朱の徒然

変形性股関節症の76歳

南島原のバス旅・・・・島原・天草の乱 世界文化遺産

2019年04月25日 | 日記

 総大将・天草四郎最後の原城跡は、16才の隠れキリシタンの少年の最後の場として、あまりにも有名。     昔っから、行きたいと思ってました。なんとなく悲劇のロマンチックな場所かと・・・?

              

 1637年、飢饉と重税、そしてキリシタン弾圧に反発した百姓の一揆。

 廃城の原城に立てこもり、4か月籠城。幕府の猛追撃で落城、全員玉砕。江戸時代最大の一揆だったので、以降キリシタン排除の鎖国政策が確立したとのこと・・・。(天草四郎は、秀吉の孫説がありますが、出口治明さんどうでしょ?)

 雲仙普賢岳の噴火から28年。島原鉄道に乗り、またバスに乗り換えて、平成新山や噴火の爪痕がまだ残っている山を見ながらの、南島原は非常に遠かった!

50年若けりゃね。

 長崎・天草 潜伏キリシタン関連遺産の世界文化遺産の原城址は、多分 大昔のまんま・・・平地で残されていました。

天草に向けた祈りの像は、ものすごく小さい。後姿は、悲しみに満ちてました。

   本丸跡に、白洲の真砂(浅瀬にある海中で生存の珍奇な植物)、白い粒の塊がありました。これ?かしら・・。

     マレーシアの海の砂の上に置いてみました。からゆきさんを思い出したね。

 

 お昼は、原城温泉「真砂」での、美味しい懐石膳でした。

 残念ながら、温泉は、入れず 時間切れ。少し覗いてみたら、すばらしい 海の風景込の温泉でした。

 

 次の目的地は、カステラの「和泉屋」。なんと、「カステラランド・和泉屋」として、新しくなってました。

 橘湾を望む広々としたレストランを兼ね備えた、試食とお茶で もてなされる売店。

 

           

 庭園も石原和幸デザインで、海と池が花を引き立てている和みのテラス。 室内のステンドグラスは、ゴージャス。思ってもいなかった美しい癒しの場所に、老夫婦二人だけなのに、おこしやカステラを思わず買ってしまいました。  新しい建物って、WCも新式で ビックリの嬉しさでした。

 

 雨も降りだし、もう帰りたい気分でしたが、最後に訪れたのは、「裏見の滝 しゃくなげ園」でした。

「筑紫しゃくなげ」

 よし、今後この滝に来ることはないからと、雨の中、傘と手すりを持ちながら 勇気を出してくねった山の急な階段を長いこと苦労しながら降りてみました。

 それなのに、肝心の滝は、水流わずか・・・柵があり近くにも行けず・・・。ガッカリ!   結局下まで降りたのは、ツアー客39人中5人だけ。お粗末様。しゃくなげも終わってたね・・。 

  

 アメリカ旅行前からの予約でしたので、まだ少し時差ボケのような眠さが続く中でのバス旅は ボーとしたまま いいね。

 バスに乗って、ご馳走食べて、新しい土地で新しい知識を得て、気楽に   あら 呑気だーね。    料金も安いよ。

 (アメリカ旅の添乗員様が言われてました。日本は、先進国の中で一番物価が安く20年上がらないと・・。米国の半値? デフレって こんな感じ?  平成の日本は、ぬるま湯に浸かって、中国や他国の追撃を眺めてただけだったんでしょうかね)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダ・アメリカ旅日記

2019年04月22日 | 日記

 カナダ・アメリカ旅に出かけました。

 息子と婿の名刺を持って・・。彼らは、妻と子のそれぞれの守り神ですから、ついでに我ら老夫婦をも守ってもらおうと・・・。やっぱり、海外旅行となると、ある意味でのリスクを覚悟しての旅となります。  何事もなく 無事、帰国いたしました。

                           

 美しい花盛りの庭に迎えられ、いざ 今や生活の楽しみの一部と化したPCに久しぶりに触れてみると、アッチャー 動かない・・・・・。結局、GIのをもらい受けることになり、こうして ようやく 入力できることになりました。

 

 さて、旅ですが、全国から10名だけの羽田発。メンバーは、一人参加が3名、祖母と孫、しまむら世代の3人組、そして我ら夫婦でした。

 10時間越えのフライト中 感動したのが、アラスカの雲、雪、そして氷河に削られた渓谷の重なりが延々と続く自然の脅威と神秘。生まれて初めての全てが真っ白の厳かな体験でした。(1868年にロシアからアメリカがアラスカを購入したという。アラスカの大地、白銀の世界、素晴らしい!)

 着いたカナダの「ナイアガラの滝」の見えるホテルで、ぐっすり休みました。

 

 翌日、ホホー、アメリカ滝とカナダ滝ですかー、すごいね。  ホテルの隣やあちこちにはカジノが・・・・、夜に覗いてみましたが、人はさっぱりで 熱気は感じられませんでしたね。

 それよか次の「ナイアガラ・オン・ザ・レイク」。

 イギリスのコッツウォルズのような風情の街並み。

 BAの勘は、ここ、ここと、小物や雑貨に魅かれて夢中で時間が過ぎていきましたが、残念、片側通りだけしか見る時間がありませんでした。  あーあー、もっと この町で土産を買えばよかった・・・。本命のニューヨークがあるって思ってたものねー、クヤシー。

 見た瞬間、細工の細かさに、これほしい! ナイアガラの思い出にゲット・・・。

 

 翌日から いよいよ憧れの魅惑の大都市・ニューヨーク。ここが摩天楼ねー。

      

 マンハッタンとブルックリンの架け橋。いつもいつも映画で観てるものね。物語の始まりの予感・・・。

 そして いよいよ夜は「ブロードウエイ・ミュージカル」。

  

 まるで映画のような 雑踏の中を『シカゴ』のロングラン劇場へ。

 伝統ある劇場は満席。最後方座席に座ったとたん、猛烈な眠気が襲ってきました。GIに何度揺さぶられても、ぐーぐー。疲れがドー?

 狭い舞台の真ん中には、オーケストラがデンと座り、その周りを人が動く・踊る。 薄暗く黒い衣裳ばかり・・・。そりゃ寝るわさねー。舞台転換も華やかな衣装もなく英語だよー。恥ずかしい位寝いったね。。くたびれたBAには、超一流でも ゴメンナサイでした。

        でも、ここに来れたことが、人生の喜びなんだよ。

(ただし、幕間の休憩、WCは大変な混雑でした。触れるともなく触れた薄着の服のアメリカの女の子たち。ビックリよ!まるで胸も尻も皮膚の感触は硬球だよ。硬くてかたくて、ここでようやく目が覚めたって・・) ミュージカルの内容も、犯罪者の話らしいしね。

 

 最後の日は、リバティー島「自由の女神」。思ったより小さなお方でした。ここも、たいして土産が無いことにガッカリ・・。みんな移民でやってきて、苦労されたのね。

 

 午後は、「メトロポリタン美術館」。映画「メット・ガラ」を観てましたので、広大で階段ばかりと、杖をつきました。

 やっぱり、途中でリタイア。足が動かない、痛いというよりも、足が棒のようで休みたい という表現がピッタシ。また、宝石やファツションなどの展示はないようでしたし・・・。あれ、ここでも土産らしい土産はなし・・・。

 ラストの「ロックフェラーセンター展望台」に期待をしました。ここはスワロフスキー関連企業との事なので、クリスタルのB級品でも・・と期待しましたが、結局 ニューヨークは、お上りさんのBAちゃんなんか相手にしない 世界の大交差点でした。

セントラルパークを望む、オノ・ヨーコの住む超高級マンション。

 

金ぴかトランプタワーの前での抗議。ミッドタウン5番街。

 結局、嫁と娘の土産は、「トロント空港」で、久しぶりにCOACHのバッグにしました。

 

 6日間の旅の一番のステキな思い出は、帰りの13時間のエアーカナダ機での、ビデオ見放題でした。

 なかでも、「欲望という名の電車」。

 ビビアン・リー(38歳)と、マーロン・ブランド(27歳)の最高の演技でした。20世紀最大の映画人ですね。1951年の映画でしたが、GIと結婚前に観た、労演で杉村春子が演じた時の話をしたり・・・。機内食もワインも美味しかったし・・・。映画最高!

 そして、機中ラストの映画が「ウオール街」。

 1987年公開で40代のBAは大いに刺激を受けました。ストーリーも役柄もニューヨークらしくって刺激的で・・・。チャーリー・シーンとマイケル・ダグラスがこれから出会って ってとこで、早、飛行機が着陸して 残念。ラストまで楽しみたかったわ。

 ちっとも長いと思わなかったフライトでした。こんな時でもないと観れない作品ばかり ああー、楽しかった!ニューヨーク映画大好き!

 ただし、旅のスケジュールは、かなりハードで早足ばかりで、70代での参加には、ちと厳しいツアーでした。

 

 旅先で初めてブログの存在を教えた『しまむら世代』の3人組様。①おとなしい風貌だけど、きちんと自己主張して生きてるね。病なんて忘れて楽しもうね。②笑顔で 自分が望む自分になろうね③ドアを開けてくださったり、いつも気遣いと笑顔の優しさを忘れない方でしたね。  三人とも旅の中で、最初は地味目な人妻だったのに、もうタイムズスクエア辺りから、殻を取っ払ってはしゃぐ3人娘に!とっても可愛くって GIと二人 青春する三人のお姿に楽しませてもらいましたよ。ありがとう!お世話になりました。

  

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成最後の花見・多久孔子聖廟

2019年04月04日 | 日記

 少し肌寒いけど、そろそろ桜も満開が過ぎるのでは?と、昨夏開業の天山多久温泉「TAQUA」に出かけました。

                            

 桜並木を抜けた所の でっかいホテルでしたが、ひっそり静か・・・。アレ?喫茶店のランチしかありませんでした。

 次に、お風呂。

 目隠しはされてましたが、大浴場からは、杉の山々と、すぐ眼下に田舎の集落の風景が広がり、のどかでした。浴場の屋根は、現代風なガラス張りの明るさで、2か所のサウナどちらにもTVがついてる贅沢さ。でも、露天風呂は、軒高く目隠しで開放感ゼロ。(後で理由が判明、隣りに焼却場が建設中・・・アレ?焼却場の火が勿体ないので、隣にプールと温泉というのは聞きますが・・・逆だね。さあ、経営権は?多久市が18億円をかけた温泉に市民は?)

 風呂上りは、いつものようにGIは、昼寝休憩。贅沢な空間にハンモックが・・。BAは、エステでヘアーマッサージを・・・。

        んー、良かったけど、やっぱ、競争がないと   従業員の方々も のんびり なんでしょうね。

 ちと帰るには時間が早いので、多久市で一番有名な「多久孔子聖廟」へ、行ってみました。

  

 思いがけず、桜があり 満開!  そして、孔子廟の様式が禅宗様・仏堂形式とかで、なんともいえぬ落ち着いた色彩と造りで感激!  廟の周りには、シャガの花々が・・・。  すばらしい!

 1708年に、龍造寺を多久と改めた婿養子4代目領主多久茂文が、孔子の教えを広めようと・・・。近くの学問所も良かった・・・。

 販売所では、『論語かるた』や いろんな孔子グッズが売られていて、見て回るのが、すごく面白かった。四霊(麒麟、鳳凰、龍、亀)の住む理想郷にと願って・・・とか 何?龍孫の里?とか 金きららの昇龍?とか、知りたいことがいっぱいで、眺めてたら バチッと電気消され もう終了・・・ アレあれ。商売っ気もないんだね。  新中学生の二人の孫に『論語ボールペン』買ったけど・・。

 めっちゃ、楽しくって また ここ「孔子聖廟」には来たいなと思いました。次は、「論語の小径」にも行ってみたい。

 

    ◎論語より

 子曰く

 吾 十有五にして 学に志す(志学) 三十にして 立つ(而立)  四十にして 惑わず(不惑)  五十にして 天命を知る(知命)

    六十にして  耳従う(耳順)  七十にして 心の欲するところに従いて 矩をこえず(従心)

 (2500年前に、孔子は、70歳にして悟りの境地になったのね。そして、74歳での死)今に続く儒教を 初めてかみしめた春でした。

何とも魅力的な坊様で、貴方が どなた様なのか知りたいわ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の造語 と 平成の造語「令和」

2019年04月01日 | 日記

 

 母は、無学でしたが造語の上手な人でした。

 今でも私の生きる指針になってるのが、「寝たが 勘定」です。

 幼い頃、末っ子のケンカ大将の私は、喧嘩しては負けて、「母さーん」と泣いて訴えてました。すると母は、懐に私を抱くと「おーよしよし、さあさあ寝たが勘定」とよくあやされたものでした。

 どんな意味か考えもせず、母の胸を触りながら寝ては、次の朝には忘れて起きる・・・・の繰り返しだったのでは?

 多分、母は辛い時も苦しい時も「寝たが勘定」と眠りにつき、少しずつ 気持ちを明るくしていったのでは? 今やこの母の「寝たが勘定」は、私の生きる指針になってますね。楽天的に生きる!  寝ることは、幸せ!

 次が、「バカコイ バカコイ」です。これも幼い頃、パーンパーンと、時折朝から元気な弾む音が響いていました。

 外遊び大好きな私は、「母さん、どっかでお祭りが始まるよ。遊びに行こうよ」と誘うと「あー、あれは、バカコイ、バカコイと、バカだけを呼んでるから行かれんのよ」と答え、別の日には「運動会をやってるんじゃない?」というと「馬鹿じゃないと行かれんのよ」と答えてましたね。  大きくなって考えたら、競艇場の開催を報せる遠くから聞こえるピストルの音でした。

 三つ目が「はいはい学校」です。

 子供たちが巣立ち、結婚し、両親だけの気楽な暮らしになった50代?頃、母は父に隠れて買物をするようになりました。

 高額なものは羽毛布団、ソファセット、皮のジャケットですね。もしかしたら、私の知らない物も あるかも?

 母たちの時代に一時期大流行した 催眠商法です。

 母に言わせると「はいはい学校」だそうで、若者が「これ欲しい人?」とあおり聞きし、「はい」と早く答えた人が、最初は、ティッシュ、鍋、お菓子など小物を無料でもらえ、最後は、高価な品に変わるけど、集まってる主婦達は こぞって「はいはい」と手を挙げるんですって・・・。周りに負けられない雰囲気で・・・。それで契約してしまうって・・。時には、若者が家まで迎えに来てくれて・・・と嬉しそうに話してたね。でも、買ったことは父には内緒なので使えず隠して・・。

 こんなに賢く「はいはい学校」とまで名付け俯瞰できる母がどうして・・と考えたとき、田舎生まれの田舎育ちの母にとっての「はいはい学校」は、小さな欲を満たしてくれる楽しみだったんですね。 都会の女性の その頃流行った「大衆演劇」と同じでは?1万円の束のレイを好きな役者にかけ、着物までプレゼントする人たちと同じでは?

 その頃、姑も高価な着物や宝石をローンで買うと、旅行やパーティーへのご招待に はまってでしたね。

 母も姑も賢く、生真面目な大正の女性でしたが、女の50代、60代、 どう生きるかは、難しいね。平成のオレオレ詐欺も 今では騙すだけではなく、強引に命までですものね。

 私達は、自覚しながら能動的に生きる に尽きるのでは?
 私? 日常の一番の友達は、TVです。
 それなのに、
 今日、元号を造語するって、TV局全局が言ってるので、がっかり! 
 他の楽しい番組が見たいのに・・・。やっぱ、テレビ東京は、偉い!いつもの独自番組やったね。   元号って そんなに騒ぐことかえ? 

 造語名人の母が言ってましたわ。「トラブルにならないように、人の前を行かず、人の後ろを歩くんだよ」って・・。  「令和」ね。いいんじゃない?

 

 九州大学の静永健先生が、「令和」のルーツは、漢籍にありと言われていました。張衡(チョウコウ)の詩文『帰田賦』の「仲春令月 時和気清」からヒントを得て、大伴旅人が730年に序文を書き、そして2019年の春、私達の時代に「令和」として造語されたってわけね。
 
 
 
 
 4姉からの「カランコエ」。5人姉妹は、皆花が大好き!母から 受け継いだんでしょうね。
 
          フリージャが咲いたので、リビングへ・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
                           
     
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする