高杉晋作が
「面白き こともなき世を 面白く」
と書いて力尽き、枕頭にいた野村望東尼が
「すみなすものは 心なりけり」
と書き足したところ、
「面白いのう」とつぶやいて息を引き取った。
ってのは、創作だそうですね
あの句は高杉が亡くなる4ヵ月くらい前には、もうあったそうです。
話ってそんなもんかもね。それもいいけどね。
写真は防府天満宮にある碑。
この碑は高杉ファンも意外と知 . . . 本文を読む
あっしの父方のひい爺さんは「長州萩藩上士の家に、文久元年生まれ」。
長じた頃には明治になってたわけですが、もらった嫁さんが「徳川家直参の家に元治元年生まれ」。
思 い っ 切 り 敵 や ん w
その前に、どっちも幕末の動乱の時、ヘタレていた人たちのような気がする~
長州では上士が、幕府方では旗本が使い物にならなかったといいますからねえ^^;
だから奇兵隊をはじめとする諸隊、そして新撰組 . . . 本文を読む
「高杉晋作の憂国の楓」は、なぜかあんまり有名じゃない気がするのですが、例の松田屋ホテルに残っています。
ここは奥に鉄筋高層の新館が建っているものの、庭は昔ながらの純和風。昔をしのばせるに十分な趣を残しています。
以前、ここの方とちょっと話をした時、ふっと言われた「どうも高杉は乱暴者だったらしくて」という一言が、妙にリアルでした。
今ここに高杉がいて苦笑いをしそうな。
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毛利敬親公は、保守革新どちらが政権をとっても「そうせい」(そうせよ)と言った事で、どちらからも暗殺されず明治の代を迎えたといわれています。
暗愚であるとはっきり書かれているものもあります。
でも毛利家にたいへん近い方に聞いた話では「そうせい侯」ではなかったとも。
「そうせい侯」と呼ばれていたという、はっきりした文書は残ってるのかな?
いずれにしても、暗侯ではなかったと思います。おそらく、上士も . . . 本文を読む
今では「松田屋ホテル」というが、まだ古い趣も残ってます。
写真は「維新の湯」で、ここに志士も入ったとか。
それにしても仕事中「今日昼から萩に行きます」「蒸気船饅頭買って来てー」
「ちょっと松田屋にこれ渡してきます」「誰か防府に行くんじゃったら、毛利邸寄って来て」なんつー言葉が飛び交うウチの職場であるよ。
長州じゃのー。 . . . 本文を読む