朱の徒然

変形性股関節症の76歳

風花 舞ったね

2016年01月26日 | 日記

 まだ降っている雪。

 雪を見て、朝から張り切っているGI。  まるで少年だあ。

 雪だるまの手直ししたり、雪うさぎをかっこよく作ったり、通り道をシャベルでならしたり、積雪20センチの駐車場の雪おろしをしたり、遂には、朝から近所一周・見回りとの張り切りBOYぶり。

 私も一緒にと云いたかったけど、やっぱり転倒が恐くって・・。でもそのはしゃぐ心が嬉しくって、GIの大好きなぜんざいを作ることにしました。(これは もはや母心ですね)

 昼からコトコト・・煮込んでも、まだ粒が固い。鍋をかき混ぜながら、フッと思い出しました。

 ボーナスの前夜には、父が「明日待たるるー♪  宝船ー♪ 」と歌っていたことを・・。酔った父も可愛い人でした。 GIにも明日まで待ってもらうことにしました。一晩寝かせたら、きっと甘く柔らかくなっているでしょうね。

 

 経団連の会長と連合の会長が、もう春闘についてコメントしていました。連合会長(東大卒)は、まるでフアッション誌のモデルの様におしゃれなYシャツに背広姿。時代が大きく変わっていることを感じました。今や正規労働者は6割。4割が非正規だという。この間まで非正規の問題も組合の問題と言っていたけど、もうその熱もないようで・・。

 かっての時代は、石炭労働者の天下で、太田ラッパといやあ労働運動のスターだったのに・・。といっても、これも父の時代の話であって 私は全く関係なしで シュン。

 ただ、時代が大きく変わったとはいえ、労働者ってものは、ナッパ服に一番のプライドを持って、労使の区別をはっきりとつけて闘ってほしいものだ!と、これも、もはや通り過ぎた過去への一種の憧れでしょうか? 形を変えると、今の下町ロケットの流行でしょうか?  かっては時代を投資家ではなく、経営者でもなく、数の労働者が動かしていたことを教えてあげたい。誰に?もう誰も興味もない 私のノスタルジア。 20年前に亡くなった父さーん!語りたいね。

 労働や月給やボーナスとまったく関係なくなった今、 もっとガンガン働きたかったわ!と思うのはBAだけで、GIは良く働いた人生だったなあ   と思っているのかな?

  

 凛として大好きなメタセコイア。 縁台の雪うさぎは、じーっと部屋を見ていましたね。

 

 

 

 

 

 

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二人だけの雪中行軍だよ

2016年01月24日 | 日記

 朝起きると、雪でした。

 暖房の効いた部屋の椅子式炬燵に入り、雪の庭にも来るヒヨドリやメジロを窓越しに眺めながら、この大雪の中、通勤の苦労もない、年金生活の有難さを痛感。クッキーを焼いて、熱々を食べました。                                                         

    

 でも、株価連動内閣と異称される安倍政治は、ステロイドの影響か、やたら攻撃的!いつのまにか、年金が株につぎ込まれているらしい・・。もう阻止もできない。

 雪がこんなに日中に降りつづけるのは、珍しい!雪の阻止もできない。

 で、年金生活者の暇人二人、長靴履いてフードに二重ズボン履いて、夕方の雪中散歩に出かけました。すごく深い。川沿いの道路も崖下もただただ真っ白でつながっていて危ない。先導のGIのリードでノルディック・ストックを深く刺しながら雪の町内一周をしました。2年半ぶり。前は、早朝だったり、夕食後だったり、一人での町内散歩は、歩く楽しみの一つでしたが・・。

 雪道で転ばないかと少し不安はありましたが、GIの誘いでもありますし、白い雪に包まれたくって、子供帰りして二人で楽しみました。お風呂を沸かしてから出かけましたので、帰ると即風呂。ああー、暖かくって幸せ!これも、年金暮らしならではの面白さと良さですね。  

         政治家の皆さん、しっかりと、この暮らし支えてくださいね。

                  

 南国の孫からの1月のカレンダーはプール遊び。           春には桜咲く道ですよ。

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帚木蓬生読書会 「ちいさいモモちゃん」松谷みよ子 解説・寺村輝夫

2016年01月20日 | 日記

 今年初の読書会は、筑豊2炭都(田川・飯塚)へのバス旅。

 田川市の「好日庵」での四季会席昼食の後、長い自由時間がありましたので、抹茶を頂きながら庭に初雪が舞うのを眺めながらの、優雅な読書会となりました。

 今月は「ちいさなモモちゃん」。作者の松谷みよ子さんは、昨年89歳で亡くなりました。         可愛いモモちゃんの挿絵を描かれた菊池貞雄さんも1982年に亡くなっていました。         解説の寺村輝夫さんは2006年に・・。

 案外と私たちの年代では、「ちいさいモモちゃん」という名は知っていても子育て中には、読んでいませんでしたね。1974年第1刷発行で2015年に第102刷発行の超ベストセラーです。 解説の寺村輝夫の方が馴染みがあるようでした。

 読書会の後は、お決まりの今年の抱負は?ダイエット、水素風呂で老化防止、断捨離、そして笑顔で過ごしたいね!と今年も みんなの意見は同じですね。今年もよろしくね!                          

              セメント工場跡地の「中村美術館」はゴージャス。  田川の小京都「好日庵」の会席

 

                                                                                                                            飯塚の「旧伝右衛門邸」。

 この後炭鉱景気繁栄の1200人収容の「嘉穂劇場」も見物しました。 

 

 

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孤高の画家 高島野十郎展

2016年01月16日 | 日記

 街に出て、夫と久しぶりに「しゃぶしゃぶ」を昼食に食べました。個室もあるようなので、読書会に使えるねと 下見も兼ねて・・。

 すぐに梅(好文木)の季節。今はセンター試験の時期というのに、寒さは厳しくないねと食後、二人で少しウインドウショッピングして、彼は用事へ。

 私は、「からすうり」が見たくて「福岡県立美術館」へ。

 もう空いているだろうと思っていたら、まだまだいっぱいの人でした。

 「からすうり」は思ったより、かなり大きな絵で額縁も特別な立派さでした。最も人気の高い作品というだけのことはあり、配色も良く 魅力的な絵でした。

 描いた年代順に並べられ、野十郎は生涯独身で生存中は無名だったと悲劇的に言われていますが、絵を見る限りは、年齢と共に、段々と風景も静物も明るい色遣いになられ、安堵しました。

  私が、いいねと思ったのは、「積る」。                                                                          野十郎は旅好きで、山形の雪の風景が好きだったそうです。                               一度は、あんな景色の中で、孤独に身を置いてみたいと思わせる作品でした。

 写実画家は、写真で一瞬を切り取ったものを描くとのことですが、「ろうそく」だけが描かれた暗い部屋に、たくさんの絵がありました。 なるほどね。

 解説映像が20分あるとのことでしたが、夫との約束の時間で・・。半日でも観たい150点もの 分かり易く 深みのある作品群でした。  急ぎ早や足は、疲れましたあ。

 

 高島野十郎は、久留米の酒造家の4男。長男の高島宇郎は、青木繁と親交があったという。青木繁は、坂本繁二郎と小学校の同級生。青木繁が夭折して作品が散逸するのを惜しんだ繁二郎が、教員時代の教え子の石橋正二郎に、青木繁の美術館設立を願い出て「石橋美術館」は出来たという。

 あれれ、主だった作品は、昨年 久留米の「石橋美術館」から、東京「ブリヂストン美術館」へ960点も引き上げられてますよ。

 「石橋美術館」のシンボルだった「海の幸」が泣いてるよ!郷土愛はないのかって・・。

    

高島野十郎展記念・1枚100円のクッキー。 私の好きなLOTTEのクッキー1箱160円す。

 

 

  野十郎の「からすうり」も見応えがありましたが、現代画家で描かれている方があります。

          

                   石山義秀の「カラスウリ」

 私は、彼の作品の追っかけを秘かにしてました。病院とか公共施設に多いんですよ。

     貴方の町にもあるかもよ。

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術後1年10か月     食・動・楽の毎日

2016年01月13日 | 日記

  変形性股関節症術後1年10か月になりました。

 昨年の今頃からすると、ほぼ正常に歩いています。でも、私の内心では、やっぱり、普通ではありません。いつも右足が気になっています。

 術後と知らない人からでは、気にならない足運びかと思いますが、自分でわかる不自然さです。仕方ありませんね。でも そんなことが気にならない時が多くなりました。多分、足を気にするよりも夢中になる出来事が多いからかと思います。

 でも日頃はないのですが、無理な歩きをした時に 重い鈍痛があります。

 例えば今年に入ってから、小倉城に2度訪問して分ったことがありました。

 明治32年に小倉城本丸跡に、軍都小倉として、陸軍第12師団軍司令部が建てられたという。その当時の赤レンガの門だけが、今も残されています。そこへ行く階段。中途半端に幅が広い。森鴎外は、ここを騎乗して登ったということですので、人よりも馬中心の階段の広さなんでしょうか?

 その階段を少し幅広いなと思いながら、大股で数段登った時、あっれ、少し股関節無理した?と思いました。案の定 痛みが出てきました。どこでかな?と考えていて2度目訪問で ここだと 判明しました。足揃えて小股で登れば何の問題もないのに、もはや横着心。     で、そんな鈍痛時の座りで一番楽なのは、洋式トイレ。

 よーく考えると、便座に穴が開いているので臀部の骨に当たらないからですね。この部分こそが股関節ですよね!今度、手術してくださった先生に聞いてみよう。

 誰か真中がくぼんだ椅子作って!痔の悪い人にも良いでしょうね。 便座じゃなくって、リビングにおける小さなちょっとした窪みのある、おしゃれな椅子をさ!

 長歩き、10,000歩超えると痛くなります。棒のような右足。傷口から腰横にかけてのヒリヒリ感。両方の足裏の疲労感。 時に、歩くのも生きることさえ投げ出したくなる ジーンとしびれる辛さ。 ゆっくりと休まなくちゃ、適当に歩みを止めなくちゃ。手術前のナイフで切り裂かれるような痛みではないのだから・・・。多分これは股関節の手術というよりも、私の持って生まれた下半身の弱さが老化で露呈するのでしょう。

 まあ、油断して無理歩きさえしなければ、の 術後1年10か月です。

  (ちなみに昭和34年に小倉城天守閣は再建 ですって)       

   

 今年初めて、水泳教室に参加しました。今日担当のイケメンコーチは、前半は水中での股関節体操。後半は、ヌードルでの主に上半身を使った指導でした。これは夫々自分の身体に合わせて愉しんで運動が出来、ホッとしました。ありがとうございます。 

 水泳は全身運動ですので、全身弛緩のヘトヘトに疲れる身体の喜びに 満たされます。

 そのあとは、いつものように喫茶店でコーヒーセットと週刊誌を楽しむ。夕暮れ時の勤め帰りの群れに混じってバス、電車で、疲れ切って帰れる嬉しさ。(スポーツ大好き・大好き!)

 そして「ただいま」と小学生の様に明るく大声出すと「お帰り。お風呂沸いてるよ」と夫君の優しい声。  水泳に行く前に、 鍋の用意をして出かけましたので、夕飯も楽々。

  こんな生活ができるって幸せ。想像もしてなかった。あれ?人工でもいいんじゃない?

  私の老化の始まりの一番は、老眼。40代でした。2番が股関節で65歳。3番が今、薄毛。まさかふさふさだった髪が、一気に縮緬雑魚より薄くなりハゲるなんて。これいやだわ。

   まあ、それでも 「食・動・楽」食べて、動いて、楽しんでます。

            

  近くの公園を散策してから、42回目の結婚記念日のディナーへ。     

 

 

 

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