こちら の萩城を撮影したのは、小野為八と伝えられています。
こちらに載せた、みほりんや市ィたちの集合写真を撮ったのもこの人らしい。
為八っつぁんは、文政12年(1829)、御雇医の山根家に生まれ、子どのも頃から藩医小野春庵のもとで成長。
17歳の時に吉田松陰に兵学を学び(って、明倫館でってことかい?)、その後長崎で洋式砲術を勉強。
安政5年(1858)、30歳の時に松下村塾へ入門。
その年 . . . 本文を読む
浮世絵の萩城です。
シブイっしょ?
しかもこの浮世絵師さん(防府市在)は29歳だか30歳だかの若い方なんですよん。
若い人がこういうもの作ってるって嬉しい。
萩城は別名を指月城(しづきじょう)。
もちろん今は天守はなく、石垣だけです。
木戸サンが「新政府のリーダーたる山口は、廃城令に真っ先に従うべきだ」って、とっとと壊しちゃったんで。
ま、木戸サンが壊さなくても、どうせ残らなかったんだろう . . . 本文を読む
山口市は盆地で、どの方向から入る時も、今でも峠道かトンネルを越えます。
車なんかだとあんまり意識しないけど。
文久3年(1863)、萩にいては不便ということで、幕府の掟を軽やかにスルーして藩庁を勝手に山口に移転した長州藩。
その「首都」になった山口を「外敵」から守るために、いくつかの関門が設けられ、基本的に他国人は入ることができないようにしました。
現在の山口市と防府市の境に残っているのが . . . 本文を読む
なんかもー、ただの馬鹿話
昨夜から今朝にかけてピグで大騒ぎw
たまたまウチの部屋で…。
部屋の定員は10名なんだけど、途中で来たりょうまさんに「内藤さんの部屋 2人待ち、ってなってた」と言われた。
どんだけ大人数なんだww
左から、山田顕義さん、手前の女子がみんかさん、私、山地元治さん、周布政之助さん、
女子がyuihouさん、青い髪が高杉晋作さん、色黒チリ毛wが岡田以蔵さん、手前がりょ . . . 本文を読む
さっき使ってて、ふと気付いた山口弁。
「~してやる」
「~してある」
に当たる言葉が同じです…。アクセントも
意味全然違うのに。
「字が下手じゃけー、代わりに書いてくれんかいの」
「ほんなら、しょーがないーけー、わしが書いちゃる」
(「字が下手だから、代わりに書いてくれないかね」
「それなら、仕方ないから私が書いてやる」)
って使うし、
「ここ、禁煙なそ?」
「うん、あすこに書いち . . . 本文を読む
今日は雑談ばかりいくつか。
【1】誰だ、この王貞治は。
ガラスが光って光ってどうしようもないですが、このポスター…_/ ̄|○
やっぱこれも、吉田松陰先生なんで…す…よね?
王貞治じゃなくてwwwww
どこにでも使用されている先生であります。
JR山口駅で撮影。
あー、この31,000円ってヤツ、去年日野に行った時(いやいや、目的は世田谷にあるうちの墓地の改葬のはすだったがw)使っ . . . 本文を読む
5月16日のブログに書いた通り、萩博物館で「そこかよ」とツッこまれそうなところにばかりツボってきましたが、でもね、本当にこういう見るのすごく楽しいです。
あの人も、あの人も、「歴史上の人物」とか、まして「偉人」だのなんだのである前に、普通に人間だなあ~と思う。
本人にしてみれば、そんなモンさらすなーって言いそうな物もあるけど、それらこそが彼らを「等身大の人間」にしてくれる。
土方歳三だってそう . . . 本文を読む
萩博物館に「倒幕エネルギーの系譜」展を見に行ってきました。
昼ごはん食べてて突然決心して
今、萩の城下は、めっちゃ夏みかんの花の匂いムンムンです。
で。
やっぱ地元だなあ~と思うのは、かなりすごいものがあるにもかかわらず、当たり前っぽい雰囲気であること。
宣伝もそんなに騒がしくやってないし、でも行くと結構すごい。
吉田松陰先生とその門下生の書簡、書、所持品などが色々展示されていた . . . 本文を読む
勤皇の女流歌人(婆ちゃんですが)、勤皇志士たちの母と呼ばれた、野村望東尼。
(一般に「もとに」と読まれることの方が多いと思いますが、「防府市望東尼会」さんの見解では「ぼうとうに」に統一、だそうです)
・・・のお墓(防府市桑山)に行ったんですが、望東尼さんのお墓よりも隣が気になった
高知藩士田所荘輔
元治元年九月廿九日自盡
於招賢閣中而死年二十五
自盡(じじん)は字の意味からしたら . . . 本文を読む
例によって、月の10日過ぎは帰りが遅くてつい更新が途絶えてしまいました。
(と言いつつアメーバピグにはログインしている件…)
5月11日は命日祭りでした。
明治2年5月11日(1869年6月20日) 土方歳三
は基本なんですが(なんの基本だ)、ピグで他にもいると教えられてびっくり
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日) 武市半平太
慶応元年5月11日(1865年6月4日) 岡田以蔵
. . . 本文を読む
おおお
今ピグで(しかも原始時代でw)、いつも会うのとは別の「高杉晋作」さんと邂逅してしまいました
似てるwww
しかも入ってる部活に「遊撃隊」とか「力士隊」があった…どんだけ~
幕末長州好き女子ピグは「パトロン隊」も作ったらどうだろうw
(パトロン隊は、女性だけの「諸隊」の一つ。銃の紙薬莢=パトロン を作ってた)
原始時代でダラダラしゃべってしまいました。
楽しかった
34人目の . . . 本文を読む
史跡とかではなくて、普通の墓地・・・かなり古くからある墓地ですが・・・を歩いてて、ふっと目に留まったお墓。
先のとがった神式だったので、戦死者かな?とナニゲに見たら、こう刻んでありました。
海軍四等機関兵 ○○○○
軍艦高砂乗組
明治三十七年十二月十三日
清国旅順港沖
強行封鎖任務中戦死
行年廿九才
ああ!
この間読んだばかりの「坂の上の雲」。
二〇三高地が陥ちたあと、港内 . . . 本文を読む
防府の三田尻に行ったので、お茶屋町の「英雲荘」に行ってきました。
なんかここ、名称が複雑です
もともとは毛利家の「お茶屋」(参勤交代なんかの時の藩主の休息所&迎賓館、まで言ったら大げさかも知れんけど、藩の公式接待所)。
地名も現在でも「防府市お茶屋町」です。
でも地元の人は「英雲荘」と呼ぶ。
これは昭和14年に、ここが毛利家から市に寄贈された時に付けられた名前。
英雲公とは、藩の財政再建 . . . 本文を読む
本日も、へろっとした話なんですが
リンクさせていただいている山笑さん(萩往還を歩く)のところで、またどうしようもなく、あほな話になりまして。
大村益次郎が毎日のように越えた峠道を歩いてみた山笑さん、頂上でふと「あっ、ケータイ忘れたっ!ってことになったら…」と想像してしまったと。
もちろん藩のケータイなんですよ、コレ。
周布さんは「藩のケータイじゃけ、私用につこうたらいけんぞ」と言うのだが、 . . . 本文を読む
今日、端午の節句は、土方歳三の誕生日なんですよ。
もちろん実際は旧暦だったので誤差がありますが。
175年前。
・・・って言うと、意外と前じゃんって気がする…。
とりあえずお誕生日ケーキでも。
↑ ↑
確実に殴られるwww
冗談はさておき。
あんまり関係ないけど「坂の上の雲」を読んでて、陸軍の指揮のトホホっぷりに頭にきてしまいまして、ふと思いました。
「土方さんが指揮官だった . . . 本文を読む