フルベッキの写真に幕末志士の名前を入れて「志士が一堂に会した写真」とかって言われてるの、有名ですが、もちろん嘘です。
実際は長崎にあった佐賀藩の学校の学生たち。
誰やらが昭和の中頃に20人あまりに志士の名前を当てはめて発表したところから尾ひれがついて、いつのまにか全員「特定されてる」(笑)
今では歴史好きなら嘘だって知ってるけど、田舎の旅館やなんかだと、本気で信じてるのか、麗々と額に入れて掲げて . . . 本文を読む
箱館戦争が終わる頃、榎本武揚が黒田清隆に「これを灰にしては惜しい」と当時貴重だった本を贈り、黒田が礼を尽くしてそれを受け取った話、そして榎本投降後、木戸孝允らが極刑を主張する中、黒田が頭を丸めてまで助命嘆願をした逸話は有名です。
でも実は、助命についてはこういう話があります。
(一部かなに直した他は原文通り)
「(明治2年5月9日)黒田君と私と増田氏(新政府海軍参謀・増田虎之助明道)の三人が . . . 本文を読む
すっかり書くのを忘れてたのですが、3月31日に下関に高杉晋作の新しい像が建ちました。
場所はお墓のある東行庵。
1口5,000円で一般から寄付を募ってたので、寄付したところ、除幕式のお知らせが来たので行った次第です。
雨でちょい残念でしたけど~。
端正な像であります。
桜も咲いてました。
手前は晋作ご子孫。横は総理の奥さんのようです。
良い像だと思いますが、墓地の横のも、 . . . 本文を読む
「宮古湾海戦」というと、wikipediaに書かれている次のような認識が一般的です。
海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、新政府軍の主力艦である甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。これはアボルダージュ(フランス語・Abordage、英語・Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で、敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも . . . 本文を読む
続・美味しすぎて死にそうな、山内六三郎書き残しの箱館戦争の記録。
考えてみれば、宮古湾海戦の時は林董が、箱館総攻撃の時は山内六三郎が蟠龍に乗り組んでいたとは、なんて幸運(いや、私にとってですw)
「ほんとに実在したのかw」とか言われちゃう松岡磐吉のエピソードを残してくれたこの二人に大感謝です。
(宮古湾の時は山内も蟠龍にいたんですが、この時のことはまた別に…)
さて、折しも明治2年5月11日 . . . 本文を読む
プギャーーーwwwww
久々の松岡磐吉史実エピ発見!!!
古写真関連の話題で、山内六三郎が宮古湾海戦のことなどを書いてるのが同方會に載ってると今頃知って・・・。
同方會なんかキホンのなずなんですが、不思議なことに見逃してたのです。ホント不思議。
で、読んで思わず叫んだwwwww
いわく(緑は引用、ただし口語訳)
箱館総攻撃の未明(明治2年5月11日)、伴正利が「沖で砲声が聞こえる . . . 本文を読む
山口県には全国最多の22の招魂場があります。
って話は何度も書いてるんですが、招魂場っていうのは戦争で亡くなった人を祀った神社です。お骨は入ってません(遺髪・遺品は入ってる場合もあるが、何もないのも多い)。
発祥は、奇兵隊の戦死者を中心に祀った下関の桜山招魂場です。
桜山のような、広くて宮司さんもそばにおられるところは希で、だいたいは無人でめったに訪れる人もない感じのとこが多いです。
招魂墓碑に . . . 本文を読む