朱の徒然

変形性股関節症の76歳

この冬の私・・・と 父さん

2018年01月16日 | 日記

 父は、無法松な人でした。

   して、その実態は、「無法松」好きな 酒と女に明け暮れた気の弱い造船マンでした。

 だから晩年は、孤独でした。

 でも、そんな一人ぼっちの日々にも、心優しい娘婿殿たちの時折の釣りへのお誘いが 楽しみで待たれてましたね。そんな時も「こちらからは誘えないんだよ」と、さみしく話す好い男でした。そりゃあ、そのデリケートな気遣いは 女に もてるよね。

 私のことは、何故か 神経過敏な娘だから…と言っていたね。オヤジ殿こそ 酔うと口癖の『研ぎ澄まされた剃刀の刃の様な精神の男』でしたよ。この年になって解る 真のオヤジ像だね。

 (勤め先の造船所が、軍需工場になったので、父は戦争には行かず兵器を作ったんだよね。義父も・・。)

     原爆の爆風で吹き飛ばされたとは聞いたけど、毎夏・8月9日には、必ず庭に出て黙とうしていたね。

 

 

 この冬、

 年末に、私は電車のホームで署名入りのニモカ・カード入り財布を拾いました。

 1月2日に、GIが道端で同一人物のクレジットカードを4枚拾いました。

 1月10日に、私が地下鉄のホームで折り畳み傘を拾いました。  すぐに届けましたが、皆さんの手元に戻ったかな?

 そして、その日の午後、大分の「宇佐神宮」で、なんと 私が帽子を無くしました。少し、暑かったので脱いで持ってたの。

    あー、あー、昔っから 忘れ物が多いマヌケでした。今までも服や指輪や傘など色んなものを 無くしてきました。 ああー 自己嫌悪!

 それで 今 想い出したことがあります。

 高校生の時、父の永年勤続記念の金の腕時計を、夏の川で外して遊んでいて置き忘れたことを想い出しました。ごめんね。ごめんね。 私、その時 心の底から謝ったのでしょうか?

 不思議なことに母からも 父からも 叱られた記憶がないのですが・・・。今頃、反省するなんてね、ひどい娘ね。

       あー、あー、振り返って思い出すと、自己嫌悪! なぜ、なぜなの!なぜ忘れるのだろう。

 物や人を失っても あんまり悲しまないけど、 そこから広がる自己嫌悪は より孤独感、脱力感が増しますね。

 

 

 そんな時の冬のお供は、『こぐまくら子ちゃん』と、新しいベロアの電気毛布。

     

         身も心も暖かくして、叱らなかった父さんを想い出しているよ。

 新婚時、夫からファザコンと言われて、そりゃ父娘の実態を知らないからだねと聞き流していたけど、今になって思います。私は、やっぱりファザコンです。父さん、大好きだよ!生きてるときに言ってあげずに、 ごめんね。ファザコン万歳だね!

 

 高校時代の娘。モヘアの帽子は、私の独身時の・。今どこ?

  大宰府の「鬼すべ神事 」の夜の私。この帽子と宇佐神宮でお別れしたの・・。

(余談ですが、宇佐神宮では女性宮司を神社本庁に申請して却下され、現在係争中とか・・・)

娘の高校時のこのコート。暖かくて大好き!まさかこのコートを無くした時は、完ボケと今から覚悟をする新年なんてお粗末でトッホッホーの自己嫌悪。 次にこのコートの譲り手は、きっとオシャレ③孫だね。

 父さん(ひいGI)の帽子を もう被ってるよ。今では ハンチングもね!

  生真面目①の6歳時とカッコつけ③の4歳の時。

ひいGIのハンチングは、①が被ってるのかな?③と⑤戦ってるの?どこ?

 どうか、孫達よ GIが生きてる間に、言葉で『大好き!』をシャワーのように降らしてあげてね!

              懐かしの写真を探してくれたのも、GIだよ!

                物も思い出も続くから無くさないようにしようね。とほほー。 

 階段手すりのバットマンも、子供たちが縁日で当ててきた30年ものだよ。我が家の階段・守り神さね。       

 

 

 

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