松岡の命日だわ!と思いブログを開く。
あらやんだ。2年ぶりだべさ…。
生きてましたよ。
がんサバイバーになったけどなw
(去年1月に切腹した)
最近どうかと言うと、変わらず松岡大好きなんですが、「歴史ファンですか」と言われると、なにか複雑な気持ちになるようになりました。
このめんどくさい複雑骨折した気持ちを、この際だから書いておこうかと思う。
ブログを始めた頃、単純に「歴史って面白いなあ . . . 本文を読む
7月5日は松岡磐吉の御命日でした。
ツイッターで「死去ネット」へのお参りをお願いするずぶやきをしたら、こんなにいっぱいお花が供えられましたー!
嬉しい!!
ありがとうございます。って私が言うなだけど。
最近思うんだけど…。
以前は「幕府方びいき」と言うと、だいたい新選組ファンだったんですが、最近は伝習隊!衝鋒隊!額兵隊!とかのファンもたくさんおられて、交流できて嬉しいです。
(別に最近増え . . . 本文を読む
招魂場めぐりの記事を溜めまくったため、もはや記憶が薄れてるところもあるという…
えー、厚狭(あさ)にあるm厚狭神社こと物見山招魂場です。
もとはこの横の山(物見山)のてっぺんにあったのを、少し下がったここへ移したもの(またこのパターンw)
といっても、それでも高台でしかも開けているので、明るく気持ちのいいところでした。
創建は慶応2年、毛利能登(藩家老)により、四境戦争の戦死者を祀るため . . . 本文を読む
慶応2年、国司家の練兵場に作られたのが、この万倉(まくら)護国神社の前身である、垰(たお)招魂場。
垰とは山口弁で峠のこと。
垰招魂場は今の場所よりだいぶ山の中にあったそうで、その旧社地の方には行ったことがありません。
現在は、その後の戦争での戦死者もあわせて祀られたこの護国神社に、垰にあった招魂墓碑も移動されています。
国司信濃の像もしっかり。
幕末維新動乱での戦死者は33柱です . . . 本文を読む
宇部市船木にある「船木護国神社」、旧名「鳶巣招魂場」または「厚狭船木招魂社」。
慶応3年にこの近く(と思う)の鳶巣山の頂上に作られました。
さすがに参拝しづらくて、現在地(国道2号線脇の平地)に移鎮されたのが、皇紀2600年ってことで昭和16年とのこと。
私が最初に行った時(2013年)はわりあい大きい拝殿が建っていました。古くなって傷んでたけど。
ところが、2度めに行った2017年 . . . 本文を読む
町田梅之進自刃地です。(行ったん2015年10月なんですけど…書いてないことに今気づいた!)
山の中の萩往還沿いにひっそりと小さな石がうずくまっていました。
町田は、長州藩が俗論・正義派に分かれていた頃、それを調停する「鎮静会議員」として活躍した人。
萩のサイトによれば「後に馬関攘夷では、藩の先鋒隊して藩主の護衛にあたり、幕府の長州征伐では、千城隊に属して広島方面に出 . . . 本文を読む
11月17日、東京にて、箱館戦争関係者慰霊祭「流星忌」が催行されました。
場所は、松岡磐吉・柴誠一・和田春造の松岡兄弟が眠るお寺。
私は松岡・柴の墓所は5年近く前に両ご子孫に教えていただいたので知っていたのですが、私が公表すべき立場ではないと思ったので、一切誰にも教えたことはありませんでした。
しかし、けっこうあっさり見つけちゃったのがフェイスブックで知り合ったオジサンたち(笑)。
今回の慰霊 . . . 本文を読む
いやー、いつ以来だ(生きてます)。
新暦命日(8/20)を前に、久々に推し(松岡磐吉)の新しい記述に巡り合った!
海軍有終会の「有終」から。「有終」は気になりつつ未チェックだったので大収穫!
松岡がこう言った、こうした、と直接見聞した人(蟠龍乗組・横井貫一郎時庸)が書いてるから嬉しい!!
たとえば・・・宮古湾海戦の帰り、回天と出会った時、回天(甲賀が戦死しているため艦長代理は荒井郁之助)に「 . . . 本文を読む
「真田丸」に夢中。
もうほんとに隅から隅まで面白い!
13日の放送も神回だった。いやもう全部神回かもしれんが←
中でも本当に素晴らしかったのが、
「向こう(敵方)にもここに至るまでの物語があるのだろうな」
「聞いてみたいものです」
というセリフ。
これよ!このスタンスだから、真田丸は面白いんだよ!!
これまで多くの大河ドラマが「主人公側は正義で、その敵方は悪」みたいな描き方をしてきた。
. . . 本文を読む
今晩のブラタモリでチラッと言ってた、
「学者としては、新たに判明した史実を公にしたかったが、それでは都合の悪い、ある人達が発表させなかった」
という57年前(昭和34年)の話。すごーくよくわかる。
何しろ、今でも同じようなことはたくさんあるから!
57年前、発掘調査で「今の大坂城の土地は、豊臣大坂城を完全に無くして、その上に徳川が盛大に盛り土をしたものだ」とはっきり解明されたのだけど、「大阪人は . . . 本文を読む
ご先祖さまに興味があって、ちょっと前までのご先祖様は除籍謄本などを取って調べてました。
でも、「壬申戸籍の壁」(壬申戸籍-じんせんこせき-とは、身分が記載されているため閲覧禁止になっている明治5年の戸籍)で、さかのぼりが途切れていました。
そこに出てきた、父の姉からの古い手紙。
父は末っ子で、家のことを何も聞かずに育ってるんだけど、年の離れたお姉さんが「あんたも知ってなさい」って感じで書いてくれ . . . 本文を読む
昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」にはほんとに期待していました。
37年?38年?ぶりの幕末長州ということで(そう、あの「花神」は超名作です)。
でも、毎週楽しみにして見ていたのは松陰が生きてた間くらいで、だんだんお義理で見るくらいになって、禁門から後は本当にどうでもよくなってしまいました。
なんといったらいいのか、脚本に不快なことが多かったんです。
主人公があれにもこれにも首を突っ込む。当時の女性 . . . 本文を読む
私しかうひょうひょしないネタ。
「あさが来た」でお馴染みの五代才助(友厚・薩摩藩)、日赤作った佐野常民(佐賀藩)、アタシの(←ヤメロ)松岡磐吉(幕臣)は、みんな長崎海軍伝習所同期生(二期)である。
まあ箱館戦争で松岡が沈めちゃった朝陽艦長、中牟田倉之助(佐賀藩)もそう。
ちょっと面白いのは、当時は幕臣と諸藩士の間には大きな身分差があったのに、伝習所では仲良しとまではいかなくても、普通に知り合 . . . 本文を読む
年末から、ふとした拍子に幕府艦船「奇捷丸(きしょうまる)」の原名を調べていました。伝わってるのは「タパンニョー(ta-pang-nyo)」。
当時英国から買った船には、中国絡みの名前がついているのがけっこうあった。太江(ターキャン。日本では大江丸)とか仁記(ジンキー。日本では順動丸)みたいに。
でも彼女たちには漢字表記が併記されているのに、奇捷丸だけはそれを見た記憶がないんです。
そこでFaceb . . . 本文を読む