さて、松陰先生号は萩を出ました。
そういやー、萩には「松陰先生」と「晋作くん」という名前の循環バスが走ってるんですが、先生には全く会わず、晋作にばかり8回くらい遭遇してしまった。
しかも一度など、晋作が曲がったので、なにげについて曲がったら信号赤だったし
やっぱ、安易に晋作についてくと、命がいくつあっても足りんということがわかりました。
(なら松陰先生ならいいのか?ってよけいアブネーw)
さ . . . 本文を読む
ほんとはここで、高杉晋作の庵あとの碑とかも見てるんですが、これはそのうち別項で。
で。萩最後の訪問地、顕義園(けんぎえん)へ向かう
これまで3回か?行こうとして行き着いたことがない私…
今回は山田ラー(意味不明)の、みんかさんがいるから大丈夫だッ
団子岩の墓地から坂をガーッ下りて、毛利家菩提寺東光寺前を通って、ちっこい看板を見逃さずに狭い道にコキッと曲がらんといかんのだった。
・・あれはわか . . . 本文を読む
お素敵微妙な蝋人形を堪能し、すぐ近くに群れまくってる史跡群へ。
萩自体、ものすごく「史跡密集地帯」なんだけど、中でもここはすごいw
まずは吉田稔麿誕生地の碑なんですが、車が置けないので、見たい人は一歩先に神社を徒歩で出て、車部隊は5分遅れでおっかけて拾うことに…。
その「栄太(稔麿)誕生地の碑」は↓で紹介済みで、ついでにお墓も同じ記事で紹介済み。
「吉田稔麿と屠勇隊」
先発隊がいない! . . . 本文を読む
腹減ったコールが響く8月15日正午過ぎ
道の駅しーまーとで海戦じゃない…海鮮モノを食べようと思ってたんだけど、麺類食いたい説が世論を席捲したため、松陰食堂へGO
松陰食堂は、松陰神社の境内にある昔ながら(昭和40年代にできた)の食堂です。
正直、昭和レトロな雰囲気なんですが、なかなかおいしいのだ
壁一面に、年表だの家系図だのなんだの貼ってあります。
私らが反応したのはココ↓
うはー。山田 . . . 本文を読む
8月15日の朝が明けた。
っつか、あと1時間は寝ててもいいのに目が覚めて損した気分~。
やることないので、ツイッターみたいなヤツに書き込んだら、4分前にきーこさんも書き込んでた。起きてたのか、とネットで知る私w
昨日も碑だの桂さんちだのから、みんなつぶやきまくってたもんなw
はー、今日もカンカン照り!
朝ごはんは各自、昨日買っておいたコンビにおにぎりとかサラダとかパンです!
近くの喫茶店で幕 . . . 本文を読む
よーやく8月14日も夕刻に近づき…(でもまだ暑いっ)
菊が浜は夕陽の名所なんですが、いつ萩に行っても日帰りなので、日が沈むとこまで見たことなくて、チャンス!←これは日の出じゃろw
と思ったら曇りじゃ~ん…。
でも、こういう感じの風景、きっと150年前もそんなに変わってないと思う。
こういう景色、あの人たちも見てたんだろうな。
そう思うと、それだけでも嬉しいです。
向こうの山はお城山である . . . 本文を読む
久坂家(玄機誕生時代時代の)から4~50m。
お近くにお越しの節はぜひお立ち寄り下さい的な距離にある、村田清風先生別宅あとにも、ちょっと足をのばしました。
母屋は老朽化で取り壊されてしまいましたが、長屋門だけが残ってます。
もともと別の藩士の家だったのを買ったそうだ。
屋敷を売っちゃう藩士って、どういう事情なんでしょうね?
なんかそっちが気になったりしてな。
武家屋敷だなあー。いい . . . 本文を読む
宿で体と脳みそをいくらか冷却し、4時半から平安古(ひやこ)地区へ。
気候がよければ歩けるんだけど、今日そういう根性と体力は薬にしたくてもありませんて
写真見ると、曇ってるじゃんって思うでしょ…。でも、気温35度湿度80%、サウナなんすよ…
さて、平安古は、久坂玄機・玄瑞(義助)が生まれたところです。
兄弟っつても、20歳くらい離れてるらしい。両親がんばりすぎ(よけいなお世話)。
そして誕生 . . . 本文を読む
でもって、お城の近く、菊が浜沿いの宿に着き、まだチェックインできないので荷物だけ預けて、城下へ。
当初、萩博物館横の市駐車場に車を置いて…と思ってたんだけど、なんか不吉な予感がして、死ぬほど暑いけど徒歩で出た。
(そして翌々日、うちの隣のおばさんに「昶ちゃん、おととい菊が浜んとこ歩きよっちゃったじゃろ」言われた…。
なんで隣市に行ってまで隣の人に見られてるんだかw)
大通り(いや、別に大き . . . 本文を読む
3回目でいまだ萩に着いてもいない旅行記…私が運転する松陰先生号(ただの8人乗りレンタカー)は、右左折のたびに窓を拭きながら一路萩へ。…だって自分の車(ドイツ車)とレバーが逆なんじゃもん!ウインカー出したつもりが、ワイパーが動くという…。車は山の中で美祢市から萩市へ。それだけで歓声を上げる車内であった…道の駅「萩往還」で昼食としました。ええ、薩 . . . 本文を読む
つーわけで、レンタカー「松陰先生号」(奇跡的に借りられたのが松陰先生の誕生日だったというだけ)は、新山口駅というか、地名でいうと小郡を出発。
柳井田関門を何事もなく通過。
拙ブログ記事 「長州人同士が戦った関門」
そして幕末に藩論統一のための内乱の戦場となった大田(おおだ)と絵堂(えどう)を経由して萩へGOじゃ!
当然ながら、この道筋こそが、その当時も諸隊の士官(みほりん、市ィ、ヤジあ . . . 本文を読む
いやいやもー。
「何、最近の更新のなさ」と友達にも言われまくりまくりすてぃですが、ただ単にネタがなくなってるだけでやんす。
ペースダウンはしますが、ぼちぼち続けますのでよろしくです!
8月14日・15日、アメーバぐるっぽ「松下村塾☆幕末長州」の、壊れた皆さんと、萩で一泊オフ会を敢行しました。
ええ、3月に京都でやったヤツの後編みたいな感じで、今回も東京から福岡までの7人。
とにかく暑かった . . . 本文を読む