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「授業でいえない世界史」 27話 近世ヨーロッパ 16世紀のスペイン、オランダ、イギリス

2019-04-27 06:00:00 | 旧世界史10 近世西洋
※この記事の更新は、「カテゴリー(新世界史1~15)」の記事で行っています。


 16世紀、1500年代のスペインを途中までやったところです。大きなこととして、ルターの宗教改革が1517年です。ほぼこの時代です。
 我々日本人にとって意外と大事なのが、オランダです。オランダの場所わかりますか。フランスとドイツの中間にある。海に向かってライン川が注ぐところ、低湿地帯です。そして小さい。それがオランダです。
 その南はベルギーというところです。ここもバカにしたらいけません。
 現在のヨーロッパは旧ローマ帝国のように、一つの国家にまとまろうとしています。これがEUです。そのとき首都はどこになるか。EUの本部がある国はどこですか? イギリスだとか、バカなこと言ったらダメですよね。イギリスは逆にいまEUから離脱しようとしています。しかし、変な勘違いをしている人がいるんです。ヨーロッパはいまイギリスを中心にまとまろうとしているとか。そうだ、そうだと納得する人がいたりする。でもそれ、おかしいでしょう。EUの本部はどこにあるか。ベルギーです。ということは、このまま行けばベルギーがヨーロッパ全体の首都になったっておかしくない。イギリスは逆にEUから離脱しようとしています。
 さしあたって問題は、こんなことまで言うと前に進みませんけど、イギリスが離脱しようと思っても、いま離脱できそうにない。もめている。あそこが離脱に失敗すると、日本企業が何百社とイギリスに進出している。これが現地で生産できなくなる。するとガクッと日本の景気は落ちるでしょうね。また第2のリーマンショックが来るかも知れない。リーマンショックの時の卒業生は就職は悲惨だった。これは全国的に。不景気になると人が余る。企業が首切るから。当然新規採用も減る。
 それはともかく、主要四カ国以外に、オランダ、ベルギー、スペインに注意です。


【スペイン】
 スペイン王は、カルロス1世という。しかし母親がスペイン王女で、ドイツに嫁いだ。もともとはドイツ人なんです。神聖ローマ帝国というのはドイツなんです。ドイツ人がスペインの王とドイツの王を兼ねた。だから名前が2つあるというところまで、前回言ったと思います。
 ドイツの王としてはカール5世。カルロスとカールは同じです。おんなじ綴りでドイツ語読みがカールで、スペイン語読みするとカルロスになる。
 このカルロス1世の時代・・・それから神聖ローマ皇帝としてはカール5世ですけど・・・この時代がスペインの全盛期でした。新大陸との貿易でがっぽり儲けて、金銀財宝を握る。しかし宗教戦争で戦争ばかりして、銀貨を戦争につぎ込む。そんな無駄遣いをしてるから、100年ももたないで没落していく。

※ 16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパのお金が一挙に大膨張したのである。折から宗教戦争の時代である。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ スペインが新大陸からかき集めた「あぶく銭」のなんと約70%が宗教戦争に浪費されたのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

 しかもドイツ王としてはフランスと対立して、このとき同時にイタリア戦争というのをやってる。ドイツはイタリアが欲しい。この戦争は1494年から1559年まで60年以上続きます。
 ヨーロッパの戦争というのは恐ろしく長いです。前にも言いましたけど、日本は平和の合間に戦争する。ヨーロッパは戦争の合間に平和がある。全く逆です。

 この戦争はイタリアをめぐる戦いです。なぜイタリアが欲しいのか。ローマ教皇がいるからです。ローマ教会がイタリアにあるからです。宗教を手に入れたいからです。
 戦いの構図は、神聖ローマ帝国対フランス王国です。宗教のことでドイツのなかでも戦争が起こるし、フランスとも戦わないといけない。敵が何人いるか。あっちにもこっちにもいる。
こうやってこのカール五世は戦争に忙殺された皇帝です。もうイヤだと思うぐらい戦争が起こっていく。

 そして1556年にスペインの王様をやめる。すると今度は息子のフェリペ2世が王になります。この人はドイツ王は受け継がなかった。スペインだけです。
 この人が植民地にしたのがアジアで・・・他にもいっぱい南米に植民地があるんだけれども・・・フィリピンです。フィリピンという名前は、フェリペの国という意味です。フェリペがフィリピンになる。スペインがフィリピンを支配したということです。

 この時代に日の出の勢いで力をつけていって、あの宿敵、世界の中心であったオスマン帝国、これを破るまでになる。それが1571年。これは海の戦いで、レパントの海戦という。レパントは地中海のギリシャ近辺にあります。
 そこで勝つまでになったんだけれども、同時にスペインはカトリックだけしか認めないから、それ以外の宗教を信じてる人、おもに商人たちを追放したんですね。彼らはどこに逃れたか。ライン川の低湿地帯です。これがオランダです。
 だからオランダは商工業の国になっていく。あのぬかるんだ土地が一気に変わっていきます。堤防で陸地化しても、水がどんどんどんどん入ってくるから、風車を回して水を出さないといけない。だからオランダの名物は風車です。それはのどかなオランダの風景ではなくて、土地が低いから必死なんです。
 もともとの言い方は、低い土地という意味のネーデルランドといっていました。オランダという言い方は完全な和製英語です。外国でオランダ、オランダといくら言っても通じません。オランダのことをオランダと言っている国は日本だけです。本当は今でもネーデルランドという。
 そのオランダがスペインから独立を目指して、オランダ独立戦争を始めていきます。1568年からです。ここらへんからスペインの没落が始まって、新たに今度はイギリスが強くなっていく。
 スペインの持つ海軍、これは世界で一番強い艦隊と言われていて、無敵艦隊といわれていた。これに勝てる海軍はヨーロッパには存在しないと言われていたのですが、それがイギリスに負けた。これが1588年アルマダ海戦です。イギリス近海での戦いです。イギリスももともと海賊の国だから海戦は得意です。ここのご先祖はノルマン人という海賊です。そのイギリスを率いていた王がエリザベス1世という女王です。
 だから負けたスペインは次の1600年代になると衰退していく。貿易でいくら稼いでも王様独占、その王様は無駄遣いして戦争にばかりお金をつぎ込んだから繁栄しない。

 
【オランダの独立】
 次は、イギリスの覇権の前に、このスペインから独立したオランダが強くなっていく。もともとスペインの植民地であった。
 しかし今言ったように、宗教政策でスペインの王様は、カトリック以外の宗教は認めない。それを拝むんだったら国を出て行けと言って、お金持ちの商人がオランダに逃げた。だからオランダは商人の町です。領土は小さいけれどもお金持ちです。これがオランダです。
 だからこのあと貿易の利を求めて江戸時代の日本にもやってくる。これが長崎の出島です。
 オランダで繁栄したところがアントワープです。これが一時はヨーロッパの中心になる。ここが非常に繁栄していって、1500年代の終わり頃には、オレはスペインとかに頭を下げたくないと言って、俺たちの地域だけで独立しようという独立宣言を発表する。これが1581年オランダ独立宣言です。

※ ポトシ銀山で産出された年産30万キロの銀のかなりの部分もアントウェルペンに流れ込む。「金あまり」の中で、アントウェルペンでは有価証券取引が活発になる。アントウェルペンには1531年に通年為替取引を行う有価証券取引所が開設された。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ フェリペ2世は異常なほどの敬虔なカトリック教徒でした。1576年、新教徒の拠点であったアントワープはスペイン軍によって略奪・破壊されました。それ以降、新教徒の商工業者はオランダのアムステルダムに逃れます。フェリペ2世はスペイン王国の資金源たるアントワープを自らの手で破壊したのです。・・・敬虔なカトリック教徒のフェリペ2世にとって、金の流れを追うというのは卑しい所業であり、耐えられることではありませんでした。・・・フェリペ2世にとって、有数の商工業都市アントワープは国庫を潤す貴重な財源として映っていたのではなく、不埒な新教徒たちの悪の巣窟と映っていました。(宇山卓栄 経済)

 ただスペインのフェリペ2世はこれを、何をいうか、オレは認めないぞ、と頑なに拒む。認めるまでにあと60年かかる。そこまで行くのにもう1回大戦争が起こる。これが1618年からの三十年戦争です。
 オランダに逃げた商工業者はお金が大好きです。お金を貯めなさい、そういう宗教がカルヴァン派だった。お金は卑しいものではなくて、お金は救われた証拠だ、と言ってガバガバ商売しだす。そして富を蓄える。商売人の多くはカルヴァン派です。そういう人たちがオランダに移り住むんです。


【オランダ東インド会社】 そういうお金持ち国家で、独立宣言をしたオランダは、次には海の向こうのアジアに乗り出して貿易していく。
 1602年には、インドとの貿易会社をつくる。これがオランダ東インド会社です。この東インド会社という名前はイギリスもフランスも同じ名前をつけるから、ここではオランダ東インド会社です。これが株式会社の始まりと言われる。他人の金を集めて会社をつくるわけです。


※ 1602年に東インド会社が設立されてオランダ経済をリードするようになると、1609年に設立されたアムステルダム銀行は東インド会社の短期資金を都合するようになり、両者の癒着関係が強まった。銀行は預金としてプールされているお金を記号化して東インド会社の口座に移し、投資したのである。銀行が簡単に利子を稼げる仕組みができ上がるのである。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ 株券が債券や手形と大きく異なる点は、株券の所有者が、この事業体の所有者となり、経営権を持つことです。・・・つまり、自らが会社のオーナーになるということです。(宇山卓栄 経済)

※ オランダの東インド会社は、今日と同じく株主責任を、集められた資金の範囲内にとどめ、有限化するとともに、株券を購入しやすくしました。しかし、責任を部分限定する会社に社会的な信用がつくのかという疑問が当初ありました。(宇山卓栄 経済)

 それならオレも、東インド会社に1枚かもうと言って100万円投資する。投資したら今の株といっしょで・・・株には配当が来ます・・・配当が200万円になる。100万円で1年で200万円の配当が戻ってくる。ものすごく儲かる。200万円までいかないけれども、1606年には配当が年率75%になる。
 いま銀行金利は何%ですか。1%にもならない。この間10万円預けたら、年率0.01%だった。100万円預けて利息は1000円ぐらいしかつかない。100万円預けて75万円も配当がもらえるんだから、これはすごいです。こうやって株式会社が発展していく。ただこの儲け方は尋常ではありません。

 今度は西インド会社というのがある。西インド会社というのはどこか。全くインドとは関係がないところ、アメリカ大陸です。なぜアメリカ大陸に西インド諸島があるかはすでに言いましたけど、コロンブスの勘違いだったんですね。アメリカをインドだと思っていたからです。西インド諸島はアメリカなんです。そのアメリカにも乗り出していく。

 オランダがその植民地の拠点にしたのが、本国アムステルダムにならって、新しいアムステルダムという意味で、ニューアムステルダムという場所を拠点にする。そこに小屋を建てて、オランダ人が住み着く。これが今のニューヨークです。今では世界ナンバーワンの大都市です。1番お金のある都市といえばニューヨークです。あそこには世界中からお金が集まっています。
 なぜニューヨークと名前が変わるのか。これもあとで言うけれど、この都市はイギリスに奪われるんですよ。ということは、このあとイギリスと戦争したということです。そしてオランダが負けたということです。


 それ以外に新大陸ではブラジル方面にも乗り出すし、パイレーツオブ・カリビアンのような海賊たちが乗り込んできて島々を押さえ、カリブ海の島々で大農場経営をやっていく。中心はサトウキビです。そういう農業をプランテーションといいます。
 プランテーションというのは、白人の大金持ちが黒人奴隷たちを使って、鞭打ちながら働け働けとしてやる農場です。何が欲しかったか。砂糖です。今では甘いものはありふれているけど、この時代に甘いもの、特に砂糖は貴重品です。

 さらに新しい飲み物を発明したんですよ。中国のお茶は甘くない。イギリス人はそれに砂糖を入れて甘いお茶を飲む。我々中国人とか日本人の好みと全然違う。普通の茶に砂糖入れて飲もうとかいう発想は、我々にはないです。しかしイギリス人はこれをやるんですね。イギリスが中国から買ったのはボロ茶だからまずいんです。だから甘ければいい。甘いものがいい。そうやって何にでも砂糖を入れる。逆に言うとそれだけイギリスは食い物がまずかったんです。イギリス料理とか聞かないでしょう。だから甘さでごまかすわけです。

 コロンブスがアメリカ大陸を発見してもう100年以上経った。1620年代です。そうなると今まで、黒人奴隷を使いながらゴソゴソと銀を掘らせていたのが、その銀が掘り尽くされてしまって、ヨーロッパに入る銀の量が減少してくる。お金の量が少なくなっていく。お金が少なくなると景気がよかった1500年代に比べて、不況になっていくんです。

 1600年代、つまり17世紀は一転して不況です。不況になると生活が苦しいから、みんな腹を立てて戦い出すんです。そして革命が起こるんですよ。王が殺されたりする。こういった殺伐とした戦いが起こっていく。


【チューリップバブル】 その中でオランダだけは商売上手だから、お金持ちです。お金が余るとどうなるか。今の現代の株式相場で起こることと同じ現象がオランダで起こりはじめる。
 これが1637年チューリップバブルです。原因はチューリップの球根です。これが今は一つの球根は100円か200円ぐらい。それが200万円とか300万円になっていく。どんどん値上がりして。もうわけわからなくなる。なぜ上がるか。チューリップそのものが欲しいんではない。チューリップの球根さえ手に入れば、今100万円で買っても必ず200万円になる。そう予想されたんです。これが金儲けの手段になる。一種のマネーゲームです。これがバブルです。バブルはヨーロッパの発明です。そしてあるとき一気に暴落する。
 1600年代の前半はそういうオランダの全盛期です。その中心がアムステルダムです。今のオランダの首都です。ここに世界からお金が集まる。ヨーロッパ金融の中心になっていく。しかしこのオランダの繁栄は50年もちません。
 イギリスのことはこのあと言いますが、1652年にオランダはイギリスと戦争するんです。漢字で書くとイギリスは英、オランダは蘭です。だから英蘭戦争といいます。このことはイギリス史をするときにもう1回あとで言います。とにかくオランダがイギリスと戦って負けて衰えるきっかけになります。
 こうやって国の勢いが、だいたい100年から50年ごとに変わっていく。最初はスペイン、次にオランダ、その次にくるのはイギリスです。そのイギリスの覇権は200年ぐらい続く。それが20世紀に今のアメリカに変わる、というのが現代までのあらかたの流れです。

 またスペインの勢力範囲のことを言うと、王様の家柄はハプスブルク家です。このスペインはどれだけ領地を持っているか。スペインはここです。それと要注意はこのネーデルランドです。低い土地という意味の今のオランダです。スペインの領地としてこのオランダは押さえてください。そのオランダはスペインから逃れた商売人たちの国として独立していく。なぜスペインから逃げないといけないか。宗教とそこから来る彼らの行動が当時の社会を崩壊させる危険性を持っていたからです。



【イギリスの絶対主義】
 では次にイギリスに行きます。移り変わりが激しくて100年ずつで覇権国が変わるんですけれども、今の話のペースだと20分ぐらいで100年ぐらい行っています。
 オランダの次はイギリスに行きます。いま覇権がスペインからオランダに変わったところです。時代は1600年代です。その1600年代のイギリスで何が起こるか。


【ヘンリ8世】 ちょっと前にも言ったけれど、イギリスはヘンリー8世というわがままな王様が、ローマ教会から分離して自分の教会を勝手につくってしまった。理由は嫁さんと離婚したかったから。それをローマ教会が認めなかったから、それならもういい、オレはオレで教会を作る、とつくってしまったんです。そして今もこの教会はイギリスという国を代表する教会としてあります。これをイギリス国教会といいます。こうやってイギリスはローマ教会から独立しました。
 そしてそのイギリス国教会の親分に、ヘンリー8世、王様自らがなります。王様が宗教の支配者になる。こうやってイギリス王権は一度は絶対的な権力を持つんです。

 次の国王のメアリ1世は・・・この人はヘンリー8世の最初の嫁さんとの間にできた娘です・・・カトリックを復活させることで国内の諸侯と和解し、同じカトリックの信奉者スペインのフェリペ2世と結婚することで、対外的にもスペインと和解することができました。


【エリザベス1世】 そのヘンリー8世の娘、といっても前の嫁さんの娘ではなくて、離婚したあとの2番目の若い新しい嫁さん・・・アンブーリンと言いますが・・・彼女が産んだ娘が成人して女王になります。それがエリザベス1世です。やわな女王じゃないですよ。若い頃は牢屋に幽閉されたりして、命の危険にさらされていますから、政治の怖さを知っている筋金入りの女です。
 私が若い頃にイギリスの首相で「鉄の女サッチャー」という女性首相がいましたが、あんな感じかなあ。1558年から約50年間も女王を務めます。しかも独身で。だから彼女のアメリカ植民地はヴァージニアと言います。処女地という意味ですね。
 本当に処女だったか。とんでもないです。結婚しなかったのは政治的な判断です。宮廷には常に愛人を引き入れてます。海賊だってアゴで使う、恐いおばさんです。でも表向きは処女だから子供は産めません。ということはこの王朝は・・・チューダー朝といいますが・・・跡継ぎがいなくてここで終わりです。彼女がそこまでして守りたかったのは何か。イギリスの独立です。イギリスはまだ弱い島国で、スペインに押されてしまう危険があった。
 ちなみに今のイギリスの女王はエリザベス2世です。この人とは関係ありません。
 さっき言ったように、この女王がそれまで無敵のスペイン艦隊を破る。1588年アルマダ海戦です。それぐらいイギリス海軍は強い。もともと海賊の子孫です。ノルマン人というのはバイキングの子孫だから海賊が得意です。


【奴隷貿易】 さらにその海賊を使って、この女王はぼろ儲けしていく。1560年代から奴隷貿易に手を染める。おしとやかな女王様なんかを想像していたらダメですよ。裏も表もある、酸いも甘いも知り尽くしたような、海千山千の女王です。気に入らなかったら男でも殺される。やわな女じゃない。

 この200年後に、イギリスに世界初の産業革命が起こって、あの小さなイギリスが大英帝国となって、世界の七つの海を又にかけるような植民地帝国になっていきます。なぜそんなことが起こるのか。奴隷貿易で儲けたお金があるからです。教科書にも書いてある。「奴隷貿易なくして産業革命なし」と。奴隷貿易とは、アフリカの黒人をアメリカに連れて行って売り飛ばすんです。


【私掠船】 その間、アメリカ大陸で一番金儲けしてるのはスペインなんです。スペイン船は銀をいっぱい積んで、スペインに運んでいるんですね。それをイギリスが襲う。襲っていいのか。この時代にお巡りさんなんていないんですよ。戦って負けたら仕方がないんです。それでスペイン船を襲撃する。誰を使ってか。仲間の海賊を使ってです。この女王様は海賊とお仲間です。

 こういう犯罪船、別の国のお宝船を襲ったら本当はダメでしょ。しかし教科書はこれにご丁寧にちゃんとした名前を付けている。これを私掠船という。早い話、海賊船です。金銀財宝があれば、どんな船でも襲って自分のものにする。この海賊の元締め、それがイギリスの女王です。
 そしてガッポリ海賊が儲けて、金銀財宝を奪って持って来ると誉めるんです。おまえ大した男だ。爵位を授けてやる。爵位とは貴族の位です。海賊にですよ。お金を稼いで来たから、おまえを貴族にしてやる。この海賊の親玉がドレークです。実体は海賊です。それが貴族になる。サー・ドレークという立派な名前になる。本当は何のことはない、ただの海賊です。

※ 産業革命以降、イギリスは工業製品を大量に輸出し、利益を得たとする俗説がありますが、イギリスの貿易収支は常に赤字です。イギリスは、海外金融業や海外投資収益などの貿易外収支で稼ぎ、貿易収支の赤字を補っていました。
 以上の点から、イギリスを覇権国家に押し上げた主要な原因は、産業革命による生産力拡大でないことは明らかです。イギリスが他国よりも優位に立つことができた根本的な原因は、他国がマネのできない独自の収益構造を形成することができたからです。その方法はかつてのスペイン、オランダにさえなかった悪辣なものでした。(宇山卓栄 経済)

※ そもそも、覇権というものはその本質において、犯罪的な収奪によって成立するものです。ウォーラーステインは覇権国家の条件を「圧倒的な生産力」「圧倒的な流通力」「圧倒的な金融力」と言いましたが、これら三つの条件に加え、「圧倒的な詐術力」「圧倒的な強奪力」の二つの条件を加えなければなりません。
 イギリスの悪辣なる収奪システムの拡大には三つの段階があります。
第1段階は16世紀の私掠船の略奪、
第2段階は17~18世紀の奴隷三角貿易、
第3段階は19世紀のアヘン三角貿易です。(宇山卓栄 経済)

※第1段階 第1段階の私掠船とは、国王の特許状を得て、外国船の捕獲にあたった民間船で、国王が許可し、国王や貴族が資金援助した海賊船でした。
 イギリスの私掠船は、スペインやポルトガルの貿易船を繰り返し襲い、積み荷を略奪しました。積み荷を売却した利益は国王や金属などの出資者に還元され、イギリスの初期資本の蓄積に寄与します。この海賊私掠船のスポンサーリストにエリザベス女王の名前も掲載されていました。(宇山卓栄 経済)

※第2段階 イギリスの第2段階の収奪は、17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います。
 イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争し、彼らに勝利することで奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを受けていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。
 18世紀前半から産業革命が始まると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取のうえに成立していました。
 1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは原綿生産が間に合わ間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。
 18世紀後半に至るまで1000万~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇しました。
 人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。(宇山卓栄 経済)

※第3段階 イギリスの第3段階の収奪として、奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀にイギリスはインドのアヘンと中国のお茶を結びつける三角貿易を始めます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国のお茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出が止まりませんでした。そこでイギリスは銀の代わりにインド産のアヘンを中国に輸出し、茶を中国から得ました。
 ジャーディン・マセソン商会などの貿易商がアヘンの中国への輸出を担当し、大きな利益を上げて、逆に中国側の銀が流出しはじめました。ジャーディン・マセソン商会は1832年に、マカオで設立されて、イギリス東インド会社の別働隊のような役割を担った民間商社で、アヘン貿易を取り仕切ります。
 アヘン戦争の開戦に際し、ジャーディン・マセソン商会は議員に対するロビー活動で多額のカネをばらまき、反対派議員を寝返らせます。
 ジャーディン・マセソン商会は、アヘン戦争でイギリスが占領した香港に本店を移し、さらに上海にも支店を開き、中国市場に進出します。
 ジャーディン・マセソン商会は、清朝政府に対して借款を行い、清崩壊後も鉄道の敷設権や営業権などを得て、莫大な利益を上げていきます。今日でも、ジャーディン・マセソン商会は国際的な複合企業です。
 アヘン戦争後、香港上海銀行が設立されます。香港上海銀行はジャーディン・マセソン商会をはじめ、サッスーン商会などのアヘン貿易商社の資金融通や、送金業務を請け負いました。香港上海銀行は香港で、アヘン戦争以降、今日まで続く通貨の発行もおこない、中国の金融を握ります。
 このようにイギリスの覇権は奴隷貿易の人身売買業者、アヘン貿易のドラッグ・ディーラーなどによって形成されたものであり、その犯罪的かつ反社会的な手法なくして、持続可能なものでなかったことは明白です。悪辣非道、弱肉強食、厚顔無恥、こうしたことこそが国際社会の現実であることを歴史は証明しています。(宇山卓栄 経済)


【綿織物の人気】 これと同時にイギリスでは、毛織物業が発展しつつあります。ヨーロッパ人は毛を着る。動物繊維を着ています。前にも言ったけど、ただ毛は洗ったら縮む。だから基本的に洗えない。着潰すんです。汗まみれで。だから汚いんですよ。

※ 綿花を栽培できない寒いヨーロッパで、衣料は毛織物(ウール)製品が主流でした。綿織物がウール製品と決定的に違うのはウォッシャブル、水洗いできることでした。ヨーロッパ人は水洗いできない不潔なウール衣料を着ていたために病原菌に侵されやすく、特に免疫力のない乳幼児の死亡率が高かったのです。18世紀以降、綿製品がヨーロッパで流通すると、乳幼児の死亡率が劇的に改善されます。
 ・・・こうなるとイギリスなどのウール製品業者は壊滅状態に陥り、彼らは生き残りをかけてビジネスモデルの転換を図らなければなりませんでした。イギリスはインド産「キャラコ」に対抗するために、アメリカ西部のカリブ海諸島やアメリカ南部に奴隷制プランテーションを経営し、インド産綿花に代わる安い原料栽培します。(宇山卓栄 経済)

 ヨーロッパ人が明治に日本に来て驚いたことに、こいつら日本人は毎日風呂にはいっているぞ、と驚くんです。ということは、彼らは毎日風呂にはいっていない。臭くて臭くてイヤになったころにシャワーを浴びるだけです。だから女は臭い消しとして香水を振りまく。それにバカな男が騙される。

 日本人のように、毎日風呂に入っている人間に香水なんて要らない。そのくらいヨーロッパ人は汚いんですよ。着ているものも洗わない。
 でも木綿は洗えるんです。これがヨーロッパにはない。アジアにしかない。特にインドにしかない。ヨーロッパ人が木綿が欲しくて欲しくてたまらないというのは、そういうことです。我々のようにふだん木綿を来ている人間から見ると、この感覚は分かりませんね。でもヨーロッパには毛織物しかない。この毛織物で儲けているのがイギリスです。


【イギリス東インド会社】 イギリスも、そういう木綿があるところはインドだから、そこと貿易するために1600年イギリス東インド会社という貿易会社をつくる。東インドは本当のインドです。
 貿易は船で行く。海賊が行く。ちゃんとした商行為が成立すればいいけれども、成立しなかったら子供の使いじゃないから奪ってくる。殴ってでも、売れ、と言って奪ってくる。荒っぽい商売です。
 さっき言ったオランダ東インド会社というのは、実はこの2年後です。それが世界初の株式会社になります。

 この動きはスペインと何が違うか。民間人が貿易をしているんです。スペインは王様独占だった。イギリスやオランダは違う。金持ちたちが国家プロジェクトにお金を出して、俺も俺もと、俺も参加させてくださいと言って、出資していく。難破してパーになることもあるけれども・・・確かにリスクは高いけれども・・・生きて帰れれば100万円が10倍の1000万円になる。だからこれが軌道に乗れば、イギリスに大金持ちがいっぱい出てくる。こうやってお金持ちたちが、お金を蓄えていくんです。

 しかも会社が潰れたら、出資した者は、普通はその会社の借金を返さないといけないけれど、株式会社のいいところは(?)返さなくてよいところです。有限責任です。政治経済で習ったと思います。株式会社は有限責任です。会社がいくら借金を抱えて倒産しても、会社の出資者である株主はそれを返さなくていい。1億円の借金を抱えて会社が倒産しても、株主はその会社に10万円投資していたら、10万円だけ損すればいい。後の借金は払わなくていい。では借金は誰が払うのか。誰も払わないです。これが倒産です。これはいい。
 儲かれば儲かったお金は株主のもの、失敗して損失を出してもそのお金は払わなくていい。この形式が今の株式会社です。これはヨーロッパだけのルールだったんです。他の地域はそんなことはしません。しかしその後、ヨーロッパの株式会社のルールが世界中に広がり、いまでは日本の会社もそういうルールで成り立っています。なぜこんなことになったのか、というのがこの後の歴史です。


【アメリカへの移民】 それからイギリスから、宗教改革でプロテスタントになった人たちは、アメリカに渡るんです。アメリカの東北部、東海岸のニューイングランド地方と、いまは名前がついています。これは逆ですね。イギリス人がそこに住み着いたから、ニューイングランドつまり新しいイングランドという名前をその地域につけたんです。今でもそう呼ばれています。

 最初にアメリカに行った人はピルグリム・ファーザーズと言って、ちょっと有名な一族です。乗って行った船はメイフラワー号という。オレたちがアメリカ一番乗りだ。アメリカはイギリス人中心の国です。だからアメリカでは英語を話しています。むかし英語がイギリス語だというのを知らない人が一人だけいました。アメリカ語は英語です。英語はイギリス語です。


【インド貿易】 1600年代の初め、イギリスはまだオランダと張り合ってる最中で、アジア方面に関して一番欲しかったのはインドネシアです。あそこで胡椒が取れる。しかしオランダと戦って負けて、負けたからどこに行くか。今度はインドに行く。この事件が1623年アンボイナ事件です。イギリスがオランダに負けた事件です。だからこの後、イギリスのアジア植民地はインドになる。


【キリスト教の分布】 キリスト教の宗派を見ていくと、こういうふうに枝葉が分かれています。
 キリスト教は昔からあったローマ・カトリックと、ルターがはじめたプロテスタントです。最初はルター派だけです。
 しかしこのプロテスタントにはルターの次に第2のルターが出てくる。これがカルヴァンという人です。このカルヴァン派が面倒くさいことに、国によって呼び方が違うんですよ。
 イギリスの場合にはピューリタンという。ピューリタンと言えばカルヴァン派だな、お金が大好きな人だなと思ってください。商売熱心な人だなと。ピュアーなピューリタン、「きれい好きな人」と言う意味です。でもほめてるんじゃないです。何でもかんでもピカピカに磨く奴ら、という侮蔑的な意味があります。
 ところがフランスの場合はユグノーといいます。「徒党を組む奴ら」という意味です。それがこのあと革命や戦争の名称になったりします。
 さらに、オランダではゴイセンと言います。「乞食」という意味です。すべて侮蔑的な意味です。彼らは一種社会のアウトロー的存在です。だから本国にいられなくなって、新天地を求めてアメリカに渡ったりするんです。
 のちに産業革命を起こしていくピューリタンは、お金にがめつくて、当初はヨーロッパでも嫌われた人たちです。でもその人たちがお金を蓄え、産業革命を起こし、現在の資本主義社会を作り上げていきます。現代の社会の出所はこんなところにあります。そのことが人間にとってどんな意味を持つのかは、まだよく分かりません。
 以上がイギリスです。
 これで終わります。ではまた。



1 コメント

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Unknown (酒太郎)
2019-04-12 08:32:34
いつも読ませて勉強させてもらっています。
世界史の授業を受けていたので
ちらほら覚えている人物もいます。

世界の流れをまとめているので
凄いですね。
凡人などは頭が真っ白になります・・・
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