慶応2年、国司家の練兵場に作られたのが、この万倉(まくら)護国神社の前身である、垰(たお)招魂場。
垰とは山口弁で峠のこと。
垰招魂場は今の場所よりだいぶ山の中にあったそうで、その旧社地の方には行ったことがありません。
現在は、その後の戦争での戦死者もあわせて祀られたこの護国神社に、垰にあった招魂墓碑も移動されています。
国司信濃の像もしっかり。
幕末維新動乱での戦死者は33柱です。
実は友達のご先祖さんもいらっしゃるのだー!
招魂社を研究されている神職、津田勉氏の冊子によると、この神社では祭りの際に「黄泉の武士(よみのますらお)」という詩を全員で朗唱して奉納するのだそうです。
あな勇ましの益良雄(ますらお)や
君がみ為に身を捨てて
戦に立つる旗のごと
御霊(みたま)ぞ世々に仰がるる
あな勇ましの益良雄や
垰とは山口弁で峠のこと。
垰招魂場は今の場所よりだいぶ山の中にあったそうで、その旧社地の方には行ったことがありません。
現在は、その後の戦争での戦死者もあわせて祀られたこの護国神社に、垰にあった招魂墓碑も移動されています。
国司信濃の像もしっかり。
幕末維新動乱での戦死者は33柱です。
実は友達のご先祖さんもいらっしゃるのだー!
招魂社を研究されている神職、津田勉氏の冊子によると、この神社では祭りの際に「黄泉の武士(よみのますらお)」という詩を全員で朗唱して奉納するのだそうです。
あな勇ましの益良雄(ますらお)や
君がみ為に身を捨てて
戦に立つる旗のごと
御霊(みたま)ぞ世々に仰がるる
あな勇ましの益良雄や