ひょうきちの疑問

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2020年のアメリカ大統領選以後はムチャクチャ

授業でいえない「公共」 4話 和の精神

2024-02-17 06:56:00 | 高校「公共」

青年期のところです。パーソナリティーの類型としてクレッチマーの3類型。痩せ、太ってる人、それからキン肉マン、そんな感じです。
それに対してユングというのは、内向型、外向型を言った。このほかにそのユングで注目されてるのは、氷山の一角の自我の下に無意識がある。しかしもっと奥があるという集合的無意識を唱えた。これはどこまで行くのかわからない。これがその意味するものは、このあと思想面で、理性という言葉がよく出てくる。これはヨーロッパの得意技なんです。意識で考えるんです。しかしだんだん分かってきたことは、意識が100%と思ってきたのが、ホントは10%もないんじゃないかとか。前にも言ったけど、自分の夢をコントロールできる人はないでしょ。夢は変な夢でしょう。自分は変態じゃないかと思うぐらい変な夢を見る。あれがそれでいいのは、半日もすると、あれっ変な夢を見たんだけど、何の夢を見たのか忘れていく。だからいいんです。あんな強烈なイメージの夢が、うなされてウッと起きたりする。あんなイメージが一日中続いたら、とても嫌な一日になるけど、2~3時間で、何を見たかなと、忘れていくからいいんです。そういう動きはコントロールできない。ということは理性は万能じゃないんじゃないか、という考え方になる。これは結論でてないですけど、そんな話がいっぱい出てくる。19世紀末あたりから。

ユングはそういう心の深みに入っていく人ですね。
だからこの人を嫌いな人は、何と名付けるか。カルトというんです。確かにカルトはカルトであるけれども、しかしよく分かってないものを、分かっていないからと言って閉じ込めで、それでカルトと言われたら、何も考えられなくなる。分からないものを考えていかないと科学的ではないでしょう。でもこれが嫌いな人は嫌いなんです。おもしろい人はおもしろいんですけど。そういう何とも言えないところがあるんです。私が別に結論を言えるわけではないけど、そいういう話もあります。

君たち青年期にとって、大事なのは、人間にとって大事なのは、自己実現という言葉が前に出てきたでしょう。これも何なのか、けっこう難しい。いくになってもこれは目標なんです。私も60年以上生きているけれども、別に死にたくはないけど、60数年以上生きていると、明らかに今まで生きた時間が長くなる。平均寿命が80年とすると、もう400メーター走の第3コーナーをかなり回っている。そしたら次に死に方を考えないといけない。それをうちの家内に言ったら、努力しなくても人間は死ぬから、そんなことを考えなくてよろしいという。それはそれで悟った考え方だと思うけれども、いかに生きるかというのは、いかに死ぬかというのと、さほど変わらないような気もします。これはずっとついて回るんです。

その前に君たちは、アイデンティティの確立というのをしないといけない。アイデンティティの頭文字は「ID」です。身分証明書をIDというでしょう。これはアイデンティティの略です。自分が自分であることです。でもこれでは意味が分からない。しかしそういうふうにしか訳せない。自分が自分であることとは、どういうことだろうか。これは分かる者にしか分からない。漢字にすると自我同一性というけど、これでもよく分からない。感覚でしか分からない。自我が同一する。こういうことを言った人がアメリカ人のエリクソンです。名前を覚えておいてください。
青年期、大人と子供と中間地点にある人のことを、マージナルマンとかいったでしょう。大人なのか子供なのか分からない。両方から引っ張られるわけですよ。君たちここにいる。右に引っ張られて、左に引っ張られて分裂する。これが一番の危機です。


人間にはいろいろと自己実現の波があるけれども、18歳、20歳前は特に高い。一番最初にハードルがある。それはなぜかというと、子供の世界、大人の世界の分かれ目だからです。これは体だけでなく、社会的にも違う。子供は無責任です。それでいいんです。大人は、自分がやって失敗したことは自分の責任で解決しないといけない。解決しきれずに、むかついたからといって人を叩けば、ひどい場合には傷害罪で手が後ろに回る。それも責任を取り方です。子供には責任は問えない。子供は悪いことしたら叱られるけど、大人と同じような責任は問えない、という社会の良識があります。


しかしこれも、あとでやっていくけど、子供の人権とか言われて、人権を認めた以上は、権利と責任は一体ですから、子供にも大人と同じような責任を認めて行こうという動きはあります。上のほうから。上というのは国際社会ですけど、そういう動きもあります。ただ救いは、日本は民主国家だから、どう考えるかというのは最終的には国民の選挙で決まるはずです。これはバカな政治家がやったら、バカな政治家を選んだのはバカな国民です。そういう理屈にしかならない。民主国家というのは。


なかなか難しい面はあるけれども、こういうふう青年期の課題が発達課題です。これ波がかなり高いということは知っていてください。かなり高いです。やりそこなうと、どうなるか。心を病むんですね。これをアイデンティティの拡散という。これはアイデンティティの危機ですよ。アイデンティティが拡散すると、いっぱいあちこちバラバラと分裂症みたいになる。二重人格とか、小説の世界であるでしょう。二重人格というのは、昼の顔と夜の顔が別で、夜になると人格が様変わりして、朝になったら元の自分に戻るけれども、人格が別だから、夜の顔でどんな悪いことをしていても覚えていないんです。それは責任問えないという。精神的な病だから。免責されるんです。私も見たことないけど、小説では呼んだことはある。これはアイデンティの拡散でしょう。自分は自分で一体化しないといけない。

こういったときに普通考えるのは、では自分はどうあるべきか、ということです。君たちはまず自分ですけど、十年後君たちが結婚して、子供をもったとする。子供が君たちぐらいになっていくと、大人というのは、自分だけじゃなくて、自分がつくった子供、この世代が大人になったときに社会が一体どうなっているんだろうかということが、妙に気になるんです。自分の子供の世代がどうなるか。そのときには、自分たちは死んでるから、考えなくていいかといえばそうかも知れないけれども、でもこれは子供を持たないと分からないことではないです。世間が変わっていくと、この子供たちが大人になった時には、どういう世の中になっているんだろうか。自分は死んでるから関係ないといっても、気になる。
課題として、自分がどうあるべきかということを考えたら、必ず社会がどうあるべきかというのを考えるようになるんですね。なるというか、ならない人も100人に1人ぐらいいるかも知れないけど、多くの人はそう思うんです。

君たちは、まず自分のこと、これなんです。これが、今どっちに傾いているかというと、二つあって、自分と社会というのは永遠のテーマですね。個人と社会、自分と国家とか。でもこの自分が肥大化していく傾向にある。自分、自分、自分と。これを肥大化した自己という。逆に、この自分をもてあます人が増えている。これは本の名前とかにもあって、教科書には出てないけれども、このタイプが非常に増えてきて、こういう名前で呼ばれることもある。自己愛人間という。自分が可愛くて可愛くて仕方がない。ふつうは自分が可愛かったら、自分のことが分からないといけない。自分のことが分かれば、相手の気持ちも分からないといけない。だいたい同じなんです。だから分かるんです。しかし自分のことばかり考えていると、相手のことが分からない。このタイプが非常に増えてきている。これはあまりいいことではない。個性だ、個性だといっても、個性とは社会の中での個性です。教科書的に言うと、相互承認、社会における相互承認に気をつけなさい、ということです。そして自分のあり方を確立してください、と書いてあります。


【職業選択】
ただ社会を生きて行くときに、避けて通れないものが、金を稼いで自立していく、自立していくということです。自分の力で生きていく。そのためには給料が必要になる。誰もカスミを食って生きているわけではないから、まず生計を立てて暮らすということです。これは言わなくてもいいでしょう。
いくら金持ちだって、働かないほうがいいかというと、金を持っている人ほど仕事熱心な人が多いような気がします。金を持っているほど自分で商売を始めたりするし、そうすると全責任が自分にかかってくるし、熱心に仕事していく。そういう人たちのほうが多いような。その生計というのは、ただ単に自分のお金は生活費を稼ぐだけでなくて、その中で、さっき言った課題がある。これは君たちだけのテーマではない。20代、30代、40代、私のように60代になってもこのテーマはあります。うちの家内は、どうやって死ぬか、そんなことはみんな死ぬから努力しなくてもいい、という。でもどうするかなあ、人によっていろいろあるわけですね。あと10年、75歳まで生きるかな。あと20年生きるかな、それは誰にも分からない。別にそんなことを、はかなんでも仕方がないし、私の友達も、同級生なんかも、みんな同じようなこと考えてる。オレは絶対死なないとか、そんなこと言っても仕方がない。

ただこの就職する時には、自分が何に向いてるか分からない。だから自分と人との違い、オレは人とこう違うんだ、それが大事です。それが分かると、今度は自分を試してみたくなる。これがインターンシップです。今どこの高校もやってます。我々のころにはなかったけど。無給で職場体験する。

しかしその一方では、定職につかない若者もいる。働いてはいるけれども、アルバイトです。アルバイターです。アルバイトでもいいですよ。しかし、経済面でいうけれども、年功序列型賃金というのが、かなり崩れていったとはいえ、20代でもらった賃金と、かなり違います。アルバイトというのは、20代で時給1000円だったら、60代でもやっぱり1000円でしょう。正社員はこうなってない。人は30前後で結婚する、30代で子供を産む。その分の生活費というのは自分一人の時よりも必然的に増える。子供が小学校に行く。中学校に行く。ここまでは義務教育だからいいとしても、高校になると私立学校が地方にもできたから授業料が違う。大学に行くと、親元を離れていくと、これは大変です。地元の大学と、他県の大学は、ぜんぜん違う。下宿を借りないといけないから。昔は下宿だった。私のころは、地方の木造の古い下宿に住んで月5000円だったけど、今はアパート住まいです。東京では部屋代だけで5~6万です。それが12ヶ月だと5万として、年60万でしょ。その上に生活費と授業料が要る。とにかくお金が要るんです。そこを計算に入れておかないと、将来設計ができない。

でもアルバイトでいいという人。これをフリーターという。フリーアルバイターの略です。次に、無職で働かない人も出てくる。働こうとをする努力もしてない。これをニートという。昔はプータローと言っていた。仕事はと言うと、聞くなよ、オレはプーしてる。プーという。そういうスラング、俗語もありました。これが社会問題としてあります。

これに加えて、あと結婚しない、という独身者。これは人口問題につながる。少子化でしょ。この学校だって、20年前に私がいた時は9クラスあった。3~4年に1クラスずつ減って、8クラス、7クラス、6クラス、どこの学校もそうです。とにかく減ってる。君たちのお父さんたちの世代というのは、日本がバブルが崩壊して、そのころに高校卒業したぐらいです。とっても厳しい就職難で、その時代にかぶるんです。そういう時代もあります。

それであとは、自分を形成するためには、自分の家の中に閉じこもっていても、自分を見つめようと言うけど、その見つめ方は、部屋に閉じこもっただけで自分の鏡を見ていても分からない。社会参加が必要です。これは人と比較しないと分からない。人の動きと。オレは、彼のようにはできないとか、でもたまにオレのほうがよけい知っているとか、人と違うことがいろいろあるわけですよ。そういうのを見つける。比較しないと分からない。そのためには社会に出ないと人と比べられない。昔のコマーシャルじゃないけど、「違いが分かる男」にならないといけない。女でもいいけど。

その社会参加の一つとしてボランティア活動です。このポイントは、自分からやるということです。人から言われてじゃなくて。最近、けっこう人から言われてのボランティアもあって、その見分けが難しくなりました。
あとは無償でということです。無給でやるということです。台風が吹いて災害があった。そういう時にボランティアに行くというのもいい。しかしあれは、行く人は行っていいんだけれども、民放・NHKはじめ、なにか言いすぎのような気もするんです。日本は福祉国家だから、災害復旧というのは基本的には、政府の仕事なんです。まず政府が責任もってしないといけないことです。日本の国民に対して。しかしこれが十分にできないから、ボランティア、ボランティアという。順番としてこれ(国)からこれ(ボランティア)、だったらいいけど、まず最初にボランティアを言う。それは順番が逆です。順番はけっこう大事です。順番、特に優先順番を間違うと、世の中はひどいことになる。

ある授業を見たことあるけど、ボトルのような容器のなかに、大きい石、小さい石、砂を入れる時、小さなものから入れたら、全部は入らない。大きいものから入れて、次に小さいものを入れて、最後に砂を入れたら全部はいる。この順番を間違うと入るものも入らない。順番というのはとっても大事です。優先順位です。一生懸命やっても、優先順位を間違うとうまくできない。
この話はいつあったかというと、君たちは小学校英語教育を習っている。英語教育が小学校にはいる時にもあった。それは英語はやっていいです。でも日本の小学校の教育というのは、日本の教育が強いのは実は小学校だった。20年前までは。日本の大学教育なんかは、東京大学だってアメリカのハーバード大学と比べたらずっと下だった。小学校教育が落ちていったころです。落ちていったころに、優先順番として国語、算数よりも、なぜ英語なのか、という批判があった。20年ぐらい前に。それでも英語が入っていった。優先順位というのは、意外と盲点ですけど、それを間違うとうまくいかない。


【和の精神】
実はここで切れます。次は日本のことです。日本のことに行きます。
日本の文化というのは、今の3年生の教科書までは、いろいろ思想家とか出てきていたんですけど、大きく削られてとても単純になりました。ここで出てきているのは、外国と比べて日本人の特徴は、違いが何かというと、この教科書では和の精神ということを言っている。これは1000年以上前からよく出てくることです。言い始めたのは、1400年前の聖徳太子です。奈良時代の前です。これは中学校で習ったでしょう。中学校の日本史で。君たちは1年生の時に歴史総合、これも新しい科目です。習ったといっても、それはほとんど産業革命以降です。1800年代以降です。それ以外に世界史には、古代史もあれば、1000年代の中世史もあるんですが、そこら辺はほとんど習ってない。いや君たちが悪いわけじゃないけど、習わないです。


次にソクラテスとかプラトンとかギリシア思想がでてくるけれども、ギリシアの社会というのが一体どういうものだったのか、基本に社会があって、次に政治があって、一番上にある哲学とか思想とか、そういうものがあるけど、その土台を知らない。土台を知らないのに、その上だけ教えろというのは難しい。どうやって教えようかと悩んでいます。時間も取れないし。


古代の聖徳太子です。日本史では本名、厩戸王(うまやどおう)として名前が出てくるけれども、この公民教科書では聖徳太子として出てきてます。その人がまず強調したものです。この人はとても不思議な人で、人によってはその実在を疑う人もいるけど、少なくとも彼のことが書かれた奈良時代には、和の精神というのが政治的に重要なテーマとしてとらえられていたというのは確かでしょう。


日本と西洋を比べてみたときに、どんな違いがあるかというと、日本は相手と対立することを好まない。一言でいうと調和的です。それに対して、ヨーロッパは対立的です。自己主張というと、主張するのはいいけど、一つの主張には必ず反対意見があって、自己主張する以上は必ず反論を覚悟しておかないといけない。みんな違うんです。違うのは当然です。
クラスに40人いて、みんながみんな金太郎飴のように同じ考えをしていたら、逆に気色悪いでしょう。みんなそれぞれ微妙に違うから話し合う。それが一発で、中国の全人代のように、賛成の人というと、みんなハーイという。それでは会議する意味がない。
全人代>第1回会議の第7回全体会議を開催_中国国際放送局


今の日本は個性、個性というけれども、その割には伝統的には、自分より集団、この集団性を非常に大事にする。それに対して西洋というのは、個人主義といわれる。言葉もあります。個人主義は一般的にいいます。ただ集団主義という言葉は、ちょっと曖昧です。

それから日本人は、これは我々もそうですけど、職場で飲み会に行く、グループで行くと、校長先生もいっしょに行く時、オレは上から何番目に座ったらいいか、これが分からないと、なかなか座れない。どうでもいいから早く座れと言われても、今日は無礼講だと校長先生が言えばいいけど、それでもあの先輩が上だとか、オレは何番目かなとか、みんな2~3分、立ったまま座席の配置を見ている。これはタテ社会です。タテの序列がないと、なかなか動けない。それに対してヨーロッパ人というのは上司の前でも、時々ヨーロッパの映画であるけれども、上司が自分の椅子のところに来て仕事の話をしだしても、部下は机に足を投げ出したまま上司と話す。上司は立ったまま、部下が足を投げ出して仕事の話をする。そういうシーンがある。日本人はそんなことはしないでしょう。そんなことしたら、なんだおまえ、その態度は、と腹を立てる。でもヨーロッパはそれでもいいんです。あんまり意識がない。これはネットワーク型です。

それから文化的には日本は、こう言われると恥ずかしいとか、恥の文化といわれる。これは戦後、日本がアメリカに戦争に負けた時に、アメリカの文化人類学者が日本の負けを見越したように、徹底して日本の文化を研究しているんです。これは戦後のベストセラーです。「菊と刀」といって。ルース・ベネディクトという女流学者が書いたんですけど。それに対してヨーロッパは罪の文化と名付けた。この人が。これはハッキリ言ってないけれど。日本は恥の文化で、レベル低いなと。それに対してヨーロッパは、これは神様ですね、キリスト教の罪の文化がある。こっちが上だ。そういう言外のニュアンスがあります。自分たちを上に見てる。

それから、最近では、意外ですけど、日本の「甘え」は難しい言葉でもなんでもないですが、ヨーロッパにはこの言葉がないという。これが日本文化の人間関係を特徴だと言ったのが、心理学者の土居健郎という人で、「甘えの構造」という本を書いた。これもベストセラーになりました。読んでみると、簡潔な言葉でおもしろいことを書いてある。甘えをお互いに許している人になると親友になる。親友になるから自分のことも分かってもらえるし、相手のことも分かる。これが一時流行った言葉で、空気を読め、ということにもなる。

でもこの空気を読み過ぎると、忖度(そんたく)をして、変なことになったりもする。公文書を偽造して自殺した人が安倍首相がらみであった。そういうこともあった。政治的な事件として。どっちが良いか分からないけど、甘えの反対側にあるのに、大人の社会ではこれが難しい。忖度(そんたく)という。上から言われてするんではなくて、これ言われそうだなという時に、言われる前に仕事やったりすると、株が上がる。上の覚えがめでたくて早く出世できたりする。それをやり過ぎると、この人はこうしてほしいと思っているけど、それを隠したがっている、それなら先にオレがしておくかといって、、、、、、、、、安倍さんも殺されたから、あまり言えないかも知れないけど。そこら辺が微妙なところです。これは今もこういう考え方は、けっこう大きい。日本の社会の中では、和を重視している。和を大切にするということです。

大人になってもあの人は有能だけれども、職場の和を乱す。これは最悪の言葉です。あの人はとても有能だけど、みんな嫌がるとかもある。和を乱すからと。これはとってもまずい言い方です。和を乱す人間というのは。それを聞くと、この人にはあまりお近づきになりたくない。

伝統文化と若者文化のところ。現代の若者というのは、討論しなさいとよく言われるけれども、討論というのは自分の主張をすることだけれども、自分の考えを主張すると必ず対立意見が出てきます。
この自己主張というのは、前にも言ったけど、自分の利益のことだけ考えて、主張するのが自己主張ではないです。自分の利益も相手の利益も考えた上で、自分の考えをいう。これが自己主張です。しかしそれでも、考え方の違いというのは出てくる。だから、それを恐れる。日本人の特徴として、もうちょっと滑らかな人づきあいをしたいという気持ちも出てくる。君たちもそういう雰囲気は分かると思う。


そこで大事になってくるのが、相手の心を読むという能力の高さ。これができる間柄というのは、漢字があるんですけど、阿吽(アウン)の呼吸とか、聞いたことないかな。仲がぴったりいい。何も言わなくても分かっているという。これを阿吽の呼吸という。そういうのを求めるのは、優しさの現れ、とも考えられる。断定じゃなくて、とも考えられるということが、教科書には書いてあります。ここらへんは微妙な言い方ですね。ここ30年、個性だ、個性だと、教科書は言い続けてきたけど、今はとてもモノの言いにくい世の中になりました。たぶん君たちもそのことを肌で感じていると思います。


【独立自尊】
しかし、150年前に明治維新になって、今まで見たこともない外人が来た。江戸時代の初めにちょこっとヨーロッパ人が来たんだけれども、そのあと江戸時代300年間は鎖国だった。そこにペリーが来た、それも大砲向けて来る。決して平和的に来たんじゃない。ペリーが来たあとは、それに対して、こんな失礼な奴とは戦わないといけない、戦わないのは日本人の名折れだと言って、そういう動きもありました。これを攘夷運動という。これは日本史で出てきます。中学校でも出てきたでしょう。そういう攘夷論がある。攘夷というのは、外国人を夷という、それを攘つこと、追い払うことです。それに対して、日本人もバカじゃないから、ヨーロッパがどんな手段でやるか、その10年前には中国がやられている。麻薬を売りつけられている。アヘンと言って。こんなもの買えるかと言って中国が断るんです。するとイギリスは中国めがけてボンボン大砲を撃ち出してくる。それで中国はアヘン戦争に負けた。そのことを日本は知ってるから、こいつらには勝てない、ということは知っている。

これに危機感をもっていた藩もある。例えば1キロしか飛ばない大砲をもっていて、これを10本買うのと、10キロ飛ぶ大砲を1本もっていたら、これ戦争の時にどっちが役に立つか。素人は10本あったほうが多くていいと思うかも知れない。1キロ大砲は太いし、頑丈に見えるんです。逆に10キロ大砲は細い、これはアームストロング砲といって。太い方が強そうに見えるけれども、逆です。こっちから打って、相手に届く大砲を一本もっているのと、逆から打って全然届かない大砲を10本持つのと、どっちがいいか。1キロ大砲は何の役にも立たない。その10キロ大砲をもっていた藩もある。そういうものを手に入れる危機感は、どこから来るか。長崎に出島があって、そこが唯一の貿易港です。そこから情報を取り入れている。
だから情報バッチリです。外人が何をするか、日本人は知っている。戦って勝てるか、勝てない。勝てないときに戦ったら犬死だという、これを分かったのが、1500年代の日本の戦国時代です。約100年間、そういう時代がありました。勝てない相手と戦っていたら、命がいくつあっても足りない。織田信長の前後ぐらいです。勝てない相手とは戦えない。そういう厳しい世の中のあと、やっと江戸幕府ができて、徳川将軍が天下泰平を続けていった。
天下泰平を続けていた時、日本が平和な時に、ヨーロッパではずっと三十年戦争とかユグノー戦争とか、戦争ばっかりしている。その結果、発展するものがある。戦争は普通は破壊されるけど、しかし戦争して発展するものが一つだけある。武器です。だから300年の間に武器の差が出る。その発達した武器を向けてペリーがやってきたものだから、これは戦えないとして開国論が出てくる。これで日本人同士殺しあう。しかし約10年です。10年は短いです。10年で決着がつく。中国なんかは30年、40年かかっても、まだ決着つかない。そして日本では開国派が勝った。これが明治維新です。


これは、なぜか知らないけど下級武士ばっかりです。伊藤博文とか大久保利通とか、家を見に行ってみると、小さな貧しい農家みたいな家です。彼らの生まれた家は。なぜこんな下級武士が急に偉くなったのか。どこで誰がどうしたというのは分かるけど、一番分からないのはお金です。こんな下級武士が、何でこんなにお金を持っているか。京都に行ったら芸者あげてワーワー遊んでいる。芸者遊びは、今でも一晩一人10万はかかる。ではどこからその金が出ているのか。それが分からない。


その明治維新の思想家で開国派、これが福沢諭吉です。知らない人はいないでしょう。一万円札です。九州の小さい藩、大分の中津藩という小さな藩の人です。これからはヨーロッパ文化だといって、日本は近代化をやっていく。近代化というのは、君たちが着ているズボンとかネクタイとか、女子が着ているスカート、これは日本の伝統的な衣装ではないでしょう。全部ヨーロッパ流じゃないですか。
昭和初期の、うちの親父の小学生の頃の写真をみたら、先生は紋付き袴です。本当はあれが正装なんです。

日本はここから近代化が始まる。近代化というのは何か。ほぼ西洋化と同じことです。勉強の方法から、考え方から、西洋流になっていく。こんなことをやってきた歴史が明治維新以後、150年間、日本にはあります。しかも、日本は西洋化の優等生です。日本はヨーロッパではないけれども、ヨーロッパ化して一番成功した国の部類ですね。
福沢諭吉が説いたのは、日本の国として何が必要かというと、独立自尊と言った。まず独立すること。そういうことを言いました。独立して堂々と自分の考えを持っていこうという。これが弁論とか自己主張とか、そういったものに繋がっていくわけです。

この自己主張というのもよく叫ばれますけれども、たださっき言ったように、日本の文化の中には、みんなが持っている自分の意識というのはなるべく出さない方が武士のたしなみだ、人間として1ランク上なんだ、そういう考え方もあるんです。
これは無私の精神ともつながる。人は人様で、自分のことはその次だ。自分のものは盗られても、人様の物には手を出すな。人は人様です。僕という一人称ですけど、僕は謙譲語です。下僕の僕です。私という言い方も、人のものを私(わたくし)するという言い方は、これは泥棒といっしょのことです。私するということは、決していい言葉ではない。だから一人称というのは謙譲語です。私とか、僕とか。無私の精神に似た言葉に、無我の境地とか、こういうものもある。これは仏教から来てますけど。仏教とキリスト教も、また違います。かなりちがう。あの人は無私の心がある人だとか言われるのは、これは最高の褒め言葉です。これは自分がないからダメだと非難されているのかというと、日本では無私の人だと言われるのは逆に最高の褒め言葉です。

終わります。




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