朱の徒然

変形性股関節症の76歳

右足変形性股関節症術後・4年1か月・・あれっつ左が変!

2018年04月27日 | 日記

 

 

 雨の春北風が吹く日、豊後大野市の「原尻の滝」を見る長いつり橋を渡っているとき『あれー、左足不調かな?』と、微かに思いました。

 バスの一番後ろの席で、やっぱりと ふさぎ込む気持ちを抑えながら、必死でズボンの上から左の股関節をもみ続けました。

 もみながら 5年前 あの右足の ナイフで刺されまくるような死にたくなるほどの鋭い痛み。あの時が最大の10の痛みなら、今のこの痛みは、痛みというよりも足、股関節の不調?だから、まだ1だ と、自分の心を安心させました。

 あれから、3日目。やっぱり風呂に入っても、何だかな―   痛いというよりも、リンパの腫れであってほしいと思う、若干の内股側(膣際)の異和感。触るとこりこりしてるし、もみほぐすと気持ちいい快感。お尻の太腿近辺の軽い筋肉痛の感じ。まさにここら、股関節でしょ!

 右足術後4年目の今年。もう卒業かな?と 年に一度の検診を受けませんでした。すっかり自分の足として人工股関節が馴染んでいるので、もう病院には関心を持たなくなっていました。だって、何の不安もなく健常者と同じ暮らしなんですもの。

 走って、飛んで、ブランコにも空高く舞って・・・人工股関節の意識なんかない!

 

 まさか、左足の軟骨が すり減ってきてるなんて!と思うと 口惜しい、悔しい!何に?誰に?

 この4年間、もっと歩きたくても程々にし、そのくせ 筋肉もつけなくてはと寒空でも歩きと、いつも足に心と神経を傾けてきたのに、何で?・・・。

 なんで医者は、股関節の手術技術向上よりも、患者にとっては一番嬉しい軟骨成分の研究をしてくれないの?という 身勝手な腹立たしさもあります。  また最終的には、手術で治るという安心感もあります。右足手術のお蔭ね!先生!

 

      手術でGIをまた心配させることの すまなさを思うと ごめんね。

 でも、心のどこかでは いづれ左足も手術という この覚悟の為の4年間だったとも言えます。(出会った殆どの方が両足手術でしたものね)

      だからこそ、後悔しないように 日々の暮らしの中で 4年間全力疾走してきました。やりたいことは、全部やった!                    (70歳ともなると、いつ死んでも悔いが残らないようにという一日一日でもありますね) 

 

  とりあえず、今の私にできることは、まず節制することで2㎏肥った体を元に戻す。

 今までの様に、少し しびれるような足裏にマッサージ機を。筋肉の落ちてきた太腿にも、腰にもマッサージ機を。(整骨院ではなく自宅で小さな器具で・・・。無駄な費用はかけない)

 そして、手術への道程を少しでも先へ伸ばすために、不調を感じたら 即寝る。横になる。(5年前は、少しの不調でも歩いて治してましたし、生来 愚鈍、雑だから足の悲鳴に気づきませんでした)

 まさか股関節症とは、思いもせず足に負担をかけていました。(動かず、寝転んで自由に背伸びする為の70歳でしょ!)

   用心しながら未手術で過ごす時間が、あとどのくらい残っているのかは、神のみぞ知るですが、

 あの死にたくなる鋭い激痛が襲ってきたら、もう限度って・・アッサリ手術を受ければいいだけ・・・・。術後4年経てば今の様に違和感なく自骨同様に人工が成る。この4年の右足に感謝!左もう少し頑張れ!  

        ただ 又かとGIを悲しませるのが辛いだけ・・。さあ、今のうちに足動かして GIと遊ぼう!

  

   長い髪の少女ティラ。 マックの「ナゲット・バック」を手に入れましたよ。

   駐車場咲きの渋い蘭も あやめを引き立てるね。家中が一番華やかな季節。

 2日続けて草むしりをしたのも、股関節に影響したかしら?

 狭い庭でGIは野菜類の収穫に心傾け、雑草には興味ないみたい。男と女の違いでしょうね。笑えるよ。

  ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」を、私と同じように妄想しながら庭で作業する静かな楽しみと思っていたら違っていて、ガッカリしたことを想い出しますね。男って・・。庭すら 心じゃなく形なのね。

 私の20数年前からの庭作りは、宿根草を中心に植え、花開いたらお礼に心を込めて傍の雑草取りをするとしてきました。

 術後、4年前にGIに明け渡し野菜畑に替わったのに、四季折々よく花は咲いて、GI&BAの心と会話を楽しませてくれています。 有り難うだね。

 

 

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バス旅・「湯布院」散策と「原尻の滝」

2018年04月25日 | 日記

 どっしゃ降りの雨の中、「湯布院」散策と「原尻の滝」バス旅だから・決行!

 

 初めて、2着のレインコートを用意して交互に着替えながらのバス旅となりました。

 バスの中はキャンセルなのか? 2席空きがありましたので、GIと前後ろと離れて座りました。

 高速道路沿いの山々は、大分に入ると杉の針葉樹林が連なり、今の季節ならではの薄紫の山藤がまるでイルミネーションのように、木々に美しくまとわりついている。花って、力強いのね。大地を張って、天まで伸びるんだね。

       ここまで伸びて多いと、伐採手入れしない林業人口の減少もあるのかなーと、思ったり・・・。

 着いた湯布院は、明治44年創業の落ち着いた風情の『山水館』の風呂付き食べ放題ランチ。

 ランチの席は、同年齢の3組の夫婦相席でしたので、話が弾んで楽しい食事でした。楽しみにしていた温泉は、女風呂は2階でしたので由布岳を望みながら、陶器風呂で ゆっくりと温まりました。

 次、雨も降ってるし、観光客の韓国の方々いっぱいの土産物通りだしで、あんまり気の進まない湯の坪街道・散策100分。

 しばらくぶりで来た湯の坪街道でしたが、ちょっとセンス良くなって、建物に阿蘇神社の水基巡りの雰囲気をも醸し出していました。でもよく見ると、『GOEMON・五右衛門』通りかえ?と思う位、湯布院・弱肉強食は、決着がついている感じでしたね。

 さて、次回来た時は この観光・戦国絵巻が どう変わってるか? ですねー。まあ、別の観点からの楽しみ。

 GIと二人で、雨を避け時間つぶしに、前からあるモダン古民家の喫茶店『CUCUTI・くくち』で、古伊万里の器でコーヒーを飲みながら、静かな湯布院を初老夫婦らしく 山を眺めて 過ごしました。

 ラストは、日本の滝100選にも選ばれているという「原尻の滝」。9万年前の阿蘇山の噴火で出来たという滝は、素晴らしかった!  でも、我が家からは、遠すぎた。滝から、真っ暗な豊後の山々を4時間かけての帰路は、疲れたね。

 

 

 大分のナイアガラの滝だそうですが、そりゃあ 凄かったね。吊り橋も長くて、道の駅の「苔玉」もステキでしたね。

         豊後大野市・心に残る風景でした。

 

 

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読書会「天に星 地に花」帚木蓬生(集英社文庫)

2018年04月21日 | 日記

 『帚木蓬生読書会』に久々に 帚木蓬生作品登場。

       会員の中には、帚木蓬生作品が少ないからと 脱会された方も・・・。

 

                  

 

 「天に星 地に花」そして、人に慈愛。   納得の帚木蓬生作品でした。こういう作風であってほしいという願い通りでした。

 大庄屋の次男だった医師が主人公ですが、江戸時代・享保の2度にわたる久留米藩の農民一揆の話でした。

 帚木蓬生の慈愛に満ちた庶民・百姓の暮らしが、食べ物を中心に、きめ細かく丁寧に描かれ、史実に基づいているのでしょうが『高松凌雲』の伯父にあたる人の人生物語でした。(2013年・読書会の秋の旅で、コスモス巡りをして立ち寄った小郡市の「あすてらす」で高松凌雲コーナーを見たときに、帚木氏が書かれるような予感を仲間と話した覚えがあります)

 

                

 読書会の話し合いの中では、享保の時代と現在が一緒で、社会保障制度など悪政ばかりで、何で今、一揆がおきないのかといった物騒な話も出ました。 それに日本は 観光立国目指すって、単に数の拡大なの? それより内需充実でしょ?とか・・。

 ベストセラー「新・日本の階級社会」(橋本健二・早稲田大学教授)では、階層ではなく、今や階級地位と言ってるね。この格差の拡大は権力の腐敗が元ね とか、キャッシュレスのQR決済が始まってるとか・・・。

 

 「天に星・地に花」と今の時代を話しながら 私達は、ビルの13階のレストランの個室で、眼下の中洲の街行く人たちを眺めながら 美味しいメイン料理プラス前菜・飲み物・デザート食べ飲み放題。それをクーポンで10%オフ。と、

 先達の悲劇とは無縁に、呑気に みんなよく食べ、よく語らいましたね。 

 帰りに立ち寄った集客力日本一の『パルコ』は、まだ5時前なのに 沢山の若者で溢れかえってました。 

    

     鉄線も咲いて、花盛り。     外壁側にも、飾ってあげました。 

 

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ダム友の会・・・竜門ダム

2018年04月17日 | 日記

 久しぶりの GIと二人だけのダム友の会。 小雨決行。

 佐賀県西松浦郡有田町の重力式コンクリートダム「竜門ダム」へ。1976年完成の主に洪水調整の為の多目的ダム。

   

 思ったより小さなダムでしたが、「竜門ダム」から登る山道沿いには、1メートル弱の石仏が所々に・・・もしかしたら、この近くの集落の方々は信心深かったのかな?

 車で登り切って、ランチをと 着いたところは、創業大正10年の川魚料理の料亭「龍水亭」。

 

  

 雨交じりで少し肌寒かったのですが、室内は暖房が適温に入れられた椅子席での ゆったり個室。

 前菜数種や アユの塩焼き、鯉の洗いを手作り味噌で頂き、そして鰻の蒲焼、肝吸い、鯉こく等の川魚料理。 窓からの美しい風景と相まって、美味しく堪能しました。特に、鯉なんて久しぶりのぷりっぷりの旨さでした。池の鯉も たくさんで大きかったね。

              

 のんびりしてから、何処までも続く山々と、一般住宅の、まるで城の瓦のような立派な屋根の多さに圧倒されながら、伊万里に・・。ところが思ったよりも高額の陶磁器に手が伸びず、結局ノリタケでカップセットだけを思い出に購入。(有田や伊万里と波佐見では用途が違うのね。もう少し勉強してから伺います)

 ラストは「伊万里温泉・白磁乃湯」に入り、GIが眠ってる間に久しぶりにヘッドマッサージを受けて寛ぎました。

 ここでは、大きなドラえもんの貯金箱を買いました。

 孫達に、500円玉を貯めていて、小学入学時、目の前で開けて「わーい」と喜ばせてきましたが、こんなに大きい貯金箱だと、これは 何時開けるのかな?孫全員成人してから?  6番目成人時に、6人一堂揃うかな?我らは85歳だよ。 楽しみが広がるね。

    今日のダム友の会も、爽やか新緑で 面白くって 楽しかったね。一番の思い出は「龍水荘」だったかも?  

 GSの音楽は『長い髪の少女』いいねー、モップスが良かったねーと 帰途で聞きながら 二人で盛り上がったね!   

     70歳、何の後顧の憂いもなく 底抜けに明るい老後の暮らし 万歳だね!

GIが頑張って来てくれたお蔭で、今があるんだよ! 40代の息子と婿殿、今が踏ん張り時だよ。頑張れ・人生!

   

   小手毬やアイリス?もふんだんに咲き始めました。

 

         風呂場や玄関も、さわやか 新しい季節です。

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熊本地震後2年  そして朝倉水害後9か月

2018年04月14日 | 日記

 もう初夏の花々が 咲き始めました。 静かに のんびりと初老夫婦の日常が過ぎていきます。

 熊本大震災後2年が経過しました。復旧は はかどってるのでしょうか?

 

与謝野晶子の『地震の夜の 草枕をば吹くものは 大地が洩らす 絶望の息』を、いつまでも思い出させますね。

 中村汀女が生きていたら、江津湖をどう詠んだのでしょうか?

 

 朝倉大水害から9か月が経ちましたが・・・。新聞に、朝倉で「流木展」と書かれていましたので、こちらで勝手に水害の山の流木を使っての展示会と思って出かけました。

 古民家改築のレストランで、水害とは関係ない 海の流木で作られた家具や小物の手作り品の 商いでした。

 私達も70歳という 年齢になると、もう新しいものは何にもいらないんですよ。  服や靴も捨てなきゃと思いながら、古いのが身体に馴染んで心地よいものね・・・。だから、商品を見せていただくだけで ゴメンナサイ。ランチだけで・・・。

 でも、なんだか吹く風が気持ちの良い田舎の風景で、緑が多いせいだね とおしゃべりしながら勘違いを楽しんだ午後でした。

 

 この、カウンターで ハンバーグとチキン南蛮を食べました。 白い椿がバラ風で すごいね。

 

       散る山吹もいいね。       雑草だって家の中で 花咲かすよ。可愛いね。

 

 毒ジャスミンと芝桜も合うね。  お隣の庭に伸びすぎた紅葉をカット。小さな花と飾ってあげました。

 

 イスラムの少女風ティラ。庭の小花が咲く咲く。

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