Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

営業の仕事

2007-01-26 23:24:28 | Lookback
 
営業に関する本を読んでいて思い出した。
実は僕も一度だけ、真剣に営業をやろうかと思ったことがる。

自分はバックの仕事ばかりをしていることに引け目を感じ、少しでもそういう意識を大切にしようと思って参加していた「営業勉強会」に来ていたソニー生命の支社長に誘われたのだ。

面白そうだと思ったし、相当真剣に考えたが、結局やらなかった。CFP持ってるなら○○万円コミットするよと言われた額よりも多い給料を今もらっていることを思えば、それは正しい選択だったのかもしれない。

しかし、このプロセスから学んだことはすごく多かった。プロというのはどういうものなのか...

・きちっとメールを出す、期限までに提案書を作る、お礼状を書く...そんな当たり前のことをちゃんとやるかやらないか

・ビデオで自分の話し方を見て、徹底的に練習する

・約款の内容をちゃんと読んで理解する

・メソッドに沿って努力して練習すれば、スキルは身に付けられる

別に何も難しいことはない。ただ当たり前のことをちゃんと「続け」られるかどうか、タレントがなくてもできる仕事だと言われ、確かにそうだと思った。

とくに当時スピーチの世界に没頭していた僕は、コンテストに勝てなかった悔しさをバネにビデオカメラを買って自分のスピーチを見たりしていたときだったので、そういう練習の仕方には共感するところが大きかったし、そうすればできるようになるという感覚もあった。

確か、2001年秋の話。

自分が人と人間関係を作ろうとするときに自然に取る行動の中には、ここから影響を受けたものも多い。



気持ちいい一日

2005-08-28 20:57:11 | Lookback
今日は効率のいい仕事ができた。前の日が遅かったので朝起きることができず、早く行くどころか1時間遅れて出勤したのだが、懸案になっていたことをいくつか解決できたのだ。

まず何より、社内でも「言うことは正しいのけど、気難しい」手強いおっちゃんといろいろと話さないといけないことが溜まっていたのだが、朝からアポを取って懸案事項をすべて話することができた。11時前から話し出して1時半まで話していたので相当な長さだったが、建設的な話ができて、昼を食い損ねかけたがすがすがしい思いだった。

続いて2時から、元ボーグのモデルというフランス人のキレイなおねーさんとミーティング。シドニーに居て2ヶ月に1度東京にやってくるのだが、そこそこ人間関係もできてきている感じで、これも有意義な話ができた。だんだんと問題点が改善されるのが確認されて、あと一歩という感じを共有できて嬉しかった。Auditorといえど、そういう態度でいてくれるとこちらも張り合いがある。絶対自分より年は上だと思うけど、キレイなだけに年齢不詳。みんな一度訊いてみたいと思うが、誰も訊けない(笑)。

次は自分のチームのマネージャーと夕方から、昨日のスタッフ・ミーティングの反省と今後のチームの方向性について話した。僕が忙しくてなかなか時間が取れなかったのだが、今日はじっくり2時間くらい話をできて、懸案事項もそれぞれアクションを確認できたし、お互いにいろいろと考えを話し合えてすごくよかった。以前にくらべてさらにお互いに信頼関係が強くなってきていて、暗に僕のもって行きたい方向性を示すだけで、「そうですよね、そうしましょうよ」と自分でそちらに向かってくれるのがすごく嬉しかった。何より自発的に取り組んでもらえるのが一番だから、あとはときどき背中を押したり、励ましたりすれば自分で進めてくれるだろう。長く話して疲れたけど、これも達成感があった。

このマネージャーと話し出す前に、実はモデルのおねーさんとの約束でひとつ業務規定をあげなければならなかった。ごくシンプルなやつで、大枠はMind Managerで作ったのだが、ちょっと文章にする時間はない...。
そこで、「30分だけ手伝ってくれない?」とKuriを呼んで大枠だけを話して書いてもらった。30分後、マネージャーと話してる間に「こんなんでいいですか」とドラフトが上がってくる。ちらっと見ると求めている以上の出来。だって、指示してないのに日英併記になっている!! 「十分すぎる」という言うと、「じゃぁ、Kさんに見せてOKなら上げちゃっていいですか」ときた。そりゃぁもちろん、文句あるはずもない。文章が出来てからの細かい作業も結構大変なのに、何の説明をしなくてもそこまでやってくれる。というわけで、黙っていて、規定が出来上がってしまった。
あとから明日の会議の議題を持ってきたモデルのおねーさんに、「いまごろKさんが承認済ませてるはずだよ」と言えたのはほんとに気持ちよかった。とともに、それを見越してこの問題をすでに議題からはずしてくれてたのも嬉しかった。

やっぱりこのスーパーアシスタントがいてくれると仕事の進み方がまったく違う。ほんとに戻ってきてくれて、目に見えるとこ、見えないところで、ほんとに気分が違う。

今日は神経を使ってかなり疲れたけど、1日効率よく仕事ができてすごくよかった。

終わってみれば II

2005-06-18 08:47:34 | Lookback
電車の中でもずっとイメージだけを持って渋谷の駅に降りる。思うようにできるだろうか...、いやできっこない...。マークシティーを抜けたあたり、もうすぐ会場というところでふと、

「劇団の人たちや、プロは自然体でこういうのをやって、お互いにチェックして修正してってのを繰り返しやってるよな。そうだよ、審判するときだって、はたから見たら笑っちゃうだろうけど、ジェスチャーのチェックしたり、旗の角度を平気で確かめたりしてたよな...。ああいう感覚でやればいいじゃないか。」

そう思ったらなんか割り切れそうな気がした。

いざ会場に入ったらまだ誰もきていない。この隙にとトイレに行って鏡に向かって練習。こんなもんかなぁと思いながら受付に行ってみると、トレーナーが到着。一緒に会場に入って準備を始めた。

練習しながら、チェックポイントを訊く。まじめに、いいものをやることに集中してやってみると、まわりのアシスタントも気にならなくなってくる。なんとか出来そうな気がした。

さていよいよ本番。鬼の動きをやってみせる。どうやら一部受講生はびびってくれたみたいだ。意外にもやってしまったら気持ちがよかった。

何より自分の中で実は大きな変化があった。今まではよしんばうまくやったとしても、その後のスキットを楽しむなんてことはありえなかったが、今回は他のアシスタントがやるスキットを僕ならこうするのにとか思ってむしろ自分でもやってみたいと思えたのだ。

これはある意味、大きなブレークスルーだった。今回「できた」という経験は、今後いろんな機会で自分の自信になるだろう。今回はこの役割をアサインしてくれたトレーナー、そして嫌な(笑)プレッシャーをかけ続けてくれた他のアシスタント(+トレーナーもだな)、そして誰より親身に相談に乗ってくれた親友Leeに感謝したい。


終わってみれば I

2005-06-17 23:28:33 | Lookback
人前でスピーチしろと言われても嫌だということはない。むしろトピックによっては自らやりたいくらいだ。しかし、人前でなんかのおもしろおかしい演技や馬鹿をやれといわれるのは正直耐えられない。いざ漫才をやるとか、本気で割り切ってしまえばいいのだが、半端にやれといわれるのは本当に辛い...。

今アシスタントをしているセミナーで、「ジャックと豆の木のワンシーン。巨大な鬼が人間を追いかけているシーン」をやれと言われた。一応覚悟はしていたものの本当に嫌だった。

「Hさんはトップバッターだし、ここで場の雰囲気をガラっとかえないといけない重要な立場ですよ」
「そうだよなぁ、このスキットが一番重要だよなぁ。これが決まらないと次が続かないよなぁ」

トレーナーも他のアシスタントも現場でもメールでもさんざんプレッシャーをかける。今週はほんとにこればっかり考えていたと言っても過言ではないくらい、気になって仕方がなかった。

月に2回、このセミナーで一緒だったLeeに英語を習っているのだが、彼はその後にこのコースのトレーナー資格を取っている。いよいよ本番が3日後に迫った木曜日、来てもらう日だったのだか、その日は英語そっちのけでこのスキットのやり方ばかりを訊いた。ほんとは実際に稽古もつけてもらおうと思っていたが、場所がなかったので言葉でだけ。それでもマスター・トレーナーがどうやってたとか、ゆっくり動くことが重要、スペースを大きく使うことなどを教えてもらえて、これは有意義だった。

とはいえ、木曜日・金曜日は帰りがかなり遅くなり、家で練習する時間がとれなかった。結局セリフとちょっとした動きを鏡の前で練習できただけで、あとは頭の中でイメージトレーニングするだだった。

当日の朝、妻がそんな気持ち知ってか知らずか、昨日の帰りが3時だった僕に、「あなた今日はもう休んだら」と真面目に言う。これをやらずに済むならと体調不良を理由に本気で休もうかと思った。


死ぬかと思った

2005-06-15 23:14:34 | Lookback
飛行機に乗るまさに直前に大問題を知らせる電話があった。それがもし本当なら、今出張に行っている場合ではない。出発15分前、ゲートの前で乗るのをやめようかと思った。

「とにかくもう一度調べてみて」

そう言うと電話を切って真剣に考えた。NW017便にはもう乗り込む客もまばらだ...。しかし、「今さらどうすることもできない。だめなら明日の朝の便で帰ってくればいい」、最後にはそう思って乗り込むことに決めた。

席についてからも出発を待ちながら、このことが気に掛かってならない。しかし、こんなことをずっと気にして4時間半をもんもんと過ごしても仕方がない。とにかく今できることは真相を知ることしかないわけだし、この期に及んでそんなことが起きるはずがない。もしあったとしたら、確実にクビだろうから、この飛行機で香港に向かってしまっても結果は同じことだ。これでクビになったら多分同じ業界で転職はできないだろうけど、それはそれでまた新しいことを始めるチャンスになろう。何より僕には支えてくれる家族がある。

そう考えるうちに、離陸するころにはなんとか割り切ることができた。聴こうと思っていた音楽を聴きながら、やろうと思っていた書類をまとめたり、メールの返事を打ったり、充実した時間を過ごすことができた。

さて、ホテルに着いて「4泊でよろしいですね」と言われながら「わかんないよ、明日帰っちゃうかもよ」とフロントの感じのいいおねえさんに心の中でつぶやきながらチェックインする。そして、部屋に入って焦るようにメールを確認してみると...、

「どうも○○さんの勘違いだったみたいです。資料は見つかったので同じものを送っておきます。当局には来週帰国してから連絡するように伝えてあって、それで大丈夫そうです」というメールが申し訳なさそうにアシスタントから入っていた。

「やったー!」

僕は正しかった。やっぱりそんなことはあり得なかったのだ。そう思って割り切ったことで、そのメールを見るまでの時間を無駄にすることにならずに済んだ。それより何より、成田であきらめていたら...初めての香港に来ることすら出来なかった。

この経験以来、自分が少し、でも確実に、図太くなったような気がする。神がくれたいい機会だったのかも知れない。

逃げるのか?

2005-06-05 23:23:52 | Lookback

「今日、ちょっと飲んでいきませんか?」

杉並リーグの後、西上原さんに声を掛けた。どうしても今日伝えなければならないと心に決めていたことがあったからだ。

仕事、家庭、勉強。もともと体力のない僕には、その体力をカバーすべくトレーニングしながら、毎週の審判活動を続けるのはやっぱり無理だと思ったからだ。上に行くのを諦めようという決心を伝えようとしたのだ。

21才のときから始めたサッカーの審判。人に言えば笑われるが、一度はJ-Leagueの笛を吹いてみたい思っていた。いや、俺は言葉もできるからと、国際審判になれればななんて真面目に考えたりもしていた。そんな中、26のときにめぐってきた2級昇進のチャンスを体力テストに落ちて、あと一歩のところで逃してしまう。もう一度と思いながら、仕事とプライベートの両立も難しく、トレーニングに力を注ぎきれなかった。

「3級でもいい。資格さえ更新し続けて、自分なりにやればいいじゃないか」

最初から僕を育ててくれ、期待をかけてくれた、自分が今でもその人柄とレフリーイングを尊敬する西上原さんは、そう言ってくれた。自分で決心していたとはいえ、そう言ってもらえてほっとした。でも内心、自分が逃げたような気がして、悔しくてたまらなかったし、自分自身に後ろめたい気持ちがずっと残った。

近所でサッカーをしているのを見れば、「いつかもう一度」と思ったり、落ちた体力テスト(クーパー走)をなんとかクリアーするだけ体力をつければ気が済むのかもと、スポーツクラブに通う計画を立ててみたりもした。

でも今となっては、あのときはあれでよかったんだと思える。その選択をしたからこそ、もっと重要なことに力を注ぐことができたし、また違ったことに挑戦する機会もできた。当時は自分の生き死にに関わるくらい重大な問題として悩んでいたが、今から振り返るといい分岐点だったのかも知れないと思える。

「逃げるのか?」っと何度も自分に問いかけていた当時が懐かしい。今年も3級審判の更新講習会の案内が届いて、そんなことをふと思い出した。


亭主改造計画

2005-05-30 22:22:17 | Lookback
いいよなぁ、誰か本気でお金払うからやってくれないかなぁ...

僕はテレビで「亭主改造計画」なんかを見るたびにいつも思っていた。なぜなら、僕はセンスがないので服を選ぶのが苦痛で仕方ないからである。いくらがんばって探したところで、ろくなものしか買えない。それならいっそ、プロにお金を払ってばっちりのコーディネートをしてもらう方がよっぽどしゃれている、そう思っていた。

あるとき、そんな思いを冗談半分で、大学院の同期のメーリングリストに投げてみると、「それは簡単にできる」という話になり、それから話がどんどん進んで、津村さんにひととおり見てもらうことになった。

彼はまず僕の家まで来て、今持っている服、家の雰囲気、妻の趣味・希望などをチェックし、僕のイメージをつかみ、それから何日かかけて下見をしてくれた。「結構いいものみつけましたよ」という彼と一緒に買い物に出掛けたのが2年前の5月26日の話。

メガネに始まって、カジュアル、スーツ、シューズ、ソックス、僕が行ったこともないお店に案内してくれて、ひととおり、本当にトータルにコーディネートしてくれた。自分に似合ういい服を選んでもらえて、何より自分では選べないようなおしゃれな服を選んでもらえて、それはそれは楽しかった。

そしてもうひとつ楽しかったのはお店での店員さんたちの対応。当時はお店を開く準備のためにもう辞めていたが、彼はBNYでトップセールスだった人だ。彼が「こういう感じの探してるんだけど」と言うと、それだけで居合い抜きがごとく相手の対応が面白いくらいに変わる。僕が見たこともない店員の真剣な態度!!

きらきらと目を輝かせて動き回ってくれたJ-CREWの女の子、「お前がそういうなら、こっちも本気で出してきてやる」と言わんばかりのプロ意識をむき出しにしたGAPのおにいさん、まったくもって具体的な話をしていないのに探しているイメージをいつの間にか「共有」してしまうZoffの店員さん(津村さんと店員さんの間でね、僕は蚊帳の外)、ほんとにすごいと思った。

今まで服装はコンプレックスのひとつだったが、そんな津村さんに探してもらった服を身に着けると、どこへいくにも自信を持つことができて本当に嬉しかった。スーツもばっちりいいものを選んでもらって、ちょうど6月からの新しい職場でも堂々と仕事ができた。

いまはakariの店長である彼が、忙しい中、また一緒に買い物に付き合ってくれることになった。


なんたる偶然

2005-05-24 23:45:41 | Lookback
【主審】西村 雄一【副審】鍛冶 勉/犬飼 一郎...

高校時代のクラスメートのblogにサッカー観戦の話が書いてあった。柏のロイヤルボックスで観戦したそうだが、載っている写真がきれいなこと。まるで蹴った後の歓声が聞こえてくるよう。

その写真のまさに中央に、いいポジションを取った主審が写っている。一瞬まさかとは思ったが、調べてみるとやっぱり西村さん(くん)だった。

彼に初めて会ったのはHBS大宮グランド。こんなにすごいヤツがいるんだって感動したのを憶えている。サッカーとは何か、何のための審判か、そのために必要な運動量、選手に対する気遣い、審判に対する姿勢。すべてが文句なしで共感でき、目標にしたいと思った。その後も何度か組んだり、グランドで会ったりする機会があった。

僕は一度2級への昇級試験に落ちてそれきり、協会の割り当てからは遠ざかってしまった。それでもしばらくは、お世話になった地元の杉並連盟の試合だけは続けていたが、それも仕事と勉強が忙しくなってからここ2年くらい顔も出していない。

自分も一度はJリーグの旗くらい振ってみたいと真剣に考えていたころが懐かしい。背丈もあって、言葉もできたので期待されていたみたいだけど、体力がなくて2級にもなれなかった。それでも一緒に組んだことのある彼がJで笛を吹いているのを見ると、うれしいし誇りに思える。

そういえば、東洋大学でインストラクターが試合前に撮ってくれた写真がどっかにあったっけ。あのとき帰り際に、

「早く上がってきてよ」

と言ってくれた彼の笑顔が思い出された。

スタバ

2005-05-08 23:23:17 | Lookback
「ガシャーン」

僕の目の前に並んでいたおっちゃんが飲み物を受け取って2、3歩歩き出したところで袋ごと手をすべらせて落としてしまった。あーぁ、せっかく買ったのにかわいそうにと思って見ていると、そのドリンクを渡した女の子が、

「あのお客様のドリンクって○○のトールサイズだったわよね。すぐ作ってくれる?」

っと隣の子に指示するなり、カウンターの中から飛び出してくると、次の瞬間には「お客様大丈夫でしたか」といいながら床にこぼれたドリンクを片付けていた。あっという間の出来事だった。

ここで2つの疑問が頭に浮かんだ。
ドリンクを即座に作りなおすというのはマニュアルに書かれているのだろうか?
バイトであろうこの女の子のモチベーションってどこから来るんだろう...?

当時10人弱のチームを率いるマネージャーになったばかりだった僕は、このモチベーションを引き出すスターバックスはすごいと思った。うちはこんなに給料払ってるのに...悔しい思い半分、ぜひこの子と話してみたいと思った。

まだ今の勤務先が城山ヒルズにあったころだからもうかなり前の話。朝、武蔵浦和のスタバでドリンクを受け取る人を眺めながらふと思い出した。

子供をとおして

2005-05-07 23:09:35 | Lookback
家具屋に行った日の夜、西荻の鳥源に飯を食いに行った。子供が生まれてからもときどき顔を出してたけど、子連れで出かけたのは今回が初めてだった。

ここは僕が浪人してたときから数年間兄貴代わりにと家庭教師していた"弟"が、関西での修行を終え親父さんたちとやってる店だ。当時その隣にあったロコという喫茶店でおかあさんと知り合ったのがきっかけだった。

誇らしい気持ち半分、恥ずかしい気持ち半分、自分が青春時代を過ごした街に子供を連れて帰ってきた。もちろんお店では大歓迎してもらえて、おかあさんもよろこんでくれた。"弟"には気恥ずかしい気もしたけど。

途中料理を待っている間おとなしくできない子供を肩車してその辺をひとまわり。ときどき行った風呂屋、友達が2階に住んでた八百屋、大家さんだった酒屋さんなどを一緒に覗いた。

いままで何度か西荻には来たけど、これほど自分がいい歳になったと実感することはなかった。こうして昔の自分を知っているこの街に、あきらかに以前と違う自分の姿を見つけそんな気分になった。