく少ない。
先日の「松岡磐吉君小伝」が小伝ながら最も長いものだと思います。
あとは、何かの中にチョロッと顔を出すのをすかさず捕まえていくしかないのねー。
そういう中で、うひゃーーーっなのがコチラ。
「回顧録」林董(はやしただす)の中の「 . . . 本文を読む