朱の徒然

変形性股関節症の76歳

読書会「薔薇窓の闇」帚木蓬生

2019年01月26日 | 日記

 2004年(15年前)に、読書会で採り上げたときは、新潮文庫で「薔薇窓」。解説は、女優の山口果林でした。今回は、集英社文庫で「薔薇窓の闇」。解説はフランス文学者の野崎歓。

     サント・シャペルの絵葉書を頂きました。

 2001年、新潮書下ろし エンターテイメント。『パリ警視庁付きの精神科医が診断した日本娘。花の都を襲った連続誘拐事件と貴婦人ストーカーをつなぐ狂気の糸は、日本ブームに沸く街を恐怖で絡めとった』『パリを熟知した著者ならではの大作!』と、宣伝されてましたが、正にその通りの内容です。

 会員の方の「1900年のパリ万博の詳しい解説書のような感じ・・・。精神科医としての様々な症例そして恋? 堪能しました」に納得だけど、私も15年前は胸ワクワクして読んだけど、今回は少し俯瞰して、帚木氏が書かれた当時54歳という作家として男盛り?と考えたら・・。主人公は帚木氏自身で、女に対しての冷酷で身勝手で・・・。人情があるようでないようなお気楽さ・・・。だからこそ、華やかで面白くって まだまだこれからも、舞台化、映画化といった面白い展開が期待できる 帚木氏の代表作の一つだと思います。

 調べてみると、刀のつばの紋様を、ベルトのバックルに模したのが当時流行ったなんて、あらためて男の留め金具に注目しました。帚木氏の発想の素晴らしさ! 有り難う、こちらの興味をグイグイ引っ張ってくれる本ですよ! 鍔に写真、すごい知識です。

「声を届ける 沈黙しない」朝日新聞も 創刊140年だそうですよ。

 

ホテルの日本料理店で、コーヒー付きランチ。皆で このロビーで のんびりしてから、二次会へ。

   近くの九電・営業所で、血管年齢、肌年齢、骨密度を測って笑いあって お別れ。

 機械で測ったら、10歳以上の若い肌年齢でしたが、私が朝晩つけてるのは「ピュア ナチュラル」の600円の(美容液+クリーム)1個だけ。ハッツハッツ それに化粧しないので、シミしわで老醜の猿なのに 血管も肌も若いらしい。 まあ どうでも いいっつかね。71歳だ。

もうすぐ節分。今年は、猪突猛進が主役さね。自分の人生を突っ走るぞ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ライ麦畑の反逆児  ひとりぼっちのサリンジャー」

2019年01月22日 | 日記

  いい映画でした。  「ライ麦畑でつかまえて」(1951年31歳の作品)で有名な生誕100年のサリンジャーの青年期の物語でした。

        映画館のジェームス・ディーン。

 まず、あの時代、ニューヨークのマンハッタンの風景がいい!  音楽と服装と建物・豊かな時代への憧れを満たしてくれました。

 1939年、裕福なポーランド系ユダヤ商人の息子の20歳のサリンジャー。作家としてこれからという時に、ドイツのポーランド侵攻、日本の真珠湾攻撃が起こり、第二次世界大戦突入。志願兵として、イギリス、ドイツ等の戦場での過酷な体験で神経衰弱に・・・・。 書くことが『魂の鏡』とも言って、戦場でも紙とペンは 放さなかったのにー。 戦後になってもフラッシュバックする恐怖体験。 

 苦しんだけど、瞑想(ラーマクリシュナ・インドの宗教家)で気持ちを持ち直し 書き続け、新しいスタイルの現代社会を描いた「ライ麦畑でつかまえて」が大ベストセラーに! すると、熱烈なフアンが現れたり、出版業界の熱望ぶりも嫌になり、森の中での田舎暮らしを始める。

  美しい妻と、二人の子供もでき幸せかと思っていたけど別れ、高い塀をめぐらし、以降は一本の長編を書くこともなく、2010年、91歳での死去。

    妻が『瞑想はしても、許しは学べないのね』と言った辺りでは、サリンジャーは、「自分ファースト」だったんだろうか?

 自己中心、自己憐憫(他人に配慮することなく、ウツだって自分の殻だけを主張する人)は、周りの人を巻き込んで不快にするので、妻は離れたんでしょうね。    (話は少しづれますが、イラストレーター南伸坊71歳は、「便ファースト」だそうですが、私もなんですよ。この年になると、自分の体と心の一番大切なものが分かりますものね。でもトランプが「米国ファースト」とあからさまにいったら全てワヤ)

         サリンジャーの半生は、幸せだったんだろうか? と、考えさせられました。(ラスト人生は、年若い看護師の妻だったそうですが・・・。女にはモテたんだね)

 脇役の俳優達も、主演のニコラス・ホルトも良かった。  でも、 青春の王道映画「シング・ストリート」に次ぐ「ライ麦畑で出会ったら」も観たかったわ。多分、サリンジャー物は、いくつになっても、人が持ってるデリカシーとか我がままとかを素直に表現してるのでは?

 

          

 

 

 近頃は、観光客の方々がアクロスをスマホで撮られてます。私も、デジカメで パチッ。不思議な建物ではあるね。      

   

アクロスで、「天草陶磁器展」が開かれてました。GIへの土産に高浜焼の寿芳窯のイノシシ2体と丸尾焼の箸置きを買いました。

多分 窯元も12年後しか作られないでしょうね・・・。我ら夫婦も次の84歳まで、元気でいたいね。BA猪もGI猪を大事にしますね。

   夕飯は、昨夜の水炊きの残りで 雑炊を・・・。旨いね! 粗食が一番!

 

川では いつもの黒鴨が二羽。子供はいつ?    青い空には、高く高く飛行機が飛び、幸せ気分の帰り道。

 

家では、何年も咲き続ける二色のシャコバサボテンが迎えてくれました。

 

  先日、洋服店の試着室の三面鏡。斜め後ろを振り返ってギョッ「老醜の猿!」そのものの私。すぐに、ベリーベリーショートヘアに・・。

   母は、老人ホームカットと言って嫌ってましたが、スース―すっきりしました。 老いカットで 頑張る!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「この道」・・北原白秋の生涯

2019年01月15日 | 日記

 今年初の映画「この道」。柳川の北原白秋って、どんな人なの?との好奇心と童謡が歌える!という楽しみで出かけました。

                 

 ああー残念、B級映画でした!

 いったい誰を対象にした映画を作ったの?   縁側での人妻との腐った導入部で、小学生には見せられないな と思い、三人の妻との生活を薄汚く見せるつもり?  ならば、日本の子供達に好まれてきた無垢な童謡の数々が、けがされる感じだね…と心配しました。

 映画は、白秋(1885(明18)~1942(昭17)57歳の死)と山田耕筰(1886~1965 79歳の死)の友情の話でした。最初っから、友情を前面にすれば良かったのにー。

 鈴木三重吉(1882(明15)~1936(昭11)54歳の死。1918(大7)に童揺本「赤い鳥」創刊なので、日本の童謡は100年)や、与謝野夫妻・特に晶子(明11~昭17で64歳の死)との友情は? 晶子役の羽田美智子さん 綺麗ねー。 へー、晶子と、そんなに親しかったんだーと、観ました。

 映画の後半で、戦時色が強まる中、各地の校歌や社歌を作ることに白秋がイラつく場面がありましたが、N新聞の昨年末「白秋ぶらり旅」連載で、三菱長崎造船所の社歌謝礼が、山田耕作と白秋がそれぞれ1000万円以上だったと書いてありました・・・白秋は、すっごい金持ちだったんでしょうねー。

 昭和11年に治安維持法が出来、戦争の暗い影が・・・、昭和13年には、糖尿病で盲目になった白秋のもとにやってきた耕作と二人で「夕焼け小焼け」を歌うんですが、

「夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る」は、1923年の関東大震災の1か月前に作られた若干26歳の作詞・中村雨紅 作曲・草川信。

映画の中で歌ったのは、「夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負われてみたのは いつの日か」作詞・三木露風 作曲・山田耕作。1921年の作。

     夕映えの中で、笑いながら(深い意味が?)二人で歌っていたねー。  子供のような大人のような白秋。日本一の詩人です。

 この映画の中で、一番感心したのが、子役の1歳か2歳の男の子。

              目線でうなづいて、食べて 演技する姿に  感心しました。スゴイ!

 また、大森南朋、AKIRAも適役でしたが、何でAKIRAの老後が別人なの?申し訳ないけど違和感がありました。GI役の方、ゴメンね。

 

 2017年4月の新聞の『読書館』で、福岡大学教授の國生 雅子が「北原白秋 言葉の魔術師」今野真二(清泉女子大教授)を推薦。

 白秋の生涯の入門書としては最適と書かれてましたが、思考力、表現力が欠如した知識偏重で、学者って アカン下手。脚本家も アカン下手。  もっと、もっと 庶民には、幻想でも嘘でも何でも いいから 美しく楽しませんかい! 映画も歌も学問も娯楽だよ!

 映画館の椅子の色がステキ。観客が少なすぎだね。

 例えば、「この道」は、札幌の時計台をいつ見て書いたの?馬車に乗ってって?  私は幼心に馬車の姿を、西洋風の馬車を思い描いていたけど、母親の実家の南関町から柳川までだとすると、どんな馬車だったの?  とか、人に、夢や知識を広げる映画だったり、学問であってほしいね。気楽に学びたいんだよ。

 映画の中では、作詞・北原白秋と作曲・山田耕作の唄を 沢山歌ってほしかったわ! リアルは要らない!

     ◎この道

 この道は いつか来た道、    ああ、さうだよ、あかしやの花が咲いてる。

 あの丘は いつか見た丘、    ああ、さうだよ、ほら、白い時計台だよ。

 この道は いつか来た道、    ああ、さうだよ、母さんと馬車で行ったよ。(ここはお母様と‥だよね)

 あの雲も いつか見た雲、    ああ、さうだよ、山査子の枝も垂れてる。   (大15年 「赤い鳥」にて)

 

 アクロスの昭和の懐かしい子供達。

 

  

家の中で、少しずつの変化は、やっぱりお花のアレンジから・・・。ちと寒くなったので、夜は、あんこう鍋にしたね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松の内が明けて・・・一週間

2019年01月11日 | 日記

 玄関に、しめ縄を飾って、神の域と俗世を分けて、正月飾りで年神様をお迎え・・・。一年を幸福に生き抜く力を授けてもらう・・・なーんて、神とは、何処のどなた様より無縁に思っていたのに、近所を散歩リサーチした結果、今年は、しめ縄、お飾りの家の少ない事・・・ん?皇居には大勢の人が押し寄せたというけどね。  我が家は、7日に、全てを 外しました。

 家の中からのしめ縄も趣があるよ。

 7日から1週間の 我ら71歳の 二人新年の日々を綴りました。

月曜日。結婚45年になりました!   いつもは一人で行くスパも今年初。 GIを誘いました。

   ステーキランチとスパのセットで、飲み放題のジュースで乾杯!   GIは、孫との夏以来の 久しぶりの入浴でした。

 

火曜日。BAは、一週間ぶりの買い物。やっぱ、新鮮お刺身ですね。

 

水曜日。5年目の股関節検診へ。昨年は、もういいだろと、行かなかったけど、今回は、チタン入りの身体でもMRIは撮ってもいいのでしょうか と 直接お聞きする為に受診しました。

 残念ながら、手術してくださった主治医の先生は、他の病院へ・・。ちと迷いましたが、万が一の時、お世話になるのは、病院ですものね。この病院には、5年前からの私の股関節カルテが保管されてますものね。

    X線と骨密度を測って、先生の丁寧な診察を受けて、高齢者医療費2割負担で、1440円。有難いですねー。

 骨密度も同年齢と比較したら116%で安心。  最後に来年1月の予約を入れて帰りました。新しい先生を、保護者然のGIも気に入ってくれました。先生と患者って 誰もが良い出会いであってほしいと願いますね。(ブログを読ませてもらっている未手術の方々の、痛いけどマッサージへ通うという思考が分からない。何のための何の我慢なの?) 

 

この楠木も、ここで 捕虜収容所や軍隊を見つめてきたんだろうか?

 ランチは、1年ぶりぐらいに高台にある中華料理店にしました。器が、うっとりするくらい洗練されてて、味も品よく、満足しました。満席でしたので、コーヒーは、近くの お洒落で開放的なパン屋で・・・。ここの、メロンパンは福岡で一番うまい!コーヒーと一緒にぺろりと一個食べました。勿論、中華料理店のデザート・杏仁豆腐も、風変わりで 美味しかったですよ。

中華料理店 パン屋

 

木曜日。デパートの特招会へ。ごちゃごちゃ大勢の人を想像していましたが、思っていたよりも人が少なかった・・・。

    ランチは、近くのフランス料理屋へ。ここも、値段が安くなっていたけど、旨さも減ったような・・・。

デパートの中庭 フランス料理店

 

金曜日。今年初 行きつけの喫茶店で、年末年始の週刊誌をむさぼり読み、頭スッカー。週刊誌大好き!

    夕方に、GIと待ち合わせて、今年初の 下着を 年賀状クーポン割引で買いました。

 

土曜日。GIは、今年初の歴史講座へ。BAは、空気乾燥させていた正月食器や飾りをお片付け。

      ここから 日常生活へ。

   人生前半は、宿命が作る。後半は、自分の意志で作る。

       老後は、日々を楽しむ! ホントだね。

     今年もGIとけんかしながら、仲良くしようぜ!唯一人の父であり、兄であり弟であり、連添いだものね。

 

和室の友達と。                 いつもの場所へ。今年は、あかり絵のカレンダーの下ね。    

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唐津三社詣りのバス旅

2019年01月04日 | 日記

 今年の初旅は、唐津の「三社詣り」バス旅にしました。バス2台で乗客の平均年齢は、70歳以上で男女が半々・・・。

 一番最初の「宝満神社」。

 

 田園風景の中の『ジャンボ門松』が、小さな公園の中に・・・。奥の小高い森の中に宝満神社はありました。

 側の『二宮金次郎』くんも、素朴で一目で気に入りました。 青い空に届けとばかりの門松を囲んだ地元の方々・・。

 

           

   GIと二人で「やっぱ、正月は神社だね」と、清々しい新しい気持ちになりました。

 次は「鏡神社」。鏡山に登ったことがありましたが、麓の側に広がる静かな風景。林の中に ゆったりと「鏡神社」はありました。

  

 空高く伸びている楠木の古木の一本一本に魅かれました。涙ぐみたくなるほどのパワースポット!  大木が朽ち果てていくことの自然さを、空洞になった木々が教えてくれました。 初夏にでも もっと、ゆっくりと一本一本を触ってみたいと思いました。

 広場では、のんびりと『骨董市』も、開かれていました。

 3番目は、南城内にある「唐津神社」。唐津藩主の祈願所で、かの有名な『唐津くんち』は、この神社の祭礼ですって・・。にしては、思ったより小さな神社でした。 でも、一の鳥居は、真っ白で 白い色の鳥居は初めて見ました。

    

 勘を働かせて歩くのが大好きなBAは、「きっと、こっちに歩いたら海があるよ・・・・」と、全てに慎重なGIを 今年も誘いました。

 やっぱねー、お城を右に見ながら、真っ直ぐ松原を越すと 海がありました!

  

 唐津に来たら、玄界灘を見なきゃあね!  唐(中国)との津(港)だよ。もうもう大好きな町! 品が良くって、ちょっと歩くと、松原があり、城の石垣があり、静かな海が見える。  羨ましい!

  三社詣りの四社目は、唐津市呼子の加部島「田島神社」。 漁港の前で、海の神様を祭ってあるにふさわしい神社でした。

 

  

 肥前国最古の神社らしく、長い急な手すりのない50段の階段をGIに支えられて下りて、岸壁に腰を下ろして一息つきながら、対岸のイカ釣り漁船を見ながら、こうして、歩けることに感謝! すっかり、杖の存在を忘れていました。でも、やっぱ、神社詣りには、杖いるね。

 お昼は、佐賀牛のすき焼き膳、早めの夕飯は,生きイカ膳。どちらも美味しく、唐津神社巡りつきで一人、9800円。

   老いたる者にとって 気楽で有難いバス旅でした。ところが、帰りのバスの中で熊本震度6の揺れとGIのスマホで知らされました。正月3日に地震とは・・・。世の無常を感じました。命が一番、負けないで! くじけないで!

   (BAの今年の抱負は、息子にプレゼントしてもらったデジカメを使いこなせるようになること。 ありがとう!)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする