箱館戦争が終わる頃、榎本武揚が黒田清隆に「これを灰にしては惜しい」と当時貴重だった本を贈り、黒田が礼を尽くしてそれを受け取った話、そして榎本投降後、木戸孝允らが極刑を主張する中、黒田が頭を丸めてまで助命嘆願をした逸話は有名です。
でも実は、助命についてはこういう話があります。
(一部かなに直した他は原文通り)
「(明治2年5月9日)黒田君と私と増田氏(新政府海軍参謀・増田虎之助明道)の三人が相会して、黒田の発議でここで一つの密議をしました。
それは、もし賊将らにして降伏したならば、その生命はいかにすべきかという問題です。
賊将らが降伏したら、その生命は我々が必ず救う、すなわち生かすことに尽力するという約束です。
もはや年月が経ったから、この席で言うても差支えあるまいと思います。これまで誰にも言ったことがないことです。」
発言者は曾我祐準(当時箱館征討軍海軍参謀)、ときは明治42年、史談会の席上です。
史談会というのは、いい加減なホラ話ができる場ではなく、信憑性は抜群です(中には勘違いとか記憶違いってのはあるでしょうけど)。
40年間誰にも言わなかったという曾我もかっこいいな。
榎本さんらが明治政府で活躍しているのを見ても、俺たちが助けた的なことはずっと言わなかったんですね。
もちろん黒田も偉いんですが「黒田一人が榎本一人を助命した」っぽく伝わってしまってるけど、実際は「黒田らが榎本らを助命した」んでした。
・・・まあ、助命間に合わないで死んだ人のファンなんだけどさ、私は_ノ乙(、ン、)_
でも実は、助命についてはこういう話があります。
(一部かなに直した他は原文通り)
「(明治2年5月9日)黒田君と私と増田氏(新政府海軍参謀・増田虎之助明道)の三人が相会して、黒田の発議でここで一つの密議をしました。
それは、もし賊将らにして降伏したならば、その生命はいかにすべきかという問題です。
賊将らが降伏したら、その生命は我々が必ず救う、すなわち生かすことに尽力するという約束です。
もはや年月が経ったから、この席で言うても差支えあるまいと思います。これまで誰にも言ったことがないことです。」
発言者は曾我祐準(当時箱館征討軍海軍参謀)、ときは明治42年、史談会の席上です。
史談会というのは、いい加減なホラ話ができる場ではなく、信憑性は抜群です(中には勘違いとか記憶違いってのはあるでしょうけど)。
40年間誰にも言わなかったという曾我もかっこいいな。
榎本さんらが明治政府で活躍しているのを見ても、俺たちが助けた的なことはずっと言わなかったんですね。
もちろん黒田も偉いんですが「黒田一人が榎本一人を助命した」っぽく伝わってしまってるけど、実際は「黒田らが榎本らを助命した」んでした。
・・・まあ、助命間に合わないで死んだ人のファンなんだけどさ、私は_ノ乙(、ン、)_
私のブログにお越し頂き、ありがとうございました...。私みたいなヤンチャなオッサンのブログにコメントまで頂いて...恐悦至極(笑)。片手間にやってる私なんかとは...レベルが違いますなあ...。
ほんと、もっと早く参考にさせて頂ければ良かった。海軍の『か』の字も分かりませんので...私の作品では軍艦描写が適当極まりない...。ここの存在を知るのが遅過ぎました(笑)...。
わたしん所は、ちょっと前までは【阪神タイガース】ブログでした。私のへったくそなイラストを披露する...何ともしょぼいブログだったのですが、幕末ブログに改装したのです...。
これからも、ちょこちょこお邪魔します。Y!ブログ以外、触った事が無いので...操作方法に若干不安がありますが、よろしくお願いします。