朱の徒然

変形性股関節症の76歳

 秋の大阪・神戸の旅(孫ちゃんたちに また会えたね)

2016年09月29日 | 日記

 二十日前に別れたばかりの孫たちが、シンガポールから祖国・日本へ帰ってきた!

 

 子供の健やかな成長を祈る「桃のカステラ」をお土産に 会いに行きました。 

  

 10歳の孫にとっては、2度の海外生活からの帰国。 4回の幼稚園転園。4回の小学校転校という稀な変化の人生で、孫の苦悩を見せない笑顔に頭が下がるばかり。 それは、3人の子の子育てに心を砕いてきたお嫁様のお陰。感謝しかない! お嫁様の健康と前向きな明るさがあればこその孫たちのガンバリ。  祖父母として、5人の人生を心から応援しますと言いたくて 出かけて行きました。

 そこは20年前、10年近く住んだ懐かしの大阪。(阪神大震災にも遭いましたが、私共は、少しの被害でした・・。)

 

                                      彼らは引っ越しの最中で、我々はホテル泊まり。1泊目は、ゴージャスホテル。 風呂も良かったあ。

 私にとっては、40代の人生の一番の華やぎの時を過ごした大阪。

 時は、バブルの弾けそうな下りの混沌時。無鉄砲おばはんは、1億の豪邸に住む人妻K様や、恋多き高校教師A様と、自由な大阪ならではの おばちゃん青春を謳歌した10年でした。  懐かしのホワイティ梅田の喧騒、ナビオ阪急、ああー、なんにも変わってない このぐちゃぐちゃ感。人 人 人・・。20年前と一緒だあ! GIともヒルトンで待ち合わせて、デートしたよね。そんな都会暮らしに 弾けたね!

 今になって思うと、あんなに楽しかったのも、夫が大都会で頑張り、子供たちが順調に育ってくれたお陰で、思いっきり自分中心に生きれたのね。 みんな、有難う! 濃密な愛情と友情に感謝! 大都会・大阪の面白さに感謝! バブルに感謝!

 

 これから、息子一家が大阪で、どんな意識を持ち、どんな方向に進むのか、

                          5人の家族で明るく笑って生きていくんだよ!

 

 これから10年ぐらいは、GI&BAの家は、孫たちにとって彼らの家庭の次の第2のオアシスとして居心地のよい場所でいようと改めて思いました。 いつでも遊びにおいで! GI&BAは、これからの余生を君たちを 待つことで 元気に生きるぞお!

         君たち6人の孫を 待ってる家が ここにも あるぞお!

 

      美しいお嫁様の幸せと孫たちの笑顔が見たくって・・。この街へ。

 

    JR西日本の弱者へのあったかさにビックリ!いろいろと工夫されていました。これから上場するJR九州にも期待しますよ。

  子供がゲームするショッピングセンターって、見つけられずにゴメンね。D`S持ってきてよかったね。イオンはどこ?

 

      「布引ハーブ園」へのケーブルカーから見た日本初のダム「五本松堰堤」。

 

       栄枯盛衰は世の習いとはいえ、この碑を残してくれたオリエンタルホテルの優しさに涙。

     1995・1・17が阪神大震災でしたね。2005年に83歳での死去。商いのカリスマですね。

 

    神戸では、大好きな「大丸デパート」のイングリッシュガーデンへ。

 未入園の次男坊を案内しましたが、花が少なく ちょっと寂しかったね。次男君は、お笑い好きの明るい良い子だね!

 

   「神戸ベル」で、7人揃ってから 夕飯して「またね」とさようなら。

    JR神戸駅前のホテルへ。大浴場があり、別料金800円というので、期待し  てたのに、ガッカリ。 

 1日目、2日目共に万歩計は、20,000歩超え、そして3日目は30,000歩超え。夜も朝も足を意識して風呂に入りました。勿論、傘杖も突きました。 旅には、欠かせなくなった傘杖は、もう心身のバランスをとる一生の支えとなりました。 だって、傘杖は、雨でも日照りでも パッと差せる身近な安心でもあり、いいよー。       足?気分なのか違和感もなくOKOK!

  

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高原の音楽祭

2016年09月22日 | 日記

 小雨の中を、初めての「ミュージック・フェスティバル」に出かけました。

 もう7回目の開催だそうですが、この高原にも初めて行きました。かなり良く整備されていて、もう一度秋に出かけたくなるような美しい森でした。中学のブラスバンドも参加していて、子供から大人まで楽しめるように工夫された温かい音楽祭でした.

 

        

 嬉しかったのが、『昭和歌謡ロック』として、クレイジーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」が歌われたことです。

 この曲が、私のこの夏の台所でのテーマ曲でした。(2005年再発売)

 

                               CDっす。 ちと、抵抗ありましたよ。

                                           スカジャンて、横須賀・ジャンパーですってね。

 

(トンネル抜ければ  海が見えるから そのまま ドン突きの三笠公園で   あの頃みたいに ダサいスカジャン着て

  お前待ってるから 急いで来いよ       俺の話を聞け!5分だけでもいい

        貸した金の事など   どうでもいいから

 お前の愛した横須賀の海の 優しさに抱かれて   泣けばいいだろう ハッ! 

        俺の俺の俺の話を聞け¡  2分だけでいい お前だけに本当の事を話すから

     背中で睨み合う   虎と龍じゃないが  俺の中で俺と俺とが闘う

                 ドス黒く淀んだ横須賀の海に浮かぶ月みたいな 電気海月よ ハッ!)

 GIが、焼きそば買いに行ってる間に、この曲で立ち上がって踊ったね。下が芝生で残念ステップ。でも、この1曲で揺らぎは満足したね。

 

 

 5年前。娘の出産の手伝いに横浜に出かけました。産後、生まれたての3番目の赤ちゃんとPAPAとMAMAと3人だけの日は、当分ないだろうと思ったので、気を利かせて上の5歳、3歳の二人の孫を連れて電車に乗りました。

 横山剣の歌う、大好きな小泉純一郎元首相の住む(横須賀)の海が見たいなあと・・・。自衛艦を眺めて、海の側でランチして ゆっくりと 二人をおんぶして抱っこして 海軍カレーをお土産に 帰路につきました。

 家に帰ると、この二人の孫が声をそろえて、「ぜーんぜん、楽しくなかったあ」と、PAPA&MAMAに訴えたので大笑い!幼子とて道中は、我慢していたのね。BAだって、本当は街中も見てみたかったのよ。 「俺の話を聞け!」BAも一生懸命だったんだよ!

 

                      この 産まれたてが  今や  年少さんのラッパーかしら?

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3日間の観月会

2016年09月17日 | 日記

 山の温泉の帰り道、すすきが顔を出していましたので、早速 お月見団子と一緒に。  

  

                 

  すすきの上にあるのは、初期のたまごっち。 折角出したのに、6人の孫たちの誰も興味を示しませんでした。            ああー 昭和は、遠くになりにけり。

  

 翌日、買い物から帰ったら、GIがすすきの束をくれました。近くの土手で採ったって・・。 そりゃあ もう玄関先に ドカンと活けました。もうこれだけで、秋ですよ の清涼感 いっぱい。 月は、出たり入ったりで残念かなー。

 

                              

 

 その翌日は、本当の「観月会」。台風が来そうで雨が降り出したのに、やってるのかな?と、夕暮れて 初めて出かけてみました。大勢の人で、びっくり。雨の中、日本舞踊や詩吟まで・・。  お茶席がありましたので、立ち寄ってみたら 無料。  上等の茶菓子つきで これまた、ビックリ。テントの中で濡れることもなく一服させていただきました。親切な若い男性のお点前方 有難うございました。

 

            

       思いがけず 3日間も、月見の会ができて良かったわ。

 

 私は、母と心で会話するときは、月の姿の母となんですが、最近は、月見ることも少なくなりました。多分、かってのように傍若無人の朱に戻りつつあるんでしょうね。母さん、元気でやってるよ!  世間?  知らんがさ、そんなものは・・。と、自由で自分の好きなように生きることが、幸せのバロメーターさと、昔っから直らないね。 もう6人の祖母だよ! 足も 大丈夫!       母さんは、7人の祖母だったね。 みんな幸せにしてるよ。 さあ もう雲に隠れてもいいよ。

 

 歌で、すすきというと、やっぱり吉田拓郎の「旅の宿」(昭和47年)でしょうか?

 『浴衣の君は すすきのかんざし 熱燗徳利の首つまんで・・・』と聞いた時の衝撃は、忘れられません。曲とも合っていたけど、今までの音楽の歌詞とは全く違う 岡本おさみ の歌詞の何とも自然な大人チックさ。 だから、この間まで拓郎は、私よりも5~6歳は年上と思っていましたもの・・。

 また、時代的な流行歌では、「昭和枯れすすき」(昭和49年)作詞山田孝雄 さくらと一郎の歌。

 『貧ししさに負けた いえ 世間に負けた この町も追われた いっそきれいに死のうか・・・』は、GIによると、

 「船頭小唄」(大正10年の野口雨情の民謡「枯れすすき」を昭和32年に改題し森繁久彌で大ヒット)

 『俺は河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人は この世では 花の咲かない枯れすすき・・・ 』に呼応して作られた どちらの歌も自殺願望の歌なんですって・・。 エッツ!酔った父はよく歌ってましたが・・・。寂しかったんだろうか・・。どちらの曲も、メッチャ流行したよね。 まあ、哀愁を帯びた調べでは ありますね。

   深く考えたことなかったわ。ホントGIは、私の専属うんちくマンだね。酒も飲まず、歌も歌わないのに物知りね。

       閉塞感を感じる今こそ、平成の枯れすすき どなたか作ってくださいよ。

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変形性股関節の術後・2年6か月

2016年09月14日 | 日記

 術後、2年6か月が過ぎました。 パラリンピックの三段跳びの方々の、器具を弾ませて飛ぶ姿を美しいなと眺めました。

 股関節は、本当に身体の要。中枢にあって、身体のすべてを支配している。その股関節の骨を人工にしたのですから、飛べない。走れない。全て思いっきりができなーい。  でも、孫との遊びに体を動かすことには、何の支障もありません!

  もしも、保存療法を選んでいたら、生活の質は落ちたまま、まだ周りを心配させていたでしょう。そう思うと、本当に手術を早めに決心して良かったと思います。元気に歩く今があるのですから・・。

 高齢者の心身の豊かな暮らしとは、精神の充実と社会とのつながりと、健康で自立していることだそうですが、股関節の術後とはいえ、私は健康です!     

 でも普通歩きで5000歩超えた時の疲労感は、股関節に荷重がかかりすぎて、筋肉疲労を起こし、関節を筋肉が守れない状態かと思います。(これは、人工のせいばかりではなく 外反母趾や老化による足の疲労もあるのかなと思います)

 で、そんな時は、風呂に入り、一晩寝ると、筋力は回復し、股関節への負担が軽くなる。で、OK,OKの元の足に戻ります。

 だから、日によって違う足の調子、不意にやってくる違和感を、じーっと見つめて、寝ちゃう!  手術したことに何の後悔もなく、今の全てに感謝です。 

 中途半端に痛んでいたら、グズグズと迷ってまだ保存とかでお金も使って、時を過ごしていたかと思うと、出産の何倍も痛かったあの冬の日々が、あったからこそ・・と思います。我慢できない痛みとこらえ性のなさで、逆に早めに決断して良かったあ。

 

 少し話が変わりますが、

 先日の夜「あくび」をしようとしたら、エッあくびが途中で止まる?途中で止まると、息苦しくて不発感が辛い。 数回 その繰り返しの深夜のベッドの中。幾度かの あくびの途中止めの不快感。 

 ああ、こんなことも自力で できないのなら 死にたいわ。  あくびができないからって死んだ人は、いないだろうね 等と 深夜の時間を悩んで過ごしていると、気配に気づいた隣のGIが「どうした?」ムニャムニャ「あくびが途中で止まるから気持ち悪いの」と私。「大きく深呼吸してみろ」ムニャムニャ「それでもできなかったら胃薬でも飲め」ムニャムニャ、ぐーぐー。

 「深呼吸ね」 と そっとベットから起きて何回か深呼吸をしてみると、あくびがでてきて、最後までフワーッと大きく出来ました!良かった。良かった。あくびって眠気じゃなくって呼吸なんだ。あくびの途中で息がつけなくなる息苦しさが 消えました。良かった。これで、解決できた。すると、すぐに眠れました。 たかが あくびも解決方法を知らなかったら 怖いね。

 翌朝、「ごめんね」といいましたが、全く気にしてないようなGI。   こちら、あくびで死まで考えてたんですが・・・。

  

          雑草だから抜けというGI。雑草魂のBAなのに・・。

                           ようやく見事に咲いてくれました。

 

 

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「解夏」 さだまさし 解説 重松清   ・・・  読書会

2016年09月10日 | 日記

 17年目を迎えて、今期第1回目の帚木蓬生読書会。

 さだまさしは、みなさん読むのは、初めて。「解夏」は、彼のウンチクに満ちた純愛物語。

 14年前の作品で、映画やTVドラマにもなっていたそうですが、知りませんでした。ベーチェット病は、EXILEのMATSUさんを思い出しました。頑張られましたね。 今は、どうされているのでしょうか?

 映画の主題歌は「たいせつなひと」。

   物語の内容は『その手を離さないで 不安が過ぎゆくまで

           哀しみのほとりで出会った  その温かい手を』の歌詞に集約されています。

 

 釈迦の教えの禅宗では、生命誕生の雨期の季節には、庵で修行をとのことで、その座禅(考えること)の始まりが「結夏」(けっか)。終わりが「解夏」(げげ)というそうです。

 小説の主人公が、失明の恐怖におびえて日々を過ごし(行)、 失明した時が、恐怖からの解放で「解夏」。   

          人は、心で生きている って話でした。

 

                    街には、ジャズフェスティバルの、微かな どよめきが。

 

         

          台所の友達。「やもちゃん」と「ピカチュー」BABAお炊事がんばーります!

 

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