朱の徒然

変形性股関節症の76歳

患者力って生き方だね

2016年03月28日 | 日記

 2年前に手術した病院での、年に2回開かれる患者会に参加しました。多分、4回目の参加かしら?

 私が、この会に参加する気持ちは、手術していただいた〇〇先生への感謝の気持ちと患者の方々の現在の病後の経過と悩み相談を知る 集い と思っています。

 毎回の〇〇先生の人工股関節の講話、若い運動指導士の方のワンポイント体操。

 すっごく、参考になります。全員が同じ股関節症の方々という 同病の安心感は、患者会ならではでしょうね。 毎回 会を開いてくださる お世話の方々にも ありがとうです。

 さて、帰りは三味線のお師匠さまとご一緒になりました。この方は、2年半前の両足の手術で、もう正座は出来ないし、しないと何度もおっしゃってました。主婦と違って、病が職業と関連した方は、お辛いだろうと思いました。

 (きららの先生の夢にも出てくる悔しさ。でも、先生の教室が全国の股関節患者を励ましてますよ。先生のバレリーナという輝く過去があればこその今ですよ!頑張ってくださいね!)            

       私の最近は、よく普通に正座します。でも、黙ってました。

 講話の中で、先生が症状も様々、年齢によっても様々とおっしゃってましたが、大勢の患者を診てきた先生には、患者ひとくくりでは話せないと思われることの様々な症状の連続なんだろうなあーと思いました。

 お師匠様が「昨日、春風亭小朝の独演会に行ったのよ」で始まった芸能話は、面白くって、たくさん笑いましたね。 特に、『乙武洋匡』氏の不倫5股疑惑!に・・。4月には、子供の教育という講演会で来られるそうですが、Xモンスターだったとはねー。盛り上がりました。

 共通の病の仲間として出会い、罪のない芸能話に花が咲いて、  楽しい 股関節患者の会でした。

 

 「患者力」ってなんだろうと考えたとき、一番は、医師への信頼ではないでしょうか?

 医者も人間です。患者会で、話の合う方と出会ったように、医者とも出会いではないでしょうか?  結局、医療情報を集めて、病院、医師を決めるのは自分!自分が納得したら、全ての責任は自分が持つ。そのために努力する。実は私は、手術する病院を決める前に、5,6か所の病院を外観とロビー回りだけですが、観に行きました。

 やっぱり、ここ、ここと決定したのは私。他の誰でもない、選んだのは私という自覚が手術には必要ですね。 ああー 〇〇先生で良かったあ!との 納得心と信頼。

 まあ、気分は韓流スターを追いかけている人と同じ ファン心理。

    きゃーっ 〇〇先生だあー   で 自分を楽しませるんですよ。  

 

 そして、なんとこの日の会に、私のリハビリ担当だった 可愛くってイケメンの理学療法士の先生が!  あっ 先生だあ!  二人目の私のスター登場ですっ。

 私の記憶は、一気に2年前の春の日々の有難さに戻りました。(我がままな私は、道路の見える場所や桜を見ながらリハビリしたいと言ってましたね)  まあ彼にとっては、所詮数多く通り過ぎた患者の一人。 感謝の挨拶をして、私よりファンらしき、他の患者に譲りましたよ。

 後で考えたら もっと「先生のリハビリのおかげで、こんなに元気になりました」と言えば良かったかなー。 先生は「元の様に歩けるようになりますよ」と言って下さってましたものね。 まあ、久々の若者との 胸 ドキッ!でした。

 こんな風に、好もしい先生達に出会えるのも、ひとつの患者力ではないかしら?

 それは、自分の生き方から引き出されるもので、今までの過去に嫌な奴、嫌いなタイプがいればこその 信頼がおけると判断できる 出会いではないでしょうか?

 病を克服するために必要な患者力とは、選択力。やっぱり、勘でしょうか?不信と信頼は、自分のこれまでの生き方で決まる。医療には限界があると冷静に判断する力もいる。

 それと、運も関係するのかな?だって、〇〇先生とも、イケメン・リハビリの先生とも出会いは 運だよね!      ホント運がよくって 良かった と しみじみ感じた 患者会でした。

             

花も雑草も一緒に盛りの美しさの春。    バラは別名「長春」ですって。カエルブリキっこもよろしく。

  

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あゝ 春だったね・・・    観音の滝

2016年03月26日 | 日記

 日本の滝百選にも選ばれている、唐津市七山滝川にある、 高さ30メートル 幅9メートルの激しい落下で、男滝とも呼ばれる「観音の滝」。橋の上からパチリ。椿も咲いていたね。

                            

 少し歩くと、観音様が祭ってありました。秀吉のお局様だったらしい・・。そこを少し降りると、思いがけなく、男滝よりも もっと小さい滝がいくつも・・。女滝で お局様ですか?   自然の渓谷に満ち、満ち お天気も春らしくって

 岩の上の暖かく心地よいこと。 つい寝転んじゃいました。 

        

  最後は「鳴神温泉 ななのゆ」で、のんびりして帰りました。    あゝ   春だったね。

 

 帰りに見たのは、明治45年からの発電所。 小さな階段状に流れる激しい水流を受け止めている玉島川。 川面には、満開の山桜。小規模ではあるけれど、水力発電の意地と激しさを見せている感じの流れ・・。(GIによると、魚道とか)

             

 聞くところによると、唐津の海の側の巨大煙突の火力発電所は、石炭燃料減少に伴い、今は唐津のシンボルとして存在するだけで 休止中。

 現在の電力は、玄海原子力発電所頼り。風力は?  4月から電力小売りが全面自由化。

 もしも、元を選べるなら、水力を・・とお願いしたい・・。九電の玉島川の水力発電で・・と。

 

 ベルギーで空港、地下鉄の同時テロ。  欧州にネットワークを持っている IS のしわざ!

 自爆犯たちは、ダーティー・ボム(汚い爆弾)、放射性物質をまき散らす計画もしていたと・・。  こわーっ、核に手をつけられたら、人類は滅亡でしょ?  原子力が稼働できないようにしましょうよ!    と、のどかな山里の春でも考えました。

 

 今回の ドライブのお供は、我ら世代のカリスマ 吉田拓郎。

      〇春だったね  ( 昭和47年の曲。作詞は田口 淑子)

 僕を忘れたころに 君を忘れられない  そんな僕の手紙が着く

 曇りガラスの窓をたたいて 君の時計を止めてみたい

 あゝ 僕の時計は あの時のまま 風に吹き上げられた ほこりの中

 二人の声も 消えてしまった     あゝ  あれは   春だったね。

 

 僕が思い出になるころに 君を思い出に出来ない  そんな僕の手紙が着く

 風に揺れるタンポポを添えて 君の涙を拭いてあげたい

 あゝ 僕の涙は あの時のまま 広い河原の土手の上を 振り返りながら走った

           あゝ   あれは    春だったね。

                       (病に負けずに、がんばれ!たくろう!)

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帚木蓬生の読書会 「つまをめとらば」青山文平『オール讀物』3月号

2016年03月23日 | 日記

 大名・昭和通り「日本料理 しゃぶ禅」の個室で、3時間びっしりの合評会でした。

 ほとんどの方が「つまをめとらば」の直木賞に納得 称賛でした。

 でも私は、「オール讀物」の中の3篇とも、女性が登場してからは とっても下品で、読む気が失せました。

 解説の末國善巳にも、林真理子などの審査員のコメントにも ガッカリ。

(帚木蓬生の作品「日御子」の解説。「天に星 地に花」の書評では、末國善巳は、とっても的確なのにね。)

 2月23日の「トーハン調べ」で、ベストセラーの①火花  ②また、同じ夢を見ていた  ③君の膵臓をたべたい  ④つまをめとらば ベストセラー4位なんて  嘘やろ と思いましたもの。

 

 文学賞の選考について、司馬遼太郎は、自己に執着した人が書く作品が 「芥川賞」(純文学)。  社会や他社との関係に目を向けたのが 「直木賞」 といったそうです。  『オール讀物』に載ってるのは 中間小説って言ってなかったっけ?

 権威は嫌いだけど、やっぱ帚木蓬生ファンとしては、彼の作品の全てが、どちらの賞も採れる作品なので採ってほしかった。 時機を逸したのでしょうか?  くやしーというのが、今の心境です。

 

 でも、私にとって、今日はラッキー ラッキーな日でした。(ナイナイの岡村(20年前、オッカンと呼ばれていた頃からのファン)の「ラッキーラッキー」というのが好きで笑って観てましたが、これってパチンコ屋の真似ですってね)

 まず、読書会で、おみやげに 3人の方から お菓子を頂いたこと。ありがとうね。

 デパートの「オンワード樫山」に、古着を持っていったら、金券と手袋がもらえたこと!

 あの「シャネル」で何も買わないのに、3種のスタンプ プレゼント!

 ホテルの「苔玉展」に寄ったら、庭園デザイナーの石原和幸のカレンダープレゼント!

 別のデパートで、服を買ったら「SKーⅡ」で、マッサージと試供品プレゼント!  

  なんてプレゼント尽くしの、ラッキー日和かと電車に飛び乗ったら、隣に愛らしい近所の大学生 かなちゃんが!  久しぶりに若い娘とおしゃべりできたのも、ラッキーラッキー。 

  ホント、ラッキー日和でした。 こんな愉快な日の歩数は10000歩超え。

                  

                  日頃は静かに、ミニ盆栽つくり。苔に はまっています。

             

  ようやく変わり水仙が咲きました。GIの大根菜と合わせて 春は黄色の季節だね。

      

             ティラちゃんだって、春だよ。

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春彼岸   「全国 陶磁器フェア」

2016年03月19日 | 日記

 実家の墓は、見晴らしの良い丘の上にあります。(家を建てると同時に、父に内緒で近くに墓地を買ったという母は偉い!) 三姉の早い回復を 両親にお願いしました。

 嫁ぎ先の墓は、昔ながらの街中にあり、御霊屋までありますので、お寺様の維持管理は並大抵ではないのでは?こちらでは、御先祖様に私達と子、孫12人の無事をお願いしました。     

  お墓参りの後で、「全国 陶磁器フェア」に出かけました。

       伊万里市の「創作工房 橘窯」のご招待です。

      

 200以上もの窯元の出店ですので、もうもう 興味津々。GIには、車で待ってもらいましたが、それでも、まだ見逃したものが たくさんある気がして、今でも残念!

 「橘窯」の作品は、一輪挿しがモダンで大好き!それも安価で求められます。展示会の中での作者お一人での生真面目販売で、つい おせっかいに口を出して、ごめんなさい。あの方に売れたかな・・。

 だって、ほんとに 我が家で大活躍してる一輪挿しですよ。花とも、草とも合いますよ。

 こんなのを買いました。ガラガラ くじで 3等が当たりました。

 

                   

  

  今日は、GIは新しく入ったウォーキング会へ。

 私は、リビングの雑巾がけと、2年ぶりに杖をつかずに、ウォーキングシューズを履いて、近くのスーパーに出かけました。(知人に杖姿で会うことに気後れして、このスーパーでは買い物を控えていました)

 川には、鴨の群れ。もう桜の花も咲いていて、懐かしく有難く 歩ける喜びを味わいました。

 今凝っている「グラノーラ」を中心にリュックに詰めて、両手いっぱいの買い物は、少し疲れました。

ん? 両足股の付け根が違和感のよーな気がする。まさかまさか、たった往復1,500歩に不安を覚えるなんて・・・。  

 2年前までは、歩くことが健康と信じて歩き過ぎました。 今のこのトラウマ、足への怖れに 身をすくめていても ただただ 心さみしいだけ。   (こうして前の様に 一人で買い物が出来なきゃ、やがて困るのは自分)と 自分に言い聞かせながら 帰りました。 

 すぐに お風呂に入ったら、きれいさっぱり 忘れた 疲労と 少し股痛いかな  でした。

 今日のお風呂の入浴剤は、「青森 猿倉の湯」。同じ成分でも、こんな〇〇の湯という言葉があるだけで より効いた気がしますね。

 多分、人生で強気一辺倒だった私でも、自分の努力ではどうしようもなかったあの痛みと絶望に、心が歩くことにトコトン自信を無くしているんでしょうね。  クスン。 ガンバレ、私!

  

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春だから、明るく 前に!  「いこいの村長崎」

2016年03月17日 | 日記

 病院に入院中の三姉のお見舞いに、いつ行ったらいいのかな・・と、迷いながらも、折角 胡蝶蘭を購入したのでと、こちらの勝手な理由で出かけました。 心配したより元気で、何時もの様に 甘えて、おしゃべりも長くなって ごめんね。 疲れたかな?

 嬉しかったのは、三義兄さんと私は、TVの朝の番組で 『88歳の方が1カ月で「介護ヘルパー」の免状を取得し、週に2回老人ホームにお勤め』 というのを観ていて、大いに刺激を受けて 「ヘルパーになろう」と、春の決意を語り、三姉ちゃんは 「元気になったらNHKの通信講座で学びたい」と、それぞれが前向きな話が語れたこと! あれ? GIは、何するの? この新しい春に!

  ようやく、一億総活躍の国の方針が 明るく 我らに前向きに 伝わったね。

 昼食の後、大村市の商店街の中で開かれている女性3人の「彫刻展」を見ました。35点もの様々な人物像ばかりが彫られていて、5月にも展覧会があるそうで、地方都市で頑張る彼女等に大いに刺激を受けました。いいね、すごいね。大作もありましたよ。北野竹子氏、平雅子氏、永田ひとみ氏。誘われて始めたのと気さくにおっしゃってましたが、次回が楽しみになりましたよ!

    そして、今宵の宿は「いこいの村長崎」。

 県立自然公園 多良岳の中腹にありました。はるかに雲仙普賢岳、眼下に有明海を臨み、目の前には一直線に諫早湾干拓堤防道路(8,515m)が、走っています。まるで、この堤防を見るために作られたような宿。  調べてみました。

 昭和50年。今はなき、雇用促進事業団が、雇用保険を財源として作った総合福祉施設。正式名称は、「勤労者野外活動施設」通称「いこいの村」。全国に32か所作られたけど、2005年までに全てが廃止または売却。  どうやら、土地は自治体所有で建物維持管理は民間らしい・・。

 築後40年の建物でしたが、宿泊料金も安く、部屋のWCは新しくウオシュレットで、建物全体も清潔。料理も豪華で美味しく満足しました。特に風呂は、轟峡の名水の湯で、湯船からの雄大なパノラマ一望で「あーあー、母さんと一緒に入りたかったなー」と思いました。  

 私は、これからも、娘やお嫁様からの誘いを待たずに、こちらから積極的に彼女らを誘って一緒に遊ばなきゃ   私が受け身でいて、もしかして 彼女達が 後で 後悔したら可哀そうだしねっ て思っています。

   これって、一種の 死生観でしょうかね?

 翌朝は、朝散歩(フットパス)と言いたいところですが、周りは テニスコート、プール、リフト、スキー場などニッポン・バブルの夢の跡ばかりで・・。遊歩道という場所がないのが、残念でした。

 帰路、近くの「山茶花高原ハーブ園」(諫早市小長井振興公社経営)も、のぞいてみましたが、誰ひとりとしていなかったあ!ここも、西洋風でゴージャスだったんでしょうね。バブル時は・・。結局、100%民間なら もう今頃は 形はないでしょうね。でも、税金ですものね。

 そして、一路 名称変更した「九州佐賀国際空港」へ。ビックリするくらい遠かった。江戸時代に作られた干拓跡地の広々とした農地の中にありました。 これからの発展は、難しいでしょうね。だって交通網がないんですもの・・。あるのは、畑ばかり。オスプレイは?

 帰りは高速道路を通らなかったので、疲れましたが、大好きな三姉ご夫妻に会えて、ホッと安心しました。 もっと 何か 姉が喜ぶことが出来ないか 考えるね。

   

道の駅「太良」で、色はレモン。形はデコポン。味はミカンより甘い「はるか」に出会いました。

 

     

              今春は、椿が咲く咲く。  

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