Yahooのポータルでヘッドラインを見た。小さい子のからむ痛ましい事件はなるべくなら目にしたくない。でも思い切ってクリックした。読んだ瞬間、起こるべくして起きてしまったのではと思えて胸が痛んだ。
ここから先はすべて想像の話であり、個人的な感覚にもとづく意見である点をわかってくださった上で、それでもあえてという方だけ読んでほしい。
この女性、「中国人女性」と言われるが、本国では日本語を勉強し子供に教えたりしていたそうで、村では文字通り優秀な女性だったようだ。それでも、中国の田舎から見合いのような形でやってきて、日本では苦労も多かっただろう。本国では優秀な人間として扱われていたのが、日本でただ「普通」の扱いを受けるだけでも差別されたような気持ちになったことだろう。まして異文化を受け入れることが下手な日本ではなおさらのことだろう。
以前にも書いたが、日本はLow Context Cultureだ。におわすことをしても決して物事をダイレクトには伝えない。実際、ごみ出しなどのルール違反やその他問題があったようだが、本人にわかるように誰かが根気よく伝えたのだろうか。対峙することを避け、みんなと違うことをする者をただうとましく思ったのでは、結果、するとはなく仲間はずれにするような感じになり、当然本人も「受け入れらていない」という気持ちになり、勢い疑心暗鬼になる。
そんなLow Contextな文化であっても、昔は村長なり長老なりがいて、その人柄と公正な判断基準を持ってそういう異分子をも説得し、和を創造し守っていたのだろう。しかし今の日本の集団の中にそういう役割を演じる人の存在を期待するのは難しいことと思えてならない。
この女性は、こうなる前、個別に登園したいと言っていて実際そうしていた。確かに最後は本人が集団登園に参加すると申し出たようだが、それは周囲のプレッシャーを感じてのことだろう。そこにストレスがあるなら、なぜ対応してあげなかったのか。基本的にまわりと違うことを許容できない。別に個別に登園することが、ちょっとひとと違うことをするのがどれくらい問題なのだろうか。ここで優先されるのは、個人の感情や気持ち、あるいは迷惑かどうかなどの基準ではなく、あくまで周りと違うかどうかということになる。
そんなことが重なり、繰り返されるうちに、ひとり異国の地にいて疎外感や孤独を感じて不安定になる。唯一のよりどころは自分の分身である最愛の子供となり、すべてがそこに集中し、ちょっとしたことでもいじめられているのではないか、そんな過敏な反応になる。
中国はもとより、High ContextなCultureだ。何があってもVerbalなコミュニケーションを諦めない。わかるまで、うるさいほど話し、教える。ここではLow Contextから来たものにも、コミュニケーションを強要し、やがて取り込む力がある。しかし、逆は難しい。Low Contextに入り込むHigh Contextな自己主張を止める術はない。ただ出る杭として不明瞭な理由で打たれるだけとなる。
この女性が苦しむそんな状況を、彼女の反発という反応を、周囲は察知できなかっただろうか。やはり遠い異国の地からやってきたひとりのその村では優秀だったという外国人女性を受け入れるのは難しかったか。不安定になるのを、ただ放っておくことしかできなかったのだろうか。気になるのは夫の存在である。どんな対応をしていたんだろう。
テレビの報道を見るにつけ本当に残念に思う。遺族からの自粛要請を受け、節度のある取材を申し合わせているはずなのに...
どうして事件の上っ面だけクローズアップして、不安や犯罪性だけを駆り立てるような報道しかできないのか
どうしてもっと分析的なアプローチがないのか、どうしたら起こらずに済んだのか、どうしたら同じ事件が起こらないようにできるのか...
を考えようとしないのか。
この痛ましい事件は、異文化対応が下手な日本がこれから対処していかなければならない問題を提起している。言い続けなければわからない相手がいるのに、それが苦手な日本文化。まわりとの違いに気を取られるあまり、集団登園にも着いて来てしまうこの女性の裏側にあった本当の理由を誰もフォローしきれなかった。
僕が言いたいのは、だから良いとか悪いとかではない。そもそも文化に優劣なんかはない。ただそれぞれ得手不得手がある。そこに問題意識が持てるかどうか、それを喚起できるかどうかが問題なのだ。
こんな風に週刊誌のネタのように扱われるのでは、失われた尊い2つの命、そしてこれからの一生を棒に振ったこの女性の心の叫びが報われない。こうしてマスコミがあおるだけでは、残念だが第二第三の事件がおきかねない。報道が報道の使命を果たしているとは残念ながら言い難い。
ここから先はすべて想像の話であり、個人的な感覚にもとづく意見である点をわかってくださった上で、それでもあえてという方だけ読んでほしい。
この女性、「中国人女性」と言われるが、本国では日本語を勉強し子供に教えたりしていたそうで、村では文字通り優秀な女性だったようだ。それでも、中国の田舎から見合いのような形でやってきて、日本では苦労も多かっただろう。本国では優秀な人間として扱われていたのが、日本でただ「普通」の扱いを受けるだけでも差別されたような気持ちになったことだろう。まして異文化を受け入れることが下手な日本ではなおさらのことだろう。
以前にも書いたが、日本はLow Context Cultureだ。におわすことをしても決して物事をダイレクトには伝えない。実際、ごみ出しなどのルール違反やその他問題があったようだが、本人にわかるように誰かが根気よく伝えたのだろうか。対峙することを避け、みんなと違うことをする者をただうとましく思ったのでは、結果、するとはなく仲間はずれにするような感じになり、当然本人も「受け入れらていない」という気持ちになり、勢い疑心暗鬼になる。
そんなLow Contextな文化であっても、昔は村長なり長老なりがいて、その人柄と公正な判断基準を持ってそういう異分子をも説得し、和を創造し守っていたのだろう。しかし今の日本の集団の中にそういう役割を演じる人の存在を期待するのは難しいことと思えてならない。
この女性は、こうなる前、個別に登園したいと言っていて実際そうしていた。確かに最後は本人が集団登園に参加すると申し出たようだが、それは周囲のプレッシャーを感じてのことだろう。そこにストレスがあるなら、なぜ対応してあげなかったのか。基本的にまわりと違うことを許容できない。別に個別に登園することが、ちょっとひとと違うことをするのがどれくらい問題なのだろうか。ここで優先されるのは、個人の感情や気持ち、あるいは迷惑かどうかなどの基準ではなく、あくまで周りと違うかどうかということになる。
そんなことが重なり、繰り返されるうちに、ひとり異国の地にいて疎外感や孤独を感じて不安定になる。唯一のよりどころは自分の分身である最愛の子供となり、すべてがそこに集中し、ちょっとしたことでもいじめられているのではないか、そんな過敏な反応になる。
中国はもとより、High ContextなCultureだ。何があってもVerbalなコミュニケーションを諦めない。わかるまで、うるさいほど話し、教える。ここではLow Contextから来たものにも、コミュニケーションを強要し、やがて取り込む力がある。しかし、逆は難しい。Low Contextに入り込むHigh Contextな自己主張を止める術はない。ただ出る杭として不明瞭な理由で打たれるだけとなる。
この女性が苦しむそんな状況を、彼女の反発という反応を、周囲は察知できなかっただろうか。やはり遠い異国の地からやってきたひとりのその村では優秀だったという外国人女性を受け入れるのは難しかったか。不安定になるのを、ただ放っておくことしかできなかったのだろうか。気になるのは夫の存在である。どんな対応をしていたんだろう。
テレビの報道を見るにつけ本当に残念に思う。遺族からの自粛要請を受け、節度のある取材を申し合わせているはずなのに...
どうして事件の上っ面だけクローズアップして、不安や犯罪性だけを駆り立てるような報道しかできないのか
どうしてもっと分析的なアプローチがないのか、どうしたら起こらずに済んだのか、どうしたら同じ事件が起こらないようにできるのか...
を考えようとしないのか。
この痛ましい事件は、異文化対応が下手な日本がこれから対処していかなければならない問題を提起している。言い続けなければわからない相手がいるのに、それが苦手な日本文化。まわりとの違いに気を取られるあまり、集団登園にも着いて来てしまうこの女性の裏側にあった本当の理由を誰もフォローしきれなかった。
僕が言いたいのは、だから良いとか悪いとかではない。そもそも文化に優劣なんかはない。ただそれぞれ得手不得手がある。そこに問題意識が持てるかどうか、それを喚起できるかどうかが問題なのだ。
こんな風に週刊誌のネタのように扱われるのでは、失われた尊い2つの命、そしてこれからの一生を棒に振ったこの女性の心の叫びが報われない。こうしてマスコミがあおるだけでは、残念だが第二第三の事件がおきかねない。報道が報道の使命を果たしているとは残念ながら言い難い。
事件を国際文化としてとらえられていて
多面的な見方を教えてもらいました。
ありがとう。
Yhさんが感じているマスコミの対応は、
マスコミが資本主義に組み込まれているからではないでしょうか(もちろんそうでない人々、出版社もあるでしょうが)
出版系の仕事は、そのバランスが難しいですよね。
加害女性のことも理解しなければ、今後、移民などを
受け入れたときに、日本で異文化交流ができないとなると国際社会からの非難も必至だし、第2第3の事件が起こりかねないですね。
あと、日本の刑罰が懲罰刑というのも問題だと思います。これからは更正プログラムというか、事件を起こす人をある種の病気だと捉え、社会全体で排除するのではなく、社会全体で教育していくことが大事なのではないかと思いました。
日本以外のアジアの人々に対する優越意識。
欧米に対する潜在的な劣等感。
一般論ですが。
takadesignさん
資本主義、僕らが飯を食ってる屋台骨の部分。バランスは難しいよね。初っ端のコメントありがとう。
High Timesさん
移民受け入れの問題、来る側の意識、受け入れる側の責任、難しい問題ですよね。
行刑密航主義の見直し、矯正施設の透明性の確保も急務ですよね。
Sandieさん
さすがは鋭いところを突かれますね。私もおぼろげに感じてはいたのですが、書ききれなかったところでした。
上記に書かれていることは、遺族や周囲の人には机上の論理でしかない。
自虐に走るのも結構だが、なんでもかんでも日本のせいではないだろう。
でも!
子供を巻きこむことだけはあってはならないですよ。
大人同士で問題を解決しなくてはいけません。
殺された子供を想うと、被害者遺族の気持ちを思うと、気の毒で震えがきます。。。。
加害者の子供、殺害現場ですべてを見て聞いていたわけで、しかも母親が殺人犯になってしまったわけで、
その子の気持ちを考えると悲しくてたまりません。。。
2人の幼い子供が殺されてしまったという事実の前には、hoshiさんのおっしゃるとおり、机上の空論でしかありませんよね。
多くの外国人の方々がそうしているように、この女性も日本の文化に合わせてくれてさえいればもともとこんなことは起きなかったと思います。ただ日本が悪いというように聞こえてしまったようで、拙い文章をお詫びさせてください。失礼しました。
そこに厳然と存在するギャップ。これを埋めるために、hoshiさんはどちらが歩み寄るべきだと思われますか? 異質なものを自分のもののように包含していくことができる器用さ、これも日本の文化の特徴だと思っています。
チョコさん
加害者、被害者、その家族の方々、周囲の方々、この事件をとおして誰ひとりとして得をした人はいません。こういう悲しい事件、2度とおきてほしくないですよね。
その敢えての異論に対して、
常識論を持ってきて、机上の論理とするのは
ナンセンスだと思う。
事実は事実で犯罪だけど、
物事の見方って、視点や境遇から幅広く
捉えられる物で、今回のyhの視点は
yhならではのもの。
僕個人としては、
大変考えさせられる文章でした。
余談ですが、
今回の件は、深い所までは分かりませんが
僕もTVの報道の視点の低俗さには
甚だ嫌気がさしております。
こうやって、一連の報道とは異なった
視点で、物事を捉え直そうとする視点こそ
流されやすい日本人には欠けている
ことだと思います。
何よりOが独自の視点として認めてくれた
のが嬉しいね。なんかほんとに友達って
感じがした。
いや、心からそう思っただけで、
フォローではないですよ---。
私別の場所で、
先日の東●インのN社長の会見について
あまりにもマスコミの風潮が一方的だったので、
わざと異なった見方を書いたのですが、
法令違反なんてとんでもない!と言う一般的な
反応がありまして、。
単眼的な見方や考え方をする方が多いので
yhのようなどんな状況でもクレームを起こせる位
立体的な視点を持っている人が
僕はマトモに思うし信頼出来えるわけです。