長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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淵神社(江川家手代宿所)@長崎

2013年12月07日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
長崎1日目に、ジモッティの微熱さんに「明日の夜、夜景見に稲佐山のぼるよー」と言ったら「そのロープウエイの発駅は神社のとこにあるんだけど、その神社(当時は寺)は江川家関係者の宿舎だったって看板が立ってるよ」という貴重な情報を教えてもらいました。

2日目(11/23)の20時もだいぶ過ぎた頃、夜景を見るべくそのロープウエイ駅へ。

看板あったーーー!!



こんなところでうちの殿にお目にかかろうとは!
(暗くて説明版が綺麗に写せませんでしたが)

韮山代官江川家の長崎海軍伝習所生の宿舎がここだった、とあります。
出ている人名は一人だけ、「手代岩島源八郎ら9名」と書かれていました。

江川からの伝習所1期生は

手代 鈴藤勇次郎
手代 望月大象
手代 岩嶋源八郎
手代 石井修三
手代 長澤鋼吉

鍛冶職 喜太郎
鍛冶職 菊太郎
若党 梅原小三郎(員外聴講生)
若党 木村半次郎(員外聴講生)

の9名です。この9人で泊まったのか?(てか看板の代表者が岩嶋って何故だろう。知名度で行くと鈴藤さんだよね~)


で、このあと2期生が4人来るんですが、じゃあ2期生はどこに泊まったのか??←めっちゃ重要w

2期生
手代 安井畑蔵
手代 柴弘吉
手代 松岡磐吉
手代見習 肥田浜五郎


私の勝手な予想ですが、ここは伝習所に遠すぎ!
鍛冶など、造船関係を学ぶ人はここに残り、狭い意味での海軍を学ぶ人は、伝習所内の宿舎(前のブログに書いた、現在の県庁)へ移っていったんではないかなあと思うんですよねー。
違うかなあ。



位置関係こんな感じだもん。


当時の人は少々の距離は厭わずに歩きますが、海軍伝習所では停泊中の練習艦でワッチ(当直=オランダ語でワフトと言ってたようだがスペル不明。wachtかなあ?)もやってたと思うし、船に近いところにいなくては不便すぎる。
万一台風でも来たら、すぐ招集して船を動かさないといけないと思うし。 

そんなわけで造船などの技術関係者以外は、ずっとここにはいなかったんじゃないの?って思いました。
(なんか知ってるマニアな人いたら教えて~!)


で、ここは当時は万福寺というお寺で、維新後「淵(ふち)神社」となってます。





この鳥居の向こうがロープウエイ乗り場。思いっきり境内・・・w


まあそれはいいんですが、私は川土手にも立てないとか、橋も渡れないことがあるというトンデモな高所恐怖症www

ロープウエイが完全スケスケで死ぬかと思いましたwww
いや、昼間だったら死んだと思うw

展望台がまたスケスケで、もうどうしようもないwこっちは夜でも無理ーーー ヽ(ヽ゜ロ゜)
「世界3大夜景」に認定された長崎の夜景ですが、展望台の端のほうに行けないので、ビビりまくってこの程度の写真しか撮れんというwww



何しに行ったんだ自分ってか、淵神社を見に行ったんですっ!!(`;ω;´)
だからこれでいいんですっ(`;ω;´)


ついでながら、この「稲佐」一帯は、伝習所の科目のうち、騎乗訓練(船以外のこういう科目もあった)が行われた場所でもあります。




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