長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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幕末海軍の魅力を司馬遼太郎が書いてます

2013年12月09日 | ★松岡磐吉・旧幕府海軍・箱館等
私の大好きな幕末海軍って、7割かっこよくて3割笑える(てか可愛いw)んですよ。
のちのガッチガチの軍隊とは全然雰囲気が違います(いや、のちの軍でも海軍は洒落っ気の点でかなり陸軍とは違うようですが)。

で、「幕末の海軍て、何がそんなに面白いん」って聞かれたら、分析能力のない私には「えー。だってかっこいいしー。ちょっとおまぬけでかわいいしー」と、くだらん答えしか返せないんですが、ソコントコ、かの司馬遼さんが実に明快に書いておられるのを紹介しようと思います(改行・行あけを加えています)。


 十九世紀における「海軍」というものは、その後の海軍という想念からは、光景として異なっているようにおもわれる。
先進国においてもきわだった科学技術の総合組織であったし、同時に、世界というものを認識したり把握したりするための重要な国家的手段だった
といっていい。

 まして、アラビア数字でさえ、蘭学を学んだ者以外にとってははじめて見る形象であったこの当時の日本の段階では、海軍に関するあらゆる学科が、先進文明の知恵の結晶のようにおもわれた。

 さらには、海軍に参加することそのものが鎖国人にとっての世界認識を一変させることであり、受容者の感受性次第によっては、政治、外交、経済などすべての分野にわたって脳細胞がはなはだしく刺激された。

 ともかくも、幕末における「海軍」という文明受容は、明治以後のそれよりも、いっそうふしぎな作用があったと考えられていい。
この文明への参加者たちは、その知的習得もしくは肉体的習得にはなはだしく労苦をともなううえに、つねに遭難という生命の危険にさらされる場であったために、新文明といっても浮薄な見聞者流になることからまぬがれ、多くは封建武士のなかで独特の風骨をそなえる結果になった。

 勝海舟榎本武揚が、この当時の海軍を経ずに単に机上のオランダ学者でおわった場合、かれらはべつの人間になっていたにちがいない。
 ほかに、伝習所をへた幕臣のなかには、たとえば中島三郎助、佐々倉桐太郎、鈴藤勇次郎、矢田堀景蔵、小野友五郎、肥田浜五郎、浜口興右衛門、松岡磐吉、山本金次郎、赤松大三郎(則良)などがおり、かれらについての漠然とした共通性をあげると、いずれも鮮烈な新文明への感受性をもちながら、その後に見せた行動と節義の点で、頑質なほどに浮薄でなかったということがいえるかもしれない。


    「胡蝶の夢」(一) はるかな海 より    司馬遼太郎



うおおお。やっぱ司馬さん見事だわ。
私はいわゆる「司馬史観信者」ではないんですが、この人の小説はダントツにほかの人の作品より面白いと思うし、何よりこういう「分析」にたびたび感動してしまいます。
これなんかもう同意しすぎて首の骨が折れるくらい納得してしまった。

・・・そーなんですよ。そーなんです。
だから幕末海軍がかっこよくてちょっとワタワタしてるとこも可愛くて、ほんとに若々しい魅力があって好きなんです!



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