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「授業でいえない世界史」 29話 近世ヨーロッパ 植民地に乗り出すヨーロッパ

2019-04-27 04:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


【フランス】

 今ヨーロッパです。時代は1700年代にはいろうとしているところです。1600年代の終わりかけですね。
 前の時間にイギリスをやって、ピューリタン革命、別名、清教徒革命。それをやって、その同時代のフランスがルイ14世です。彼がパリの郊外に、なに宮殿を作ったんですか。ベルサイユ宮殿、今もある。そういう話をしたところでした。
 今日は、1700年代のドイツを中心にやっていきますが、そのルイ14世の話を、あと一つ付けたすと、いかにもベルサイユ宮殿で大金持ちみたいな印象を受けますが、実はフランスの国家財政は財政難です。財政難で金持ちからお金を借りまくっているんです。借りたものは返さないといけない。しかし返せない。オレは王様だ、借金かえさないぞと言うんです。こういうのをデフォルトという。何を失うか。信用を失うんです。あそこの王にお金は貸せないと。

 しかし好きな戦争は続けていく。全部負ける。なぜか。戦さが弱かったからじゃないです。お金がなかったんです。信用がないから、金が必要な時にお金を貸してくれる人がいない。それで負けます。では誰が勝つかというと、宿敵のライバルは海の向こうのイギリスです。そのイギリスが勝つ。これ実は借金力の差です。イギリスは借金できる体制をつくっている。
 どっちも借金という点では変わらないけど。借金で戦争する。フランスはデフォルトを何回も宣言して、いざという時にはお金を借りられない。
 しかしどちらも借金して戦争していくという構造が発生しています。ヨーロッパの戦争はこの借金をどこまで続けられるかに依存しています。どこまでも借金し続けることができた方が勝ちなのです。



【ドイツ】
 ではドイツに行きます。実はドイツは不思議な国で、ここは800年間ぐらいヨーロッパの中心であった。
 しかしその国はドイツとは言わなかったんです。神聖ローマ帝国といっていた。これがドイツなんです。その神聖ローマ帝国の領域がこの図なんです。今のドイツよりもだいぶ広い。


【オーストリア対プロイセン】 ただ、ここにはいろんな大名がいて、この神聖ローマ帝国の皇帝になる人はその一つの大名、つまりオーストリア王家なんです。これをハプスブルク家といいます。まずこの神聖ローマ帝国の領域を赤で囲んでください。今のドイツよりもだいぶ広い。イタリアまでかかっている。
 これが複雑なことに・・・オーストリアの大名が皇帝になるわけですけれども・・・ではこのオーストリア王家は、自分の土地としてどこに領土をもっているかというと、ここでは色分けしてないからわからないけれども、皇帝になるオーストリアの王の領域はというと、これだけなんです。もともとは。
 国の中で自分の領地を広げるんだったらよかったんだけれども、帝国の外側に自分の領域を広げた結果・・・隣がハンガリーというんですが・・・そこまで領地をもっている。神聖ローマ帝国をはみ出して領地を持つようになる。これがハプスブルク家というオーストリアの王の領地なんです。ドイツではこれがナンバーワン大名です。
 それを急速に追い上げてくるのが別の領主、ドイツの北方に領地をもっていた大名です。これが神聖ローマ帝国内に領地をもらうんです。
 何を言いたいか。ドイツの主導権をめぐってケンカするんです。この二つの大名が。
 もともと強かったのはオーストリアです。オーストラリアじゃない。これをハプスブルク家という。これを前に戻って説明します。
 ドイツは1600年代に三十年戦争という血で血を洗うような宗教戦争、カトリックとプロテスタントの戦争が起こって、人口の4人に1人が死ぬ。それぐらいものすごい殺し合いを行って、国がメチャメチャになって分裂した。ただ分裂しても一番強かったのは、神聖ローマ帝国の皇帝を出す家柄であったハプスブルク家です。これがオーストリアです。
 これだけだったらよかったけれども、これを急速に追い上げてくる若手の大名が北方から出てくる。これがプロイセンです。
 ではバラバラになったドイツをどっちがまとめるか。俺がまとめる、いや俺がまとめるんだ、それでドイツは戦争していく。
 
▼18世紀中ばのヨーロッパ


【オーストリア継承戦争】 ドイツの中にオーストリアとプロイセンという2つの強力な大名が現れたということです。それでその戦争が1700年代に起こっていく。

 1740年オーストリア継承戦争です。これは王の跡継ぎ問題です。争った人物の名前からいきます。
 プロイセンの王はフリードリヒ2世という。それに対してオーストリアは女帝です。マリアさんという。マリア=テレジアという女王です。どっちもドイツ人です。ドイツ人同士がドイツの中で戦いあう。

 より複雑なのは・・・これはドイツの中の内乱ですが・・・それにイギリスが乗っかることです。さらにフランスが乗っかる。フランスとイギリスは何が目的だったか。ドイツではない。アメリカの植民地なんです。いま北アメリカの植民地を奪い合って、どんどん領地を広げているのがイギリスとフランスです。
 ヨーロッパで戦争が起こると、イギリスとフランスが敵と味方にわかれて、アメリカでも同時に戦争がおこる。これはセットです。
 オーストリア継承戦争がヨーロッパで起こると、北アメリカつまり今のアメリカ合衆国の領地ではジョージ王戦争というのが起こる。イギリスフランスの間で。
 これが約5~6年続いた後、終わったかというと、また2番目の戦争が起こる。本当はこの前にあと2つあって全部で4回戦うんですが、前2つはあまりに複雑なのでカットします。後ろ2つを言います。


【七年戦争】 1757年から七年戦争というのがドイツで起こる。これはオーストリアとプロシアの領地争いです。これに乗っかって、またイギリスとフランスがアメリカ植民地で戦う。
 だから勝ち負けは、ドイツでどうなったか、北アメリカでどうなったか、この二つがあります。ドイツでは勝ったのはプロシアです。新しい新興国です。古いオーストリアが負けた。
 では北アメリカではどちらが勝つか。こっちはイギリスが勝利する。だから今のアメリカはイギリス語を話すようになる。これが英語です。この北アメリカでの戦いをフレンチ=インディアン戦争という。
 こうやって北アメリカ大陸が、イギリスのものになっていきます。これが1700年代です。

 フランスがヨーロッパ内陸部の戦争に関与し動きが取れない状況の中で、イギリスは北アメリカ大陸やインドへ進出し、全軍を投入して、現地のフランス勢力を排除していきます。島国イギリスがヨーロッパの紛争から切り離され、海外植民地支配に専念することができたのに対し、フランスはその兵力の大半をヨーロッパ内陸部の紛争につぎ込まなくてはなりませんでした。イギリスの優位は明らかで、18世紀後半にフランス勢力を駆逐し、イギリスの北アメリカ大陸やインドへの支配権が確立しました。

 勝者は2つ、プロシアとイギリスです。より重要なのはイギリスのほうです。これが大英帝国になって世界最大の植民地帝国を、この後100年かけて作っていく。日本にも来て影響を及ぼす。
ドイツはここまでです。



【ロシア】
【モスクワ大公国】 ロシアに行きます。ロシアの始まりは、1400年代にモスクワ大公国というところから始まります。モンゴル帝国がロシアを約300年間、支配していた。やっとそこから自立したのがモスクワ大公国です。


【ロマノフ朝】 ちょうどその頃、1400年代の半ばに1000年続いた東ローマ帝国の名残つまりビザンツ帝国という。いっとき出てこなかったけど1000年続いたんです。昔は東ローマ帝国と言っていた。そのビザンツ帝国が潰れたんです。潰れたんだけれども、そのビザンツ王様の姪がモスクワに嫁いでいたから、このビザンツ帝国の後継者はオレだと名乗りを上げたのがロシアです。その名乗りを上げたロシア王朝がロマノフ家です。
 ロマノフ家の王朝だからロマノフ王朝といって、これが成立したのが1613年です。このあと約300年間続く。1917年のロシア革命まで続きます。日本が日露戦争で戦ったのはこのロマノフ朝のロシアです。約300年後に。そこまで続きます。
 その間、ロシアはヨーロッパから東へ東へとずっと領土を広げて・・・ここは寒い氷で覆われた世界だからヨーロッパ人は興味がない・・・欲しかったらやるぞということで、この国はヨーロッパの田舎の国から発生して、気づけば世界最大の領域を持つ国家になっていく。これがロシアです。
 このロマノフ朝に出た王様が1600年代のピョートル1世です。英語でいうとピーターです。ピーターパンのピーターです。ロシア語読みでピョートルと発音する。ここは田舎の国だけれども、この王はヨーロッパ人からバカにされないように西洋化をすすめるぞと言って、ヨーロッパ流をどんどん取り入れていった。
 次の1700年代になると女帝です。女の王様、エカチェリーナ2世です。女ながら戦争大好きです。
 弱いものはいじめる。隣に弱い国、ポーランドがある。昔は強かったんですけど。1700年代には弱った。弱ったら最後、領土を盗まれる。これが1772年の第1回ポーランド分割です。江戸時代の日本にも使いを送ったりする女王です。以上がロシアです。
 2つ言いました。ドイツとロシア。ドイツの戦争では同時に北アメリカの植民地で戦争が起こった。これにイギリスが勝った。



【啓蒙思想】
 このように相変わらず戦争が続いているヨーロッパで、1600年代から発展するものが科学的な知識です。
 代表的なものとして、木からリンゴが落ちたんじゃない、これは地球の引力によって木になっていたリンゴが引っ張られた、という引力の法則。これはイギリス人のニュートンです。そういうふうに、田舎のヨーロッパが科学水準が急に上がっていくのが1600年代です。

 政治的にも啓蒙思想というのが現れてきて、近代的な政治をつくる上で重要な人たちが出てくる。
 そうすると彼らの教えや考え方を学んだ王様がまた次に出てくる。こういう王様を啓蒙専制君主という。
 イギリスに負けないようにどんどん機械化をしなさい。そういう近代化を推進していく。



【英仏の抗争】
【西欧での抗争】 ここまでをまとめます。ヨーロッパではもともと800年間ぐらい神聖ローマ帝国が中心であった。これは実体はドイツだった。しかしこの帝国はバラバラに分裂して、次に勢いのある国に中心が変わっていく。それがさっきも半分説明しました。それがイギリスとフランスなんです。ドイツからイギリスとフランスへと中心が変わっていく。結論をいうと圧倒的にイギリス優勢になります。イギリスが勝者になります。まずヨーロッパで。次に北アメリカ植民地で。
 ヨーロッパではひっきりなしに戦争が起こっていた。そのツメとして1756年から七年戦争が起こった。これはドイツでの戦争です。


【北米での抗争】 しかしこれとほぼ同時に1755年、北アメリカ植民地で起こっていたのがフレンチ=インディアン戦争です。なぜこんな名前がつくか。勝ったイギリス人が呼んだ言い方です。イギリス人の敵は、フレンチ、つまりフランス人です。そのフランス人を応援したのがアメリカのインディアンだった。だから敵はフランス人とインディアン。それにイギリスが勝ったという意味です。
 一番良い迷惑は、先祖代々、住み続けていたインディアンたちです。この後、イギリスにどんどん迫害されて土地を追われて、住みかを失っていく。これに負けたフランスはこの後、アメリカ大陸から撤退していきます。
 これがイギリスの大きな一歩です。


【インドでの抗争】 イギリスは実はこんなものじゃない。他にも植民地を持っています。それがインドです。1757年、七年戦争とほぼ同時です。インドでプラッシーの戦いが起こる。
 インドを植民地にしたいから。ライバルはどこか。やはりフランスです。フランスもインドを植民地にしたい。奪い合いの構造はいっしょです。イギリスとフランスが戦ってイギリスが勝った。フランスはインドからも逃げていく。フランスはアメリカからも逃げて行ったし、インドからも逃げていった。イギリスの一人勝ちです。
 なぜイギリスが戦争に勝てたのか。イギリスが勝った原因は、借金の仕方が上手だったからです。


【資金源】 フランスはデフォルトしていたから信用ないんですよ。フランスの王様は威張っいるばかりで、まったくお金を返さない。そういうところには貸さないでしょう。イギリスとの違いは借り方です。借したのは大商人じゃない。イギリスはイングランド銀行という銀行をつくったんです。つべこべ言わんで・・・誤解を恐れずにスパッと言うと・・・金がなくても紙を印刷してお金にした。イギリスの王が、俺が保証すると言って。それで紙幣を印刷して、これはお金だと言うと、国民がそれを信用すればものが買える。大砲を買える。弾薬、爆弾、何でも買える。それで戦争に勝つ。これは一種の手品みたいです。だから銀行の出所というのは・・・政治経済でもちょっと言ったけど・・・ちょっと怪しいんですよ。
 ただ他の国は、この方法で勝ったイギリスが、このあと植民地を手に入れ世界ナンバーワン帝国になっていくから、どこもかしこもこの銀行スタイルを真似していく。このあとの日本もですよ。

 これでイギリスの王様が、100万円貸せと銀行に言うと、ハイ分かりました、と言って、印刷するだけです。
 こういう国の借金のことを何といったか。これは政治経済の授業といっしょです。これを国債といった。まず銀行が買ってくれるんです。銀行が国債を買うためのそのお金は、印刷すればいい。コピーすれば良いだけです。本物の金銀財宝は要らないんです。
 これで植民地を支配し、植民地の人間を働かせる。またはアフリカから若い青年を奴隷として連れて行って働かせて儲ける。

 その儲けたお金でイギリスは、次の1760年代から産業革命が世界ではじめて起こっていく。
 そのお金で蒸気機関車というのを世界で初めて走らせる。あれはお金がかかるんですよ。線路を敷かないといけないから。
 そしてインドからは・・・ヨーロッパには毛織物しかなかった・・・インドにしか綿織物はなかった。または中国にしかなかった。このインド産木綿をキャラコといいます。英語でキャラコという。綿織物、君たちが着ているような綿織物です。これはもともとイギリスにはなかった。それをイギリスが国内製造に成功し、逆にインドに売りつけていく。インドは原料である綿花の供給地になる。


【西洋文化】
 ヨーロッパの文化です。1700年代の文化です。
 1700年代を代表するものとして、戦争には負けたけど、豪華さで勝った。フランスのベルサイユ宮殿です。
 これはこう考えたほうがいいです。こんな宮殿にお金を使っていたから、戦争に回すお金がなくなって、また負けたんだと。
 そのフランスのベルサイユ宮殿の様式をバロックといいます。作ったのはルイ14世です。戦争大好きです。でも戦争に負けた王様です。

 それからプロイセンもちょっとやる。プロイセンはここまで派手じゃない。小さいところでお金をかける。これをロココ調と言います。バロックとロココです。これがサンスーシ宮殿です。

 科学の発達では、さっきいった、田舎のヨーロッパが急落に世界ナンバーワンの科学技術を持つ。イメージとして代表格は、万有引力の法則を発見したイギリスのニュートンです。どんどん科学の力が発達していく。科学革命とも言われる。
 政治思想では・・・一番最初にやりましたが・・・イギリスのホッブズ、それからロック。国家の主権は誰が持っているか。最初は神様であった。次はローマ皇帝であった。次はイギリスやフランスの王様であったという。いや違う、国民なんだ。というふうにだんだん下に降りてくる。これが社会契約説、国民が契約したに過ぎない。国民主権の考え方の根はここにあります。昔はダントツに王様が偉かったからね。そういうふうにもともと王が偉かったが、国民が偉いというふうに、変わっていく。
 こういう考え方が啓蒙思想です。ヨーロッパで生まれた思想です。古い制度を批判して、新しいものに作り替えていく。

 ヨーロッパはここまでです。




【東アジア】
 今度は中国です。ただ中国じゃない。ヨーロッパが中国にどうちょっかいを出しているか。ヨーロッパはいろんなところに手を出しはじめている。そうじゃないと世界制覇できない。イギリスを中心に支配が伸び始める。
 これが本格的になるのはあと100年後ですが、1700年代からぼちぼちその目は出ている。この時代の中国は日清戦争の清です。300年ぐらい続いていきます。


【華僑】 ただ貧しい農民たちは、日本人のように国にはこだわらなくて、こんな国もう出てやる、捨ててやるといって、東南アジアあたりに出稼ぎに行って、そのまま帰ってこない。中国よりもこっちのほうがよっぽどいい、と言って。今でも東南アジアには、そのまま東南アジアに住み着いた中国人がいっぱいいます。彼らを華僑といいます。華僑の華は、中華の華です。
 東南アジアで一番豊かな都市というか国は、シンガポールです。そこは半分以上、中国人、華僑です。その多くは貧しかった福建省や、その南のほうにある広東省の出身です。
 そういう中国に、今度はヨーロッパ人も出向いていく。ヨーロッパ人が出向いて、中国との窓口にした港・・・南のほうです・・・その代表がマカオです。その隣が香港です。マカオはポルトガル領になります。
 そこに、日本にも宣教師つまりキリスト教のお坊さんを派遣したように、宣教師を送っていくんです。イタリア人のマテオ・リッチです。ヨーロッパから中国に宣教師を送るんです。キリスト教を布教しにくる。あなた神を信じますか。信じなさいと。それからもう1人がカスティリオーネです。こういうふうに最初は布教のためという、宗教の仮面をかぶってやってくる。そして次には大砲で支配していく。


【典礼問題】 キリスト教はやはり中国人の考えとだいぶ違って、そのヨーロッパのお坊さんも、最初は中国人の考え方をだいぶ取り入れて、妥協していくんですね。
 例えば先祖崇拝というのがある。自分の亡くなった爺さん、婆さんをちゃんと拝んで頭を下げる。しかしキリスト教の世界では、人間が頭を下げるのは一つだけなんです。ゴットだけです。神様です。
 これは世の中に一つしかいない。しかし自分のご先祖様にも、中国人は頭を下げている。おかしいじゃないか、キリスト教にはそういう教えはない。だから禁止する。ご先祖様を拝んだらダメだという。すると中国の皇帝は腹を立てて、キリスト教禁止する。それで一時衰退する。しかし文化的にも経済的にも中国のほうが上です。魅了されたのは中国人ではなくて、ヨーロッパ人です。


【中国茶】 中国いいな。何がよかったか。こんないいものを飲んでいる。お茶です。これいいな。ヨーロッパ人は欲しくて欲しくてたまらない。ヨーロッパにはまだないです。この時はまだ1500年ごろだから、コーヒーが流行る前です。それでヨーロッパでお茶が流行する。
 このあとのことは少し言いました。中国人はヨーロッパ人にお茶を売って儲けようとしません。だからヨーロッパ人から売ってくれと言われても、良いお茶はやっぱり自分が飲みたいから、悪いお茶を売った。
 ヨーロッパ人がもらったお茶はまずいお茶だから、砂糖を入れないと飲めない。我々の発想と違ってお茶に砂糖を入れようとするのは、まずいお茶だからです。それで紅茶にしていく。ヨーロッパ人は質の悪いお茶に砂糖を入れて、甘くして飲むという飲み方を始める。


【中露国境】 では中国とロシアの関係です。中国の北にはロシアがある。今は国境を接している。だんだん西から東にロシアは領土を広げている。いつかは中国とゴッツンコする。すると喧嘩して、どこが国境か決めようとなる。こういう交渉が始まる。
 1689年にロシアと中国の間で国境が決められた。これをネルチンスク条約といいます。さらにロシアが東の方に領土を拡大すると、約30年後の1727年キャフタ条約を結んだ。これを結んでどうにか戦争にまではいかなかった。もし条約が結ばれなかったら戦争です。国境紛争になる。こういう緊張関係があります。


【英印交易】 ではインドからヨーロッパにもたらされて、ヨーロッパ人に圧倒的流行になっていくもの、これがインド産綿織物です。着心地がいいんです。
 お茶も飲みたい。木綿も着たい。オレたちよりも良いものを飲んでいる。俺たちよりも良いものを着てる。だから欲しかった。何がよかったか。着心地もですけど、これは洗濯できる。当たり前みたいですけど、ヨーロッパ人の毛織物は洗濯しずらい。だから臭いんです。だから香水が必要なんだ、という話もしました。風呂にも入らない。日本人が毎日、風呂に入ってるといって驚いた報告をしているぐらいだから。毎日風呂に入っている人間だと、日本人が毎日風呂に入っても驚かないでしょう。驚いたということは、自分たちが入っていないからです。


【産業革命の原資】 こういうふうにして、ヨーロッパ人がアジアにちょっかいを出し始めた。そこからイギリスの産業革命のお金のことです。工場つくるにはお金が必要です、そのお金どこから来たか。ここら辺で儲けていく。その産業革命が起こるまでのことです。ちょっとまだいろいろ条件がある。
 インド産の綿が欲しい。このインド産の木綿がイギリスに入ってくる。そうすると、自分たちが作った毛織物が売れなくなる。彼ら毛織物業者が反対するんです。輸入反対だ。それで関税をかけて、売れないようにする。
 しかしイギリスは、これで何十年か木綿の輸入をストップしたあとに、科学技術が発達して、インドの技術を自分たちが盗んで、インド産綿織物と同じ綿織物を自分で作るようになる。つまり国産化に成功する。しかも機械で。


【奴隷三角貿易】 ではその機械を買うお金がどこから来たかというと、この間、今度はアメリカ植民地で稼いでいる。奴隷を使って。自分たちは働いてないんです。アメリカでは主に砂糖をつくっている。お茶に入れる砂糖です。それが紅茶になる。この儲けによってイギリスにお金持ちがいっぱい出てくる。お金のことを資本という。奴隷で儲けた金で機械化に成功する。機械を買う。
 だから前に言ったように、「奴隷貿易なくして産業革命なし」です。産業革命の原資は奴隷貿易です。人を売った金です。ここら辺も怪しいお金です。近代社会のもとにあるお金というのは、きれいなものばかりじゃない。

※ サトウキビは、最初はポルトガルの植民地ブラジルで栽培され、17世紀になるとオランダ人がガイアナで、イギリス人とフランス人がカリブ海域の西インド諸島に進出して栽培を始めた。サトウキビ栽培のプランテーションが大規模化すると、砂糖は贅沢品から大衆的な嗜好品に姿を変える。・・・しかし砂糖だけでは使用量が限られる。そこで砂糖はパートナーを見つける必要に迫られた。その役割を担ったのが、もともとはイスラーム世界の飲料だったコーヒーと中国の茶である。(宮崎正勝 お金の世界史)

※第2段階 イギリスの第2段階の収奪は、17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います。
 イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争し、彼らに勝利することで奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを受けていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。
 18世紀前半から産業革命が始まると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取のうえに成立していました。
 1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは原綿生産が間に合わ間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。
 18世紀後半に至るまで1000万~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇しました。
 人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。(宇山卓栄 経済)


 奴隷というのはアフリカからの黒人奴隷ですよ。アメリカの黒人はアメリカの原住民じゃないですよ。原住民と思っている人がかなりいる。アフリカから連れてこられた奴隷の子孫です。誰がそんな人でなしなことをしたか。白人です。その中心がイギリス人です。


【アヘン三角貿易】 しかしイギリスはさらに儲けたい。イギリスは中国からお茶を輸入したいんです。しかし中国は事足りているから売らなくてもいい。それでも買おうとすると、値が上がって高く買わないといけなくなる。高いお金を払わないといけない。そのお金を払いたくないから、アヘンを売ろうとする。麻薬です。イギリスは植民地にしたインドアヘンを作っていたんです。それをお茶の代金の代わりに中国に売る。これがアヘン三角貿易です。三角というのはイギリス・インド・中国です。これで貿易する。
 麻薬を売りつけられて中国はありがたがったか。そんなことはない。当然、中国は腹を立てる。要らないという。そしたら100年後にイギリスが戦争ふっかけて強引に押しつける。これがアヘン戦争です。そのことはあとで言います。

※3 イギリスの第3段階の収奪として、奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀にイギリスはインドのアヘンと中国のお茶を結びつける三角貿易を始めます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国のお茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出が止まりませんでした。そこでイギリスは銀の代わりにインド産のアヘンを中国に輸出し、茶を中国から得ました。
 ジャーディン・マセソン商会などの貿易商がアヘンの中国への輸出を担当し、大きな利益を上げて、逆に中国側の銀が流出しはじめました。ジャーディン・マセソン商会は1832年に、マカオで設立されて、イギリス東インド会社の別働隊のような役割を担った民間商社で、アヘン貿易を取り仕切ります。
 アヘン戦争の開戦に際し、ジャーディン・マセソン商会は議員に対するロビー活動で多額のカネをばらまき、反対派議員を寝返らせます。
 ジャーディン・マセソン商会は、アヘン戦争でイギリスが占領した香港に本店を移し、さらに上海にも支店を開き、中国市場に進出します。
 ジャーディン・マセソン商会は、清朝政府に対して借款を行い、清崩壊後も鉄道の敷設権や営業権などを得て、莫大な利益を上げていきます。今日でも、ジャーディン・マセソン商会は国際的な複合企業です。
 アヘン戦争後、香港上海銀行が設立されます。香港上海銀行はジャーディン・マセソン商会をはじめ、サッスーン商会などのアヘン貿易商社の資金融通や、送金業務を請け負いました。香港上海銀行は香港で、アヘン戦争以降、今日まで続く通貨の発行もおこない、中国の金融を握ります。
 このようにイギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。(宇山卓栄 経済)


 もう一つの奴隷三角貿易というのは、イギリス・アフリカ・アメリカの三角です。
 奴隷を売った金、アヘンを売った金、こんなお金で近代社会が生まれていきます。あまり誉められたことじゃない。

▼18世紀の世界



【近代前のアフリカ】 中国とか東南アジアに、このあとヨーロッパがどう進出していくかということをやっていきます。
 アジアに乗り込んでいったことは言いました。アフリカにも乗り込んでいきます。アフリカもこのあと100年かけて、19世紀の末までにはほとんど植民地なってしまうんです。ではアフリカは未開の土地だったのかというと、そうではなくてちゃんとした国があった。キリスト教国さえあった。1000年以上前から国もあった。一番古い国がエチオピアです。アフリカ唯一のキリスト教国です。これは近代になってできたんじゃない。もう2000年ぐらい前からあった国です。アフリカはけっして未開の土地ばかりじゃない。
 その他にもどういう国があったのかということを、見ていきます。アフリカ西部では、サハラ砂漠のはずれに国があった。500年間で3つの国が次々に代わっていく。
 まずガーナ王国です。今もガーナという国はありますけどちょっと場所が違う。アフリカの西のほうです。次がマリ王国。それから3つ目がソンガイ王国。そういう3王国が次々に繁栄をしていった。お金持ちです。金も取れる。代表的な都はツゥンブクツゥーという。
 サハラ砂漠は気候の変化でだんだん拡大しています。いま砂で埋もれそうになって、ちょっと寂れそうになりつつあるんだけれども、昔は砂漠がそれほど大きくなくて繁栄していた。そのマリ王国では、大金持ちの王様がいて、金をばらまいて歩いた、という噂がある。マンサムーサという王様です。宗教はイスラーム教徒だから、イスラームの聖地メッカのあるアラビア半島まで巡礼の旅をしていく。そのときに王様が通るぞというときに、貧乏たらしく節約はできないから、通った村々にお金を配って歩いた。非常に豊かな国だった。

 それからアフリカは大きくて、東南部です。このインド洋側になると、モノモタパ王国という。今はこの首都の名前が国の名前になっている。都の名前は大ジンバブエという。聞いたことないですか。ジンバブエという国がある。最近できた国です。これが東南岸ですね。中心は南のほうです。
 インド洋を西に行くと、ここにはアラビア半島と近いから、宗教的にはムスリムです。ムスリムというのはイスラーム教徒です。彼らがやって来やすい。ここにムスリム商人の進出が見られる。こうやってイスラーム教徒がやってくる。
 ということはイスラーム教徒は文明人だから、この地域も文明化されていく。交易も非常に活発です。交易、商売するということは、少なくとも算数ができないといけない。字が書けないといけない。 そこでバントゥー語というのが現地の言葉、そこにアラビア語が入ってきて、これが商売しているうちにちゃんぽんになって、新しい言葉が生まれた。今使われているのはその新しく生まれた言葉で、スワヒリ語といいます。二つの言葉が融合してできた言葉です。


【近代前のアメリカ】 今度は、ちょこっとだけアメリカのことを言います。1万年さかのぼります。1万年さかのぼってアメリカ大陸の原住民、つまりインディアンという人たちはどういう人か。なぜそこに住んでいたか。 やはり渡っていった。約4万年前の氷河時代は、陸に氷があるから海面が低い。海面が低いベーリング海峡はアラスカと陸続きだった。そこを渡っていく。アジアからアメリカへです。アジアから北のほうを回って、アメリカに渡っていったのは、アジア人種のモンゴロイドです。我々の仲間です。南北アメリカ大陸に、こうやって約4万年前に渡っていった人たちがいた。南アメリカの南端にまで到達したのは1万年前です。ここで人類がほぼ全世界に分布したわけです。 そのとたんに新石器時代に入り、すぐ農耕が始まる。


 今やっている歴史は、たかだか2000~3000年前からです。メソポタミア文明とかの古代文明が分かり出すのはその頃からです。しかしその間にも、このアメリカ大陸は未開の土地ではなくてちゃんとした文明があった。これを壊したのはスペイン人なんです。
 中南米にはマヤ文明アステカ文明。これが滅ぼされて、金銀財宝を根こそぎ持って行かれた。また南米のアンデスにはインカ帝国という非常に高度な文明があった。 エジプトのピラミッドに似たピラミッドなども作っている。この3つの文明ともスペイン人によって粉々に滅ぼされた。これが今から500年前、16世紀のことです。それで滅亡した。これをもって、文明はなかったと勘違いしている人がいます。それは間違いです。文明があったということです。


【太平洋地域】 今度は、南半球のオーストラリアです。そこにも人が住んでいた。彼らをアボリジニーという。アジア系の人々です。島から島へと島づたいに渡っていった人々です。
 ただここもイギリスが植民地にして、彼らは僻地に追いやられていく。絶滅はしてないけど、いま非常に貧しい境遇です。追いやられてしまったからです。今は不毛な砂漠地帯に、住みにくいところに住んでいます。なぜこんな住みにくい所にアボリジニーは、好んで住んでいるのかと思う人がいます。好んで住んでないです。追いやられたんです。誰が好んで住みますか。好んで住んでいない。もともともっと気候のいいところに住んでいたのを、イギリス人が来て彼らを追いやったんです。


 あと太平洋にもメラネシアとかポリネシアとか、そういう小さい島々にも人々が住んでいます。こういう島々への移動は、ほんの最近5000年ぐらい前です。その移動はまだ続いている。無人島に、島から島へと。
 ハワイは太平洋のまん中にあって、人がたどり着いてからまだ2000年ぐらいしか経っていません。
 こうやって人がずっと地球上に拡散して、太平洋の島まで拡散して、ほぼ人間に埋め尽くされるのは、たかだか2000年ぐらい前です。こういう前史があります。
  これで終わります。ではまた。



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