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ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい

王は第1権力である

2008-07-24 18:34:58 | 旧世界史1 古代中国

王は第1権力である。
神が究極の存在であるとすれば、王はその神からまっ先に権力をもらった人間である。ここでいう第1権力とはそういう意味である。

宰相(首相)というのは王から権力を譲り受けた第2権力に過ぎない。

大統領というのは国民から選ばれた副次的な権力者に過ぎない。これも第2権力である。この場合の第1権力は国民自身になっている。

インドのクシャトリア階級は一般には王と訳されるが、インドの第1権力はクシャトリアではなく、バラモンである。
バラモンは神に仕え、神への儀式を執り行うものとして神からまっ先に権威を授かっていた。インドの王(クシャトリア階級)はこのバラモンによって聖化されなければ王として認められなかった。

近代民主主義というのはこの第1権力によって政治をおこなうシステムではない。
近代民主主義の政治の頂点に立つのはあくまで第1権力によって選ばれた行政官である。
戦前の日本では天皇から選ばれた行政官としての首相がいたが、戦後の日本ではあくまで首相は国民から選ばれたものになっている。

ある人間が第1権力となって政治をおこなう場合には、その政治上の誤りを正す機能が失われる。

中国の皇帝はそういう意味では典型的な第1権力である。

これに対し中世ヨーロッパの皇帝は正確な意味での第1権力ではない。
『教皇は太陽、皇帝は月』という言葉に象徴されるように、中世ヨーロッパの第1権力は皇帝ではなく、ローマ教皇であった。

神から直接権威を与えられたものとして教皇が存在し、神聖ローマ皇帝はローマ教皇からその存在を聖化されることによってはじめてローマ皇帝たりえたのである。
そのための儀式がローマ教皇による戴冠(ローマ教皇がローマ皇帝に冠をかぶせること)という儀式であった。
ここではローマ教皇こそが神から直接権威をもらった第1権力であり、ローマ皇帝はその教皇から副次的に権威を与えられた第2権力に過ぎない。

政治の世界で安定をもたらすには、究極の存在である神と第1権力が結びついていなければならない。

中国の儒教とは一言でいえば、上の命令に従うことは下の者として正しいことだという教えであるが、そのような考え方が社会の主流となるためには第1権力としての中国の皇帝の存在がなければならない。

ところが近代民主主義とは、第1権力である国民が第2権力である大統領や首相に対し、たえず監視の目を光らせているところにある。

ところが日本には第1権力としてもう一つのものが存在する。それは表面的には否定されたとはいえ、現在でも国民の総意である天皇の存在である。

天皇の存在と国民主権は併存することがむずかしい。
国は神がつくったものだとすれば天皇は神と結びついている。しかし国民主権はそのでどころがキリスト教、特にそのプロテスタンティズムにあるため、そのような宗教のない日本では、国民そのものが神と結びつくことはむずかしい。

戦後の日本では天皇そのものは主権者であることを認められていないため天皇が政治的発言をすることはなく、またそれを厳しく自制しているのであるが、国民もまた主権者であるという自覚に乏しいため本当に真剣な政治的発言をすることはまれである。

となると第2権力に過ぎない政治家が政治を執り行っているなかでその失政に対して批判の目を光らせるものがなくなり、結果的に批判そのものがないなかで政治が堕落していくことになる。

こうやって第1権力のない政治世界が誕生するが、そうすると第2権力に過ぎないものがあたかも第1権力のような顔をして政治を行うようになっていく。

そのような政治は誰も当事者意識が無いなかで役人だけが大きな顔をする社会になっていく。

政治には根源的なものへとつながる力がなければならないが、そのようなつながりを持たない者が行う政治はいずれその力を失うことになる。

政治は根源的なものへとつながる力をもつ第1権力でなければならない。
日本でそれがどのような形で可能かは、日本で国民主権がいかにして可能かと同じ問いかけになる。

ジェロニモとチンギス・ハン

2008-07-04 18:50:27 | 旧世界史1 古代中国

ジェロニモは19世紀に生きたアメリカ・インディアンの首長である。
アメリカ・インディアンは白人よって迫害され、多くの人が殺されるなかでやがて行き場を失い、民族としての誇りを失うところにまで追い込められていった。
そういうなかでジェロニモは白人と徹底的に戦おうとした。

『彼はメキシコ軍とメキシコ人に対するさらなる報復を主張し、そのための全アパッチ族の戦士たちに対する指導権を自分に与えてほしい、と要求したのです。』

『ジェロニモはこのとき、首長であることを飛び越えて、王になろうとしたわけです。アパッチ諸部族は、ジェロニモのこのような考えを知って、即座にこれを拒否します。』
(カイエ・ソバージュⅡ 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ P147)

ジェロニモはなぜ王になれなかったのか。
私はこのジェロニモの話のなかに、首長から王への一プロセスが現れていると思う。
しかしジェロニモは王になれなかった。
そこに欠けているプロセスとは何であろうか。

これがメソポタミアの話であったならば、彼は軍事指導権を要求する前に宗教的権威を身に付けようとしたであろう。
王というのは神からその権限を譲り受けた存在でなければならなかったからである。
そうであるからこそ、王は全能感を維持できたのである。

ジェロニモに欠けていたのは宗教的権威である。
アパッチ族が王の存在をきらっていたにしても、ジェロニモがシャーマンを使って宗教的権威を身にまとった上で軍事指導権を要求していたとしたら、彼らがジェロニモを王として認めた可能性は十分ある。

しかしジェロニモにはそれだけの時間がなかった。
もし仮にインディアンと白人との戦いがこの後何百年も続いていたとしたら、第2、第3のジェロニモが現れ、いずれ彼らのなかから王が現れていたであろう。

多神教のなかから、次第に強力な部族神が現れて、その強力な神権によって首長に力が付与されると、王権が誕生する。
王権が誕生するとその部族神は国家神となる。
そのような強力な神は次第に一神教的要素を強めていき、やがて他の神々を排除するようになる。

モーセの十戒の一つ、『ヤーヴェ以外の神を拝んではならない』とは、こういう状況のなかで生まれた。



これと対照的な話は13世紀、モンゴルのチンギス・ハンの話である。
チンギス・ハンの時代にココチュという有能なシャーマンがいた。

『彼(ココチュ)はチンギス・ハンの御前に進む毎に、「神は汝に、世界の帝王になれと命じておられる」と告げた。チンギス・ハンの称号を与えたのは彼であり、「神の命令によって、汝の名はこうでなければならない」と言った。』
(世界の歴史9 大モンゴルの時代 杉山正明・北川誠一著 中央公論社 P308 ラシード・アッディーンの「集史」からの引用)

つまり、チンギス・ハンはココチュというシャーマンによって『世界の帝王』としての権威を与えられているのである。

王というのは宗教的権威と軍事的指導権が結びついたのちに発生するものである。
それは軍事的危機のなかで発生するが、同時に宗教的危機をももたらす。
そういう危機のなかでは神から与えられた全能感が、それまでとは違った威力を持つようになる。

チンギス・ハンがこの後、ユーラシア大陸にまたがる大帝国を築いていくのはあまりにも有名な話である。