長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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船木招魂場 社殿があったり消えたり建ったりw

2019年05月16日 | ★幕末維新の長州
宇部市船木にある「船木護国神社」、旧名「鳶巣招魂場」または「厚狭船木招魂社」。
慶応3年にこの近く(と思う)の鳶巣山の頂上に作られました。
さすがに参拝しづらくて、現在地(国道2号線脇の平地)に移鎮されたのが、皇紀2600年ってことで昭和16年とのこと。

私が最初に行った時(2013年)はわりあい大きい拝殿が建っていました。古くなって傷んでたけど。






ところが、2度めに行った2017年2月にはその社殿がきれいに更地になっててびっくり。



ちょうど招魂墓石の通路をきれいにならすような工事をしてる人がいたので「お宮、なくなったんですか」って言ったら「はあ守る人らが高齢じゃからね。傷んじょったから、倒れたら危ないからって、のけてしもうたんよ。会(遺族会?)も、今やりよるこの工事が最後で解散するらしい」という返事。

ああ、またここでも。
招魂場は、ほんとに幕末維新期の人だけのものと、その後の戦争での戦死者まで祀られてるものがあって、後者の場合まだ「遺族会」があったりするんですが、それが高齢化していて活動がままならなくなったり解散したりしてます。
古い人しか祀られていない前者は言わずもがな、放置に近い荒れ方になっているところも。




幕末動乱期の墓碑は、左側に整然と並んでいます。2017年の工事でこんなにきれいになりました。



「忠魂碑」の文字は山縣有朋。



これはなんだべなあ?読めん!
なんとかかんとか桜花
死してぞのちの名こそ惜し・・・




・・・で2018年、偶然ここ通りかかったら、ちいっちゃいですが社殿が新築されてた!
そりゃ、おいなりさんみたいな小さいお社ですが、またちゃんと建ててあって本当に嬉しかったです。


ちなみに、ここを建てた時の記録が残ってて、地区ごとに趣向を凝らしてまるで余興大会気分だったとか。
そっちに比重行きすぎて仕事がはかどらず、結局ほかから人を雇ったとまでww
意外と堅苦しいものではなかったんじゃなあ、招魂場建設って。
ということは、出来てからも厳粛な祈りの場と言うよりは「よう帰ってきたのう、さあ一杯飲め」みたいな感じだったのかもしれません。
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