慶応2年、国司家の練兵場に作られたのが、この万倉(まくら)護国神社の前身である、垰(たお)招魂場。
垰とは山口弁で峠のこと。
垰招魂場は今の場所よりだいぶ山の中にあったそうで、その旧社地の方には行ったことがありません。
現在は、その後の戦争での戦死者もあわせて祀られたこの護国神社に、垰にあった招魂墓碑も移動されています。
国司信濃の像もしっかり。
幕末維新動乱での戦死者は33柱です . . . 本文を読む
山口県には全国最多の22の招魂場があります。
って話は何度も書いてるんですが、招魂場っていうのは戦争で亡くなった人を祀った神社です。お骨は入ってません(遺髪・遺品は入ってる場合もあるが、何もないのも多い)。
発祥は、奇兵隊の戦死者を中心に祀った下関の桜山招魂場です。
桜山のような、広くて宮司さんもそばにおられるところは希で、だいたいは無人でめったに訪れる人もない感じのとこが多いです。
招魂墓碑に . . . 本文を読む
招魂場(招魂社)のことは何度も書いてるんですが、要するに、維新殉難者を祀った神道式のお墓で、遺体は入っておらず、その一帯は神社になっているものです。
山口県には22あります。
全部行きたいんだけど、なかなかねー。
で、岩国招魂場に行ってきました。
・・・去年の秋口に ←・・・・
ネタが発酵しそう _ノ乙(、ン、)_
岩国の場合、墓石は、社殿を横・後ろから囲むように建てられています。
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元治元年(1864)7月19日は禁門の変(蛤御門の変)。
147年前の今日です。
(そりゃま、旧暦ですから厳密には違いますが、こういう日付は新暦に換算する必要はないと思います)
無謀な上京で、長州は朝敵となり、心身ともに徹底的に叩きのめされました。
戦闘で死ななくても、負傷したりはぐれたりして戻ることも叶わず、たくさんの人が道端や河原で自刃しました。
山口県の招魂場に行くと「元治元年七月十 . . . 本文を読む
山口県にある22箇所の招魂場をコンプリートするのが夢なんですが、全県に散ばってるのでなかなか。
とりあえず、宇部の「維新招魂社」に行って来ました。これでまだ8つ目かあ。先は長い。
で、その招魂社自体の話はまた別に書きますが、ここに面白い碑がありました。
献 装条銃拾六挺 ■方隊中
装条銃とは、銃身に溝を刻んだ(=ライフリングした)銃のことで、要するにライフル。
ゲベール銃の銃身の . . . 本文を読む
4月5日に上からの風景を載せた、下関の桜山招魂場(桜山神社)再び。
391の人生、391のドラマがあったんですよねえ…。
ここには、高杉晋作が作った漢詩と歌が書かれています。
猛烈奇兵何所志
要将一死報邦家
尤欣名遂功成後
共作弔魂場上花
弔む羅和留 人尓入るべき 身なり志尓
弔む羅宇人となるそ は津か志
謹弔
霊魂
故 奇兵隊士 東行狂生
慶応元年八月 招魂場 . . . 本文を読む
桜は咲くわ、超快晴だわで、ガマンならず突然行ってきました。
下関の桜山神社、旧称「桜山招魂社」。
文久3年(1863)、高杉晋作が発案し、翌々年の慶応元年(1865)に作られた、維新殉難者の最初の招魂場です。
主に奇兵隊関係者が祀られています。
よく見る写真はこういうの↑ですよね。
真ん中が吉田松陰、両隣が高杉晋作と久坂玄瑞、その隣が入江九一と吉田稔麿。
せんせーのがちょっと大きい( . . . 本文を読む
山口市小郡山手招魂場に不思議な光景がありました。
招魂墓碑は当然仏式ではなく神式で、細身で先がとがって背が高いです。
名前の下には「神霊」とか「神位」とかって言葉がついています。
ところがこのお墓には、隣に仏式の小さなお墓が寄り添うように建っています。
刻まれているのは○○信女。
ということは成人女性です。
そもそも招魂場の墓と言うのは、実際に遺体やお骨を埋葬した墓ではありません。
. . . 本文を読む
朝日山招魂場にありました。
明治元年戊辰 於奥州帰路 十二月九日 於浪花 見暗殺 行年二十九
厩卒 虎助
当時の感覚から言えば、外国まで行ったくらいの遠い戦場から生きて帰り、その帰り道に大阪で暗殺
(「見暗殺」とは「暗殺される」の意)
いったい何があったんだろう。
厩卒ということで、兵士ではなく馬丁です。
隊は鋭武隊だったらしい。
給料出て、ちょっと浮かれて遊んでて「ちっ長州の野郎が」 . . . 本文を読む
そして話は続く。
墓碑倒壊の山手招魂場ってのは、史料によると「旧社地」となってて、神社としては昭和21年に、近くの栄山公園に移鎮されてる。
その時点で、その後の戦争の戦死者も祀り、「山手招魂場」あるいは「吉敷小郡招魂場」から「栄山(さかえやま)神社」に名前も変わった。
ってことらしい。
移鎮した時、なぜ幕末の戦死者の招魂墓石も移動しなかったのかは不明です。
まあ、忘れ去られたように荒れていた . . . 本文を読む
というわけで(何が。)、一昨日の記事に書いた朝日山招魂場をあとにして、新山口駅にわりと近い、山手招魂場(栄山(さかえやま)神社)へ。
山手招魂場は、諸隊のひとつ、集義隊が作った招魂場です。
集義隊ってのは、尾張かどっかにもありますが(ありがちなネーミングw 遊撃隊もそうだけど←長州にも幕府方にもある)。
集義隊はのち、八幡隊と合併して鋭武隊となります。
集義隊の地元が、ここ小郡。
それがさ . . . 本文を読む
招魂場(しょうこんじょう)の墓碑には、正面に名前、側面に亡くなった時のデータが刻まれています。
いつ・どこで・どのように。
だからリアルで、胸を打つものがあります。
でも中には・・・・
「不知所終」・・・終わる所を知らず、と書かれたものも、いくつもあります。
日付は元治元年7月19日、つまり禁門の変(蛤御門の変)の日です。
ただ大敗しただけでなく、追われて、整然と退却することも . . . 本文を読む
今日は念願の、招魂場参り×2を敢行。
・・・思った以上に登山会だった・・・・・orz
でも、すごく行きたかったので満足満足です
まずは朝日山招魂場(朝日山護国神社)から!
山口市秋穂二島(あいおふたじま)にあります。
北越戦争激戦地と奇しくも同じ名前ですが。
慶応元年(1865)、諸隊のひとつ、八幡隊(のちの鋭武隊)によって創設。
っていうか、4月4日起工、8日竣工って早すぎないか…
めっ . . . 本文を読む
招魂場(しょうこんじょう)ダイスキ内藤ですw
幕末の戦いで亡くなった人を祀った場です。
基本的に遺体は葬られていません。
何もないか、埋めてあるとすれば髪や持ち物だそうです。
長州には全国で最も多い、22箇所の招魂場があります。
いつかコンプリートしたいものだ…。
作られて以来、近くに移鎮(移転ね)したケースはあっても、なくなってしまったものは一つもありません。
その中の一つ「江良(えら) . . . 本文を読む