朱の徒然

変形性股関節症の76歳

帚木蓬生の読書会  「Reーbornはじまりの一歩」実業之日本社文庫

2015年08月30日 | 日記

 今夏8月の例会は、台風の影響もあり、チト肌寒く感じました。

 我が読書会にとっては、1年に1度募集する、新しい会員との出会いの時期でもありますので、今回のテーマは7人の若い作者の再生の物語の短編集としてみました。 

 私も娘から譲られた本でしたが、こんなに主人公が若い作品は自分一人なら選ばなかったと読書会ならではの良さを語る方もありました。  読書会に幅広さを与えてくれる娘に ありがとう!

  今期は、見知らぬ人が集まる難しさも痛感しました。

 で、なかなか弾まない会話の中で、話題の東京オリンピックのエンブレムの模倣問題と絡めて、私達は文学仲間の会なので、昔から言われている俳句の模倣、元句問題を 採りあげてみました。

 夏目漱石の一句(明治28年9月 海南新聞)

          「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

 親友・正岡子規(明治28年11月 海南新聞)

           「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」   こちらが、爆発的ヒットでしたね。

 で、私も参戦。俳句と短歌の違いはあれど、

 かの有名な与謝野晶子(明治38年 晶子27歳で発表)

           「金色の小さき鳥の形して 銀杏散るなり 夕日の岡に」

 似てるでしょ?エンブレム(表象)として・・。 これでも、あんまり話は広がりませんでした。

 

 でもでも、私たちは、まだまだ新しい人間関係を、自らの若々しい心と好奇心を育てる一助として求めていきましょうね。

 

        

 庭に小さなバラが咲いてました。クロスはお嫁から。  雨続きで、さみしい庭ですわ。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原へ     旅するソングライター   浜田省吾

2015年08月25日 | 日記

 久しぶりの長いドライブ旅行。往復6時間の旅のお伴は、浜田省吾。

 「路地裏の少年」「君が人生の時」「J、BOY]「日はまた昇る」「風を感じて」「遠くへ」と次々に聞きながらの旅は、心躍ります。

 音楽は、聞いていた時代の自分の心を思い出します。「19のままさ」の私が「もうひとつの土曜日」の、息が詰まるほど人波に押され・・・を聞くと、あの喧騒の大阪駅の階段を上りながら、心の中で口ずさんでいた事が懐かしくなります。浜田省吾さんも、もう62歳。

 こうして彼の歌をなぞりながら、夫と二人で旅しながら聴ける幸せ!

 夫が私の思いを叶えてくれることの嬉しさ。好きな曲を聴きながらドライブできることの嬉しさ。    今の全てに感謝して ありがとう!

 それにしても、高速道路を過ぎてからの、島原鉄道と競争していく道のりの長さよ。少し腰が疲れましたので、曲に合わせて上半身のチェアダンスをしながら行きました。夫にちょっと恥ずかしかったけどね。

 ようやく着いた島原旅の目標の第一は「釈尊涅槃像」全長8.6メートル。高さ2メートルを見ること。

 鉄筋コンクリートとしては日本一とか。下から見上げたせいか思ったより大きいとは感じられませんでした。又、お顔が怖いのではと思っていたけれど、案外と安らかな表情に見えました。蓮台枕のせいかしら? 浄土賽銭箱が盗まれないように工夫されていたのも良かったですね。

 細長い商店街の中にある禅寺「江東寺」は、お盆も過ぎ、ひっそりとした中にも殿を支え続けた多くの家臣の姿が、びっしりとした墓群に感じられました。周りを墓群に囲まれ、小高く登った上にある殿の墓の隣での「釈尊涅槃像」のお姿です。昭和32年にまで忠誠を?

 涅槃像の後ろの山の反対側には、火砕流で出来た山が・・。

 近くの仏具店には、仏師がおられるようで興味がありましたが、なにせ、こんなに遠い処とは思っていなかったので、すでに午後1時を過ぎていてお腹が空いて・・。水の都といわれるだけあって、あちらこちらに、豊かな湧水が・・。もっと見て回りたいと思いましたが残念。お腹グーグー。

 やっぱり、望んでいたホテルの部屋休憩は1軒目は断られ、仕方なく港の側の「ホテル シーサイド島原」にたどり着きました。ここで良かった!良かった!

 ホテルはまだ新しく、レストランから見える海もすばらしい絶景。料理も、具雑煮会席も島原鶏会席も和も洋も安価で、美味しくいただきました。

 そして、SPA.なんと500円。それも、外港を観ながらの高濃度炭酸泉26°Cの心地よさ。

 今まで、あちらこちらの炭酸泉(ラムネ温泉)に入ってきました。

 番台の隅に控え目に、日本有数と書かれていましたが、いやいや、アンタが大将とお墨付きをつけれるほどのラムネっぷりと26度の湯というのは夏の露天風呂には最高!

 人気のない小さな休憩室でゴロンと寝て、ウトウトのーんびり。全て清潔でもありました。

 近かったら、毎日でも入りたい高濃度炭酸泉の気持ち良さと値段の安さ。感動感動!

 で、帰りも、浜田省吾で、3時間。今でも頭の中で彼の歌声が聴こえます。

 やっぱ、№1は「MONEY]でしょ。   「晩夏の鐘」もいいね。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージカル 南太平洋

2015年08月18日 | 日記

 

 「南太平洋」は観て びっくり!

 藤原紀香、別所哲也主演の舞台で4千円は破格の安さ! 実は娘と二人で出かけ、ショッピングして、食事してと楽しみ計画をしていましたが、孫たちが次々に「おたふくかぜ」。そこはやっぱり、病の時には祖父母では、務まりません。で、夫と二人で出かけました。

 夏休み里帰りの2週間目でもあり、かわいい孫達ではありますが、距離置きには丁度良いひと時ではありました。お互いに束の間の息抜き・・。

 日ごろが、のんびりと過ごしていますので、孫たちとの慌ただしい暮らしは、身も心も大変。というわけで、夫婦とも華やかな舞台なのに、眠ってました。疲れて・・。

 内容を考えずに、劇場に来ましたが「敵 敵」と云ってるのは、もしや「敵の日本艦隊 敵の日本艦隊」と言ってるってこと?はあ?

       と思ったら、暗然となりました。

 劇中歌の「バリ ハイ」は、過去何度も聞いていて耳に馴染んでいて口ずさめるし、ミュージカル「南太平洋」も 懐かしいとさえ感じた題名です。でも、初めて、この作品に 問題意識を持ちました。

 前夜に、NHK・TVで「憎しみは こうして激化 太平洋戦争の宣伝戦略 隠された不都合な真実 日米・熱狂の映像」を見てもいました。 米海兵隊の撮影したプロパガンダの怖さを・・。

 「南太平洋」は1942年のガダルカナル島のソロモン海域の対日作戦が舞台。恋と人種差別話も嫌でしたが、結局全てが日米戦争に通じる話でした。

 アメリカでの舞台初演が1949年。映画もヒット。 早や1966年からは、日本でも菊田一男が東宝で初演。次に宝塚でと 日本人は、多分当事者意識がなく演じてきたのでは・・・。と思うと日本人として恥ずかしい!   

 ポリネシア人を小馬鹿にし笑いながら、アメリカ人とフランス人の恋にうっとり。南太平洋で命を落とされた方々に、何の良心の呵責もなく、のうのうと観、演じてきたなんて・・。

 恐らく、誰も70年前の日本人が、サンタクルーズ諸島まで出撃し、惨めに負けたのを知らないのでしょう? 亡くなった方の子や孫でさえも知らんの? 大海原の海の藻屑と消えられた海軍の方々を・・。

 私を含めて、日本人の過去にフタする、無知であることの愚かさ、怖さ!を教えてくれたミュージカルでした。

 まさか、この「南太平洋」は、戦後の日本に米国が繰り出したプロパガンダじゃないでしょうね?   まあ、それに乗って楽しんで気楽に経済大国になって、今や、たった70年で過去の加害の歴史を謝らないという国ですものね!  

 同じ敗戦国のドイツのメルケル首相は「歴史に終止符はない。ナチス時代を知る責任が我々にはある」と演説されたとか・・。頭が下がりますね。  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

処暑   ほんと、涼しくなりました

2015年08月18日 | 日記

 26日間の、娘一家の 里帰り が終わりました。

 9歳、6歳、3歳の男児は、それぞれが個性豊か。3人の面倒をみることの大変なこと!

 そこで、一番の助っ人は、前の家の11歳の優しい女の子。面倒見も良いので、毎夏、私は頼りにしています。

 孫達は「チーちゃん チーちゃん」とまとわりついて、一緒に花火も2回も道路でやって大はしゃぎ。みんな大好き太鼓の達人もガンガン叩いて、すいか割りも2回。そして、無理矢理お泊りにも来てもらいました。 チーちゃん本当にありがとう。

 ご近所の皆様、毎夏、大騒ぎでごめんなさい!   でも、去年と決定的に違ったのは、庭でのプール遊びをしなかったこと。今年は異常な暑さで、日中は外遊びは、控えました。

 それに、次々かかる「おたふくかぜ」に、楽しい気分が そがれもしました。こんなに、高熱が出るとは・・。長男の39度超えには、髄膜炎では?と心配して、久しぶりに氷枕で冷やしながら 眠れぬ夜を過ごしました。

 でも、子供って ほっぺふくらんでも、治るときはケロッと治るので、楽しいことも、いっぱい出来ました。

 「シーサイドホテル」にお泊りして、プールと海と美味しい食事。   川で 滝行と沢カニ採りも2回。やっぱ、泳ぎ帰りの、ジョイフルかき氷は美味いね。

 BABの故郷では、室内プールで泳いだ後は、おばさんから段ボールいっぱいの玩具をもらって 子供たちは、歓声あげて嬉しいビックリ。そして、初めての7歳の「いとこ半」との出会い。すぐに仲良くなって、DSでおしゃべりしながら、遊べたね。

 ラストは、1週間の夏休み休暇の婿殿の、初「ぎっくり腰」のおまけつきでしたが、みんな元気になって帰って行きました。。

 後片付けに3日かかりました。布団カバー、シーツ、タオルケットなどの寝具類を次々に洗い、糊付けしてお日様に干すときの晴れ晴れとした満足感。

 1年に1回しか出番のないたくさんの玩具類を、どれを処分すべきか選別しながら、あれほど夢中だった「トーマス」では、もうなくなったようだけど、息子の2歳の子には、まだ必要じゃないかな などと考えるひと時も、祖父母ならではの孫を思う一種の幸福感。

 片づけ仕事は はかどらず、夏バテと、脱力感とで3日が必要でした「。いつまで、重い衣装缶や応接台を抱えられるかね」と二人で話しながら・・。こちらの老化が進んで出来なくなる頃は、孫達は成長して もうGIBAの懐帰りはないのでは?などと感傷に浸るのも又いいものです。

 

 落ち着いたところで、映画「ラブ&マーシー」を、観に行きました。ザ・ビーチ・ボーイズの珠玉の音楽ドラマとのことなので、きらら(川崎市の股関節友の会)の先生に教えていただいたチエアダンスでも、映画観ながら軽く踊ろうかなと、軽快な音楽を楽しみに、一番前の席に座ったのに、 うんざり、心の病の話でした。 それでも、もっと、回想としての歌、入れてくれてもいいでしょうに・・。ファンの為に・・。

 でも、ザ・ビーチ・ボーイズは兄弟3人と従弟と友人との5人グループでしたので、我が家の湘南ビーチボーイズが、これから どんな大人になって GIBAを楽しませてくれるのかなと思ったりもしました。

     

 3歳のママの志村けんのダンス姿。           ママのヘルメットの9か月の次男。 

  

   次男坊は、生まれながらのパフォーマーのようです。

 

 

台所のめだかの水槽。姉に貰いました。    トイレにオリヅル蘭とシダを苔で巻いて。

 

      

   ようやく、ゆっくりと トクサを活けました。気分、さっぱり。

 

    

ひまわり畑にも行ったね。            お花を ありがとう!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする