朱の徒然

変形性股関節症の76歳

変形性股関節症の星・歌手の○○さん

2014年12月27日 | 日記

 

○○さんがTV番組の中でチタンを入れているので、手術した右足がスーッと冷たくなったり熱くなったりすると言われていました。

6年前に高名な病院で手術されていても不安そうに話され、鍼で軽くなったと言われている姿に少し力を落としました。でも「命の方が大事」とも言われていました。そうね。

 

楽天家の私は パラリンピックの人工足の人が走ったり跳んだりの姿に自分を重ねて、手術したら、人工足なのであんなに軽々と私も走れるのかも?と本気で思っていました。

術後の今になって、走っている彼らは膝の故障。脛の故障。私は股関節。股関節は足の動きの要で根本的に違う。もう走れないんだ!と気づきました。

娘に嘆くと「その年でもう走らなくっていいでしょ」と笑われました。でも過去に走る喜びを知ってしまっているので、もう一度走りたい。手術をすることで走れなくなるという大リスク!そんなことは誰でも分かりきったことだったのだろうか?

思いっきり 走って走って ハーッハーッと息したい!もう一度へたばるまで走りたい!「全力疾走!」なんて掛け声を誰かにもう一度かけてもらいたかった!

 

健康でなければ人生の終り?違う、身体は楽しいことをするための単なる手段。

そうでないと、こんなに努力してきたのに何故?この私が!その理不尽さにどう考えても納得の答えが見つからない。悔しくって! でも おきた現実を受け入れるしか生きる道はない。歩くには股関節が一番重要!知らなかった。だからこれからは程々にしてやりすぎず、筋肉をつけ、動かして血栓予防をする。そしてこの股関節で出来る生活の全てを楽しもう! 

やがて死という不条理の最たるものの訪れた時 Baは笑って受け入れていたよと言われるように心を鍛えよう!頑張る!心は いつも全力疾走!

 

   

 狭い庭にメジロが遊びに来ます。 少しの果物で おもてなし。

こんな冬の暮らしも良いものだね。

 

そんな毎日の中で私も一つ年を取りました。

 

     67歳。皆の祝福ありがとう!

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変形性股関節症の痛みから一年が経って

2014年12月23日 | 日記

 

 去年の今頃からでした。寝ていても痛い。寝返りを打つ時はヒエーッと叫びました。羽毛の蒲団が重くて、薄い電気毛布には助けられましたが、寒いよりもただただ 足の痛みが心をふさぎ続け、人生最悪の年でした。

 

 日頃から体を動かすことは習慣でした。

十数年前から 近くの体育館に週に1度自転車で通い、バレーボールや卓球やバトミントンなど競争のゲームプレーが大好きで、大声で笑い 楽しんでいました。

何度か所属を誘われましたが、縛りなく気軽に一人で動くことが性に合っていました。

 

 それよりも好きなのがウォーキングでした。どこまでも一人で歩いて歩いて、ウォーキング・ハイの心地よさ。見知らぬ街を歩いては、花々を眺め、時には歌を口ずさみながら、たまには考え事をしながら歩く。歩くことが健康のバロメーターと信じていました。

 私が一番気に入っていたのが10000歩 歩いて近くの日帰り温泉に行くことでした。夫は単身赴任でしたので、ひとりぼっちのさみしさやストレス解消にはピッタリでした。

 広いスパでは 顔なじみの風呂仲間との軽い会話も楽しみの一つでした。

 歩いてへとへとに疲れて風呂に入る時の達成感。フアーッとした心身の弛緩、解放感はまさに歩いた努力の後の幸福感でした。少々腰や足が痛くても湯で治ってました。サウナの後、頭から水を被り水風呂に入る。塩サウナで屈伸運動やしこ踏んだりして塩熱を発汗させる。スパは心身の癒しそのもの。そんな生活が10数年も続き、健康づくりを楽しみながらやっていると信じていました。

 それが、まさかまさか、老化が、一番に足から始まっていたとは・・・。使いすぎ??

 歩くことを楽しみ、全ての悩みや不安を解消させてきていたのですから・・。それが痛みで,10分と歩けなくなり、遂に杖を付いて階段を上がる。時折ギャーとナイフで突き刺されるような股関節の痛み。もう末期だなんて!

 今考えると薬嫌いとはいえ、何で痛み止めの薬を飲まなかったのだろう?

 子供たちに迷惑はかけられないと、年が明けるのをひたすら待ちました。24時間痛むわ

けではないのでクリスマスの飾りつけも正月のおせち料理も作りました。夫も奇妙な病い

という不安はあったとおもいます。

 この間まで、あんなにスポーツ好きで楽しんでいたのに末期とは!

 それでもまだ歩いて動いて家事もこなしているのに彼が言いました。右足の太ももが細くなっているって・・。大変な不安と絶望。今までの様々な努力は 無駄!  歩けなくなる。 

で、手術を決心したわけです。

 

 退院してから 他のスパには行きましたが、過去に裏切られた思いが消えず、このスパだけは封印していました。悔しくて顔をそむけて暮らしてきました。

 でも長姉に楽しんでもらおうと近くなので案内しました。やっぱ、風呂はいい。

で、今は昔のように通い始めました。3時間近く入っていると確実に1㎏近く体重が減ります。歩く代わりに車で夫に送ってもらい迎えにも来てもらえる。まさに、かって憧れた湯治場暮らしそのもの。夫への感謝の心は、夕食の下ごしらえをして出かけ、晩御飯を手早く作る。決して怠らないこと。

露天風呂で真っ赤な紅葉を眺めていると、そこに粉雪がちらちらと舞い 美しい。

その後すぐに青空が広がり、遠くを真っ白な飛行機が飛んでいく。ああ、この幸せをありがとう。歩けるようになってよかった!スパ大好き!封印解いてよかった。

 

 先日、夫の叔母(91歳)を老人ホームへ見舞った報告を兼ねて、89歳と86歳の叔父夫妻と会食。

プレゼントは耳ほっかと籠に入れた柚子とクリスマス絵のチョコレート。

 

   

 

   

 術後9か月ですが、運動好きは変わりません。

今も健康グッズ好きでもあります。

 

一番好きなのはこのポール君たちです。大小をT字形にして背骨とふくらはぎを乗せてバランスを取ります。

 手術直後は、何の効果もなかったと腹立たしくて捨てようと思いましたが、乗るとやっぱり気持ち良い。好き。

2本ずつリビングとベットで使って毎日遊びます。ボールは冬は冷たいしダメ。

 

 

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股関節術後9ヶ月― 12月の前半

2014年12月14日 | 日記

 ☆加藤登紀子のほろ酔いコンサート

  歌手生活50周年のコンサートのすばらしさ!感動しました!

 そんなに飲まなくてもいいよと言いたくなるくらい舞台でお酒を飲んで動かれて、同年代として心配しました。でも女一人で、大の男たちを率いてこられた賢さが公演後のサイン会に 舞台衣装そのままではなく、きちんとスーツを着てこられたことに表われていると思いました。

  和製シャンソン歌手の第一人者ですね。即 後援会に入会しましたよ!

  帰りの居酒屋で宮崎地鶏を食べ、、お酒を飲んで ほろ酔い 気分はクリスマス。

     でも本物のモミの木のクリスマスツリーには一本も出会いませんでした。

 

 ☆母の7回忌

  ああ 母さん 母さん 会いたいよ。 もう一度 実家で手をつないで寝たいね。

  で、どうやら74歳の長姉(夢見る夢子)がプチ家出気分らしくて 我が家へ2泊3日。

  母さんの代わりにはならんかったよ。でもお互いに気楽に安心して毒舌で一緒に過ごせるのは姉妹ならではね。夫くん 4日間の お接待ありがとう。喜んでたよ!

  姉は裏山の木を伐っていて2度落ちたといって私より足が不自由に見えたけど、本人は気にしてなくって心配よ。母さん 私たち かしまし5人姉妹を守っていてね。

 私が末っ子で良かったことは、常に上から目線での家庭内いじめにあっていたので、世間に出ても多少のことは平気で図太く生きてこれたこと。

 今回も久しぶりに一同会って「あんたはシミ、シワが多い、皮膚に張りがない、口元が汚い、髪の毛が薄い あんたが一番老けてるよ!」と言われっ放し。   ふふふ、そんなことは気にしない!

  私の好きな言葉は「輪廻は巡る」 多分私も無意識に誰かを傷つけてきたんだろうね。

姉達には逆らえない。幼稚な快感で言ってるんだから。可愛いもんさ。バカヤロ!

 

 ☆今年最後の 帚木蓬生の読書会

 今回はアガサ・クリスティ「杉の柩」(恩地三保子訳)

 ミステリーというよりも恋愛小説だといわれるアガサの名作。

 この小説はモルヒネによる連続殺人事件で遺産目当て。今、世間を騒がせている事件・結婚相談所で出会った男の人たちを青酸化合物で大量殺人も遺産目当て。被るわ。小説も看護師としての信用力での目くらまし、今の事件の女も平凡な顔つきの未亡人。事実は小説よりもすごいね。

 さて今年最後のランチも全員好評価の「ルモンド・ガーデン」。2500円。

 男性店員の きっちり丁寧で礼儀にかなう雰囲気つくりの良さで 常に女性客で満席。

 皆さんにお聞きしたナイトクリーム話が面白かった。生協、カバーマーク15000円、保湿クリーム、ニュートロジーナ、ブランディに柚子の種を入れて乳液代わりに等皆さん頑張ってるー。

  同年代の女友達も姉妹も様々で愉快。楽しく笑って今年も終えることが出来て幸 せです。

               

   クリスマスツリーの箱は娘からのXマスプレゼントの小包箱。飾りは30数年前、子供達の幼稚園での工作。クリスマスの絵本も彼らのもの。毎年心を温かくしてくれる小物達です。

   リースは、我が家の木の枝を切って毎年新しくします。枯れないねと眺めています。

 

 30年以上前、幼稚園のページェントでは、息子は木こりの男の子、2年後、娘は天使でした。 今も目に焼き付いている愛らしさです。冬の思い出が、子供たちっていいね。  

                 

  過去の家庭生活の思い出にぶらさがって、夫婦で生きれることの幸せを思います。

    孫たちも毎年楽しいクリスマスが続きますように!

        

  現在の我が家、ティラちゃんもクリスマスの衣装替えです。

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