Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

天使

2014-05-09 19:53:34 | Weblog

今日はすごく神秘的な1日だった。

朝、ある人と話をしてすごく穏やかな気持ちになった。
40分くらいだったけど、本当に癒される時間だった。

ずっと先送りしてしまっていた、人と話さなければならない懸案が
いくつかあったが、その穏やかな気持ちでそれぞれの人と話をして、
思う形にまとめることができた。

今日は福井に向うために5時前に会社を出る予定だったけど、
普段ならバタバタと出てくるところが、今日は穏やかな空気の中で
ゆったりと空港に向かうことができた。

空港でも、感じのいい売り子さんにお土産を売ってもらい、チェック
インを失敗した座席も、ゲートのカウンターで気持ちよく変更して
もらえて、隣のいない窓際の席をもらうことができた。
(しかもその裏にはポテトのクーポンが(笑)!!)。

34Rからの離陸。離陸してからUターンする感じだったので
窓から空港が見渡せた。これから着陸する飛行機の列。
まさに離陸する飛行機。大きなはずの空港が、整然と並ぶターミナル、
一際高いはずのタワーも、なんだかちっぽけに見える。

東京湾を横切って、海岸沿いにほんの一瞬、一際明るい照明が見えた。
あの岸のノーヒットノーランを見届けた千葉マリンスタジアムだ。

しばらく陸地を飛ぶと、どこか見覚えがある、大きな翼を開いたような
スタジアムが見えた。まだまだ結構な街の中。鹿島はもっと田舎だろうし...
何言ってるんだよ、埼スタだよ、埼スタ! そうだとわかって手前を探すと、
なんと家が見える!! 浦和の競馬場、荒川との位置関係からも間違いない。
確かに家からも飛んでいる飛行機が見えるよな。

こんなラッキーってそうそないなと思った。おだやかな気持ちだからこそ
景色が見える、いや目に入ってくるんだなって感じた。

引き寄せから始まって、amazonの薦めるがままに読んでみた天使の本。

天使はいるんじゃないか、いや、自分がくだらない思いを手放しさえすれば、
当然に守ってもらえる、導いてもらえるんだと確信できるような、そんな
1日だった。

無事に小松空港の到着。これから福井駅前の秋吉で一杯。
明日は、2月にお世話になった方々にコーチング。

なんと幸せなんだろう...こころからまわりに、すべてに感謝したい。

ありがとう。


幸運が舞いこむ天使の言葉
クリエーター情報なし
主婦の友社

竹沢さん、ありがとう

2013-11-04 23:50:00 | Weblog
(絶対に忘れたくなくない、今の気持ちを書き記しておきたいと思い、11月4日の夜に一気に書き上げた文章です。いろいろな考えがあるので、こういうことを載せるについては必ずしもいい気持ちのしない方もいると思いますが、あくまで僕の目から見たものですが、彼がどう人生と向き合ったのか、知りたい方もいると思いここに載せることにしました。この点はあらかじめご了承いただいた上でお読みいただけると幸いです)



竹沢浩七さんが10月31日に眠りにつかれました。

私がドイツ銀行でくすぶっているときに、それまで新卒から育ててくれた澤田さんがあっちで人探してるらしいよ、と言って飲みに連れていってくれて、そこで竹沢さんを紹介してくれました。仕事の話より車の話をして、それでも僕はこれがチャンスと思って次の週にResumeを持ってオランダ銀行の窓口まで行って...99年の初夏のことでした。

ドイツでも新卒にそんなことやらせていいの?って思うくらい、澤田さんにいろんなことをやらせてもらいましたが、オランダに入ってからは、さらにいろんなことをやらせてもらいました。自分のチームを持ったのもオランダが初めて。真剣にリーダーシップって何なんだろうと思って、自分で15万払ってデールカーネギートレーニングを受けたのもこの時。2001年1月のこと。本当に自分に飛躍する機会をくださった方でした。

--------------

「実は竹沢さんが末期の食道がんで、先週担ぎ込まれて...」

朝8時半くらいに携帯が鳴り...もう何年も話してないのに、こんな朝からどうしたんだろうと思って取るとMさんが切羽詰まった様子で話してくれた。くりちゃんにも伝えてあげてくれる?と言われたので、昼休みに電話した。

その日はたまたま5時半には上がれる日だった。携帯で検索すると18時03分の成田エクスプレスに乗れば7時過ぎには病院に着けると思い、券売機で席を取って時間があったので、ねんりんやでいつものバームクーヘンを買ってそのまま千葉へ向かった。

着いてみると「千葉県がんセンター」とはいうものの、古~い病院だった。狭い病室に6つのベッドがカーテンで仕切られて並んでいる窓際の左奥に竹沢さんがいた。「あれ、初めてだっけ? これが堀口だよ」、そこで初めて奥さまとお会いした。

鼻にチューブこそ入れてたけど、顔色も良く、話もできる。本当に元気そうで「末期」のイメージとは程遠く拍子抜けした。それでも、これ、胃瘻で栄養入れてんだよ。良くないだろ。ステージⅣ、最初は量子線治療を受けようと思ったけど、転移してるからだめ。手術、放射線は適応なし。勘九郎知ってるだろ? できたとしても手術は五分五分。成功してもQOLはかなり下がるらしい。残るは抗がん剤だけ。それでも2ヶ月延命できるだけだからどうしようかと思ってる。

株の完璧な法則を見つけたんだよ。こんなの見つけちゃったからこうなったのかな。無念だよ。ほんとに母ちゃんと二人で泣いたよ。もう涙も枯れたよ。

...もうすぐ8時になる手前までいろいろと話をしてくれた。最後に抱きしめさせてもらったら、それまで気丈に話してたけど、震える声で「お前とくりのことは子供みたいに可愛かった」と言ってくれた。

7月26日、2011年3月1日から実に2年5ヶ月ぶりの再会だった。いいよと言ったけど、いやむしろ歩いた方がいいんだよ、と言って3階の病室から奥さまと2人で1階の玄関まで見送りに来てくれた。そこでもう一度ハグした。気が焦っていて、そのときに奥さまにハグし損ねたので、Mさんに今度行ったら僕の分までしといてとお願いした。

それから何度かメールやりとりしながら、自分も出張があったり、休暇前でバタバタとして、そのまま8月第3週目から夏休みに入った。今年の夏はとくに予定もなく、毎日が週末という感じで過ごしながら、古稀を迎える父に会いに美瑛まで1泊で行ったり、近所のプールに行ったり。そんな中、そうこうしているうちに退院して家に戻っていた竹沢さんの家に遊びに行った。抗がん剤治療はしない、ほぼ心に決めていた。竹沢さんらしく、本からネットからあらゆる情報を取って、家族、近所に呼び寄せたご両親にも納得してもらって決めた、来週正式に先生に言おうかと思ってると話してくれた。

当然医者は治療を勧めるけどさ、面白いんだよ、ベテランの看護師さんがちょろっとやって来て「何もしないって手もあるわよ」とぼそっと言って言って行ったりするんだ、という話が印象的だった。

そのときは、ステントを入れた人の平均寿命は45日なんだよな。でもそれは入れて治療した人の分しか統計がないから...それなら新記録を作ろうよ、そんな話をしてた。

23日に続いて次の週の29日、西武でお昼を買って、今度はくりと一緒に遊びに行った。くりも信じられないというくらい元気な様子だった。長男の企画で来月親子4代で鴨川に旅行に行んだと、楽しみにされていた。孫は可愛いって話もしてて、57歳でもそうなんだな、そうじゃないのはうちの親父くらいかって思って、竹沢さんでもそうなんだなってなんだか可笑しく思った。

9月に入って2度目の3連休、月曜日に早朝から会社に出て仕事をして、調子よく片付きそうだったので、思い切って、「今日の午後遊びに行ってもいい?」って電話してみた。何もないからいいよって快く受けてくれ、昼過ぎに会社を出て千葉へ向かった。前に遊びに行ったときに、田んぼの真ん中にあるスターバックスの話をしてくれたので、ぜひ連れてってと駅からそのままそのスタバに向かって、そこで3人でお茶を飲んだ。

先週は台風だったけど、無事鴨川にみんなで行けた、自分でも途中運転したりして、温泉は気持ちよかったと話してくれたけど、今週だったらちょっと無理だったかも知れない、先週でよかったよと言ってた。そのときは皮膚に転移していて、腕やお尻にこぶができて、背中にあるやつが背骨を圧迫して痛いと言っていた。写真撮るから帰りに家に寄って行ってよと言われたけど、また来るから、ってそのまま駅まで送ってもらって15時21分の電車に乗った。

それからしばらく、メールのやりとも数回、どうしてるかなってそろそろまた遊びに行こうかなって思っていると、Mさんが、奥さまからメールをもらったという連絡。「これから緩和病棟に入院します」とのこと。どうしようか、とやりとりをしながら、こういうときこそ会いに行こうよとその日に遊びに行った。

「ついにお迎えが来たよ」

「堀口、楽しく生きろよ」

そういいながら僕の顔に手を伸ばして、良く見せてくれ、今度来たらもう意識がないかもしれないからなと抱き寄せてくれた。「鎮痛剤だけは管を入れたけど、栄養も点滴もすべて断っちゃったんです」奥さまがそう話してくださった。確かに、一切の延命治療はしないと話してはいたけど、本当にそうしたんだな、竹沢さんらしい、大したもんだなと思いながらも、何も言えなかった。

この日、10月11日はお二人の33回目の結婚記念日だということだった。ほんの数ヶ月、いや、ほんの5回だけだったけど、お二人の仲のいい姿を拝見し、僕も18年後にこんな風に33周年を迎えられていたらいいなと、思った。

10月16日、もう一度遊びに行った。一日中寝ていることが多いと聞いていたけど、5分くらい話ができた。「死ぬってことがどういうことかわかったよ。こうやってだんだんしゃべれなくなるんだな」って言われたのはこの日だったと思う。

7月に竹沢さんの話を聞いてから、以前読んだ大津秀一先生の本を思い出し、8月から夏休みにかけて、片っ端から彼の本を読みあさった。そして死とは、生とは、緩和医療とは、延命治療とは...Amazonで勧められるままに大津先生以外の本も数冊取り寄せて読んで、僕も自分なりに結論らしきものを持つに到った。だから、この人は自分で自分をわかっているんだなと彼の言葉を自然に、冷静に受け止めることができていた。それでも、まだまだだ、そう思って「また来るね」と部屋を後にした。

入院した当初は、あまりにも早いと覚悟したけれど、痛みも管理してくれる状況下で、入院当初より状況がよくなったりしていた。「また来るね」と行って来た手前、約束を守りたいと思って、Mさんと相談しながら、翌週もう一度行くことにした。Oさんが一緒に行きたいと言うので、東京駅で待ち合わせ。そこへYさんも合流して3人で千葉へ。

その日は長男ご家族もいらしていて、初めて息子さん、そしてお孫さんにも会った。優しそうな息子さん、本当に可愛らしい女の子、そして奥さまの言うとおりの素敵なお嫁さんだった。

自分一人だとどうしても明るくなくなってしまうけど、3人で話すとまた空気が違う。Yさんはそういうところがさすがだな、以前からそうだったけど、自分と違って人間ができてるなとあらためて思った。帰りにお父様が「孫の力はすごいですね。あまり動けないのに、こうやって手を上げていました」と両手を上げる様子を話してくだった。確かにその日はすごく元気だったようだった。

翌日遊びに行ったMさんは、前日の疲れもあったのか、急に元気がない感じだったと教えてくれた。やはり孫の力だったんだな、そういうものなんだなと思った。なにより、その可愛いお孫さんがじぃじに本当に懐いているのが印象的だった。竹沢さんがそうだったんだ、って微笑ましく思えた。

...それから1週間後。


Mさんからのメールが届いた。いつかは来るとわかっていたけど...オフィスの窓に向かって、スカイツリーが見えるこの方向だろうとご挨拶をした。

10月31日 午後3時55分。竹沢さんは眠りにつかれた。

夜には奥さまからもメールをいただいた。俄に信じられないふわふわした気持ちだったけど、やはり現実なんだなと思えた。


入院される前後から口にしたものと言えば、水と、アイスクリームやプリンを一口、おかゆの上澄みを一口という感じのみだったとのこと。約3週間以上それだけで過ごされていたことになる。


人は必ず死ぬ。どれだけ権力があろうと、どれだけ金があろうと、これだけは誰も否定することができない、唯一絶対の真実。少し(いやかなりかも知れない)早かったのが残念だけど、僕は(勝手にだけど)彼は幸せな人生を過ごしたのではと思う。少なくとも、最後は幸せな時間だったのではと傍から見ていて思えた。愛する奥さまといつも一緒にいて、最後は家族に守られて眠りにつかれたのではと思うと、誰でもそんな風に迎えることができない現実を思うと、幸せだったのではと勝手ながら思える。

僕は竹沢さんに、仕事人生においてのみならず、最後の数ヶ月は、貴重な、そして素敵な時間を共有させてもらえた。そしていろいろなことに気付かせ、教えてもらった。

昨日、無宗教式でお通夜が行われた。参列者全員が献花し、顔を見て挨拶し、親族の代表として息子さんが挨拶をした。これも竹沢さんらしいさっぱりとした、心の通う式だった。

そして今日、告別式が行われた。僕は失礼したけれど、Mさんが最後まで一緒にいてくれて、昨日みんなで書いた寄せ書きに、みんなで一緒に取った写真を貼って、それから、釣り竿がわりに糸を括り付けた木を、竹沢さんに渡してくれたと聞いて、ありがたく思った。

Mさん、あの日電話をくれなかったら、こうして竹沢さんとの素敵な時間を過ごすことはできませんでした。あらためて、心から感謝申し上げます。Mさん、いろいろと本当にありがとう。

竹沢さん、こころからご冥福をお祈りします。また会える日を楽しみにしていますね!!





ナイター

2011-10-05 17:57:24 | Weblog

平日のドーム。

通好みのシート。位置は上の方だけど、ほぼバックネット裏。それでもなぜか指定席B。同じ位置の前の方はベンチサイドシートで4000円也。指定席Aほとんど3塁ベースより向こう側。Bだとファンクラブで当日2000円。

そんな席だから、濃いメンバーが揃ってる。
ぽつんとひとりで来てるJKがいたり...後から父親らしき人が来た。若く見えるけど、父親だよね?!
何してるのかと思ったら、カップラーメンにポットからお湯を注いでる。
早くから来てるけど、マフラー巻いてじっとしてるヤツ。

今日は開始1時間前に入ったけど、寒いし、売り子はいない。辛うじてUCCコーヒー売ってる。と思ったら、20分前くらいになって、売り子さんがウロウロしだした。

隣は記者席。といってもガラスの向こう側。試合中はみんなYahooの一球速報見てる。やっぱりそんなもん?

僕はメガもりポテトと一番搾りでいい気分。幸せだなぁと思う。

今日は帆足。天王山とか言ってるけど、昨日涌井で負けた時点でもう無理かという感じ...。でももう一度夢を見させてほしい。ここで日本シリーズ。今年はシルバーランクまで行ったから、お願い!!

君が代斉唱...記者も立つんだ。

さぁ試合が始まる。週末に比べると、やっぱさみしいね。

今日は勝てよ!!


小野寺 力 - 5月29日 西武ドーム

2011-05-29 16:00:00 | Weblog
 
9-1と点差が開いているとはいえ、向こう側のブルペンで投げているのが見えるので、もしかしたらと思っていたら、7回裏、場内アナウンスが交代を告げた。

「ピッチャー橋本にかわりまして、小野寺。 ピッチャーは小野寺 背番号29」

3塁側から大歓声が上がった。

ついに来たか...と思うとともに、3球三振とまでいわなくても、これでもかというくらい抑えて西武ドームを後にしてほしいと願った。

耳を澄ますと小野寺の登場曲が...。3塁側はさらに盛り上がる。普段相手チームの交代はLビジョンには映し出されないが、普段の位置と反対側に小野寺、選手が映る位置にヤクルトのロゴと入れ替えて映している。この心憎い演出、3塁側からの声援に涙が出た。だからこそ、小野寺、絶対に抑えてくれ、そう祈った。

7球の練習を終えて、プレーボール。

本人も書いているけど、明らかに力んでいてストライクが入らない。坂田をフォアボールで出すと、続く佐藤にエラーと言ってもいいくらいのライト前ヒットを打たれ、緩慢な送球のうちに1・3塁になってしまった。続く銀二朗は容赦なくセンター前に打ち返してタイムリー。その後は秋山をレフトフライ、片岡をセカンドゴロ、最後は栗山を三振で仕留めてこのイニングを終えた。

間違ってそのまま3塁側に戻ってくればと思ったが、ゆっくりと1塁側のダグアウトに消えていった。その後姿には、悔しさ、寂しさ、そしてこれからの決意とか、いろんなものが入り交じった、そんな思いが感じられるような気がした。

8回は久古がマウンドに上がり、そのまま小野寺が姿を見せることはなかった。

「応援団が『がんばれ、がんばれ、小野寺~!』って1回やってたよ」、と耳ざとく聴いていた子供が帰りに話してくれた。

なんだかすごく胸が熱くなる、素敵な場面の一部になれたことが嬉しかった。

もう一度セ・リーグで活躍してくれたら...セで応援したい選手が一人できた。




Professional

2011-01-01 23:59:59 | Weblog
 
今年は何年かぶりに紅白を見た(2年生の息子にとっては初紅白だったみたいだから、どれくらい見ないか、おわかりいただけるでしょう)。

セットの作り方や歌手の選ばれ方がかなり変わったなという印象を受ける。ちょうどニュースが終わった後半の頭から見たんだけど、なんだか巧いカラオケを聞いているようで、本当に聴かせる歌手がなかなかいないなぁと思う中、植村花菜が出てきたのにはびっくりした。

「えっ、ほんとにこれ歌うの? フルコーラス9分45秒だよ」

思わず家族につぶやいた。

「でもこの曲はカットできないよ。飛ばしたらおかしくなるから」
「どうするんだろうね...?」

と話しているうちに曲が始まった。間奏を飛ばして間を持たずに大急ぎで歌っている。ぎりぎりの選択だったんだろうな。この曲を歌わせる決断をしたNHKにとっても英断だったろうけど、一方で曲を削っても、植村さんはおばあちゃんのためにこの舞台で歌いたかったんだろう...フルコーラス歌うために間奏を切るのはぎりぎりの妥協だったんではと、まったく何も知らないけれど、勝手に想像して、その気持ちに感じ入った。

有線で流れるのを聴いて、Youtubeで何度か聴いた曲。それを生で、間奏を詰めているとはいえ、聴いて涙が出た。テレビのこっち側でもこれだけ伝わってくるのだから、会場の空気は完全に変わってしまっていただろう。その証拠に審査員たちの目が明らかに赤かった。

曲が終わり、次の場面に進行しようとするそんな中...

曲を受けてつなぐ総合司会の阿部さんが、完全に曲一色になっている会場の空気を壊すことなくしっかりと受けとめながら、ほんの一瞬でペースを見事に切り替えた。

実際にはほんの数秒の出来事。本当に優しくそのまま受けとめた後、絶妙な間を持って、そのまま空気を切り替え、審査員のひとりに感想を求めた。

もしも阿部さんがあの空気のまま審査員に振ったら、審査員は泣きながら感想を言わざるを得なくなったろう。もちろん目には涙があったけど、うまく切り替えていたので、振られた審査員も明るく感想を言える空気を作り出して、次につなげていた。

これぞプロの技...。トイレの神様にも泣けたが、この阿部さんの深さに心動かされた。

「この人って、総合司会? NHKの人?」
「何年か連続で総合司会だって見たような気がするよ」

さっそくネットで調べると昨年に引き続きだそうだ。単にアナウンサーとは言いたくない。話すのを聴いていて、声の幅、深みがすごい。

きっとほとんどの人は気にもしないだろうけれど、僕はこの紅白の中での陰のMVPだと思った。とくに松下奈緒と嵐がぶつ切りのつなぎをする中、このプロの技には鳥肌が立つぐらい感動した。

自分もこれくらいの、ファシリテーションができたら...そう思った。


※1 オリジナルは9分50秒とのこと。この曲が選ばれた段階でかなり話題になってたんですね。今検索して知りました。
※2 NHKオンデマンドで210円出してもう一度このシーンを見ました。拍手が鳴り止まないうちにしっかりと受けとめ、間を作って声の調子をがらっと変えて審査員へのインタビューに移ってました。あの空気の中、拍手の途中で言葉を挟めるのがすごい。

陰性!!

2010-11-13 23:59:59 | Weblog

ここ1年風邪らしい風邪もひいてなかっんだけど、月曜日からちょっと熱っぽいかなぁと思いながらも走ってる研修をキャンセルはできないので、「風呂入ってすぐ寝る」を繰り返し、なんとかごまかしてきた。しかし木曜日の夜、今週の研修日程が終わったところで熱を測ってみるとなんと38度5分。金曜日(昨日)の朝になると39度3分!

「そんなに熱が出るのはインフルエンザじゃない?」

確かに妻の言うとおり。しかしインフルエンザじゃ日曜日からの研修はできない...。昨日の朝はなんとか起き出して必要な電話を済ませ、医者へ。調べてもらうと幸いにも陰性。このまま熱が下がらなかったら明日もう一度来てと言われ、1日伏せっていた。昼前に医者に行って夜まで寝てても、一向に熱が下がらない。もともと無理だとは思ってたけど、今走ってるクラスの懇親会(すごくいい場所で楽しみだったんだけど)をギリギリになって断り、飯を食ってまた寝てた。22時、0時、2時...だんだん空が白んでくる。目が覚める度に熱を測るも37度5分と39度の間を行ったり来たり。おいおいこれは無理か?

朝起きて、飯を食って熱を測ってみると36度9分。念のため、もう一度医者に行ってみると、再度陰性の判定。これこそが神様からの誕生日プレゼントかなと思った。

インフルエンザだったら、先の研修をキャンセルせざるを得ないし、それは収入と信頼を失うことを意味する。ここまであまり意識することはなかったが、今年に入って熱を出すことも、寝込むこともなかったことにあらためて感謝したいと思った。

という訳で11月12日(金)、僕の40回目の誕生日は、1日中熱にうなされる素敵な1日になりました。

お祝いのメッセージをくださったみなさま、ありがとうございました。ありがたいメッセージを読ませてもらいながら、なんて自分は幸せなんだろうと感謝しつつ、ぐったりと伏せっておりました。

この場で失礼しますが、あらためまして、ありがとうございました!!

幸せ

2010-08-10 23:59:59 | Weblog
 
1ヶ月以上前だったろうか。家に帰るとどでかい箱が書斎にどーんと置いてある。観葉植物かぁ?? というようなサイズ。開けてみると真っ赤なゴルフバッグだった。

「9800円で売ってたから送っといたよ」とはO。その少し前に、akariで飯食ったときに、「みんなで行ってさぁ、カーンって打って、風呂入って、焼き肉食うっていう楽しいスポーツなわけ。あんたの言い訳は聞き飽きた。ガタガタ言わないで一度やってみようよ」と言われ、金が掛かる、時間が掛かる、練習が面倒とずっと断り続けてきた僕も今回ばかりは断り切れず、渋々一度は行こうかと言った直後だった。

結局7月は流れて、8月に入り、Tさんと3人で行くことに。コースに着いてゴルフバッグを開けてビックリ。「いや輸送の時に傷ついたらいけないと思って...」という僕に、プチプチに包まれたまま、セロファンまで付いてるクラブを見て、「なんだよ、一度くらい練習してるかと思ったけど、ぜんぜんしてないじゃん」

なんていいながらも、ラウンド前の数十分、自分の練習もそっちのけで、まさに褒めるアプローチで的確に指導してくれた。その的確な指導が後で物を言う。

高校のころ、アメリカ帰りの寮友から、あっちなんか1ラウンド5ドルだからさ、今日は5番だけで回るとかやるんだよね。っなんていう話を聴いてたら、こっちはとにかく前に打てばいいんでしょ、ってな軽い気持ち。実際Oも、前に転がせばTといい勝負だというので、その気で臨んだ。

まぁ200は叩かないだろう...、倍以内で終わればOK? ということで144を目標でやってみたけど、ふたを開ければ、前半63、後半68の131。小学生の時に打ちっ放しを体験して以来のゴルフ、まったく練習なしで臨んだと思えば信じられないようなスコアーで終わることができた。

それもこれも、呆れるほどのシロートに気を遣いながら回ってくれたOのおかげ。必要なときに必要なコーチングをするその的確さは素晴らしかった。ティーショットは練習のとおり。慣れてくれば頭の位置をアドバイスしてくれる。アプローチのときには、スタンスを狭くして三角形を意識して、とシンプルなアドバイス。前半も半ばを過ぎてきたら、じゃぁ体重移動してみようか、パターは右手だけで振り子のように、右手は添えるだけ...とできることをどんどん増やしてくれる。
Oくらいゴルフをわかっていれば、言いたいことも山ほどあるだろうけど、そこはこのシロートに理解できることだけを、敢えていろいろ我慢しながら話してくれたことが本当に嬉しかったし、自分もコーチを名乗る職業である以上、言ってくれることを120%実践しよう、コーチャブルであろうと、言われたことをできるように努力した。

「Hさんのゴルフ、すごく好感持てるよ。今できることを最大限やってるよね」

そう言われたのは、何よりも嬉しかった。

思い出してみれば、寮生活してた高校時代からゴルフを見るのは好きだったんだよね。Oが教えてくれることをしっかり実践すること、それにイメージをしっかり持つこと、余計なことを考えないで1,2で打つこと...それだけで回った結果。本当に楽しい1日だった。

ボールもティーも全部用意してくれて、自分で買ったのはグローブだけ。


こうしてクラブを贈ってくれるところから始まり、コースを予約して、車を出して連れていってくれる。事前の案内のメール、車に酔いやすいTさんへの気配り...行く前から本当にホスピタリティーを感じるこの親友に態度に感動してたけど、ラウンド前、コース上で、ほんとに楽しく過ごすことができて、こんな素敵な友達に恵まれて、自分は本当に幸せだなと思った。

今度は100切りたいなぁ...なんて思うのは無謀だろうけど、-18は行けるかな。そういえば近所に打ちっ放しあったよなぁ...って検索したら武蔵野グリーンゴルフってのがあった。気が向いたら2-3本持って行っていみようかな。気の合う親友と回るなら、ゴルフも楽しいなと思う一日だった。

O、ほんとにありがとう。

始まり

2009-12-24 07:59:22 | Weblog
 
朝子供をエレベーターホールまで送って行った。一昨日のlast dayの後の初めての平日。「今日は会社にいくこと」にはなっているが、スーツではない。

ついに「始まり」なんだな、ほんの一瞬の話だが、エレベーターホールから戻る廊下で外を眺めながら、そう感じた。

ワクワクするような、すごく自由な気分だった。

幸せ者

2009-12-22 23:05:57 | Weblog

「Hさん、ひとつ前から訊きたかったことがあるんですけど、いいですか?」

最後の忘年会兼送別会のパーティーの会場に着くや否や、Aさんに話しかけられた。「えー、何でも」と応えると「実はHさんのマネジメント・スタイルとか考え方とかをもっと傍で見て、盗みたいと思ってたんです...」と言われた。

Aさんは、正直部署の中では少しユニークと言われる人。歳も僕よりも上で、失礼ながら、おおよそマネジメントには興味がなさそうな存在。そんな人が、僕の7月の着任早々の対話の進め方や、最後のメールを関心を持って見てくれていたそうだ。

「そういう考えに至るHさんの原点、バックグラウンドって何ですか?」

鋭い質問に一瞬答えに迷ったが、デール・カーネギーとサッカーの審判だとお答えした。デールの『人』と『道』は実は座右の書だとおっしゃっていた。この前も入院しているNさんに「読んだことがない」というので『道』をプレゼントしてきたとおっしゃっていた。

話を終えるとKが飛んできて、今Aさんにつかまってましたけど大丈夫でしたか?と言うう。内容を話すとポカーンとしながら、僕の感動を理解できない様子...そこがお前の足りないところなんだよ~(笑)と思った。

最後のスピーチで「僕にとっては最高のほめ言葉です」とAさんとの会話を紹介した。

人事部長のUさんからも「Hさんは、そこらじゅうでいい噂を聞いていたので残念です」と言われたことに触れ、「だから辞めることになったんでしょう」と話した。

「いい人になるのは簡単です。でもManagerとしては、Performanceを上げるために、時には悪役も買って出なければならない...」

そこが僕の弱さであり、逆に強みであろう。だからこそ、それを活かせる現場で力を発揮していこうと人生の舵を切ることにしたのだ。本当に世話になったYは、たまたま帰ってきていたJと一緒に肩を組んで「We are BAD guys!!」などと盛り上げてくれて、最後の締めにはいいスピーチになった。

「3ヶ月に1度くらいは一緒に食事して、Hさんがどれくらいうまくいってないか聞かせてくださいよ。それで6ヵ月後に戻って来てさ...」 そんな風に言ってもらえるだけでも本当に嬉しい。


僕はこうして好きなことができて、そして職場の人たちに惜しんでもらえて、本当に幸せ者だ。ここまでよくしてもらえると、本当に気持ちが揺らぐけれど、敢えて書き、敢えて送ったメッセージのとおり、自分がやりたいことにフォーカスする。きっと道が開けて、新しい世界が広がっていくことだろう。


Y、そして一緒にお仕事させていただいたみなさま、気持ちよく送り出してくだsたたみなさま、本当にありがとうございました!

ありがとうございました! ...and thank you very much!!

2009-12-22 18:49:00 | Weblog

「人は確実に自信を持てるようになる」

そう言われたら、みなさんどのように思われるでしょうか。また、そんな
方法があると聞いたら、どんな風に思われるでしょうか。

私はそれを知り、それをお手伝いする立場にいられたらなんて幸せだろう
と思い、それを少しずつやっていくうちにそれが楽しくなってしまい、今回、
思い切って、そちらに舵を切る決断を致しました。

今までご一緒させていただいたみなさま、

2年半弱という短い期間でしたが、本当にいろいろとお世話になりまして
ありがとうございました。2007年8月からの2年半、いろいろな機会を
いただき、多くの方々とご一緒させていただくことを通して、本当に多くの
ことを学ばせていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

退職は何度も経験しましたが、今回ほど清々しい気持ちで最終日を迎えた
ことはありませんでした。それは、自分よりもよっぽどしっかりしたNさんが
後任についてくださり、そのもとにはHKさん、SKさんというまわりの
見えるマネージャーがいて...そしてチームのみなさんおひとりお一人が
Change Mindを持って一丸となって取り組む土壌がここにあるからです。

本当に一緒にお仕事をさせていただいて高められる方々、素敵な仲間たち
にお別れするのは寂しい限りですが、自分のやりたいことにフォーカスして
結果を出して行こうと思います。

今まで本当にありがとうございました。
そして、これからもどちらかでご一緒できる機会がありましたら、よろしく
お願い致します。

2009年12月22日

Yh
yh@

------------------------------------------------------------------------------------

"Everyone can be/become proud of him/herself"

What do you think if you hear this sort of message; or how do
feel if you hear there's such a way to do it.

When I came to know this, I thought I would like to be in a
position to support people in this way. And when I started
slowly, it became great part of me and now, I decided to
move on.

My dear colleagues, for those whom I worked with,

Thank you very much. It was great pleasure for me to work with you
all. Since August 2007, through many opportunities and through
working with many colleagues, I really learnt a lot, and I greatly
appreciate it.

I experienced resignations several times, though, this time I feel
very relaxed and calm; as N-san, who is a lot more capable than
myself, is taking over my position, and HK-san and SK-san,
who has good perspective to their teams are working for him, and
above all, all the members in Operations now have 'Change' mindset
and buckled into one team.

It is sad to say good-bye to all of you, though, I will focus on what
I really would like to do and try my best to obtain the result.

Once again, thank you very much.

And, I would be grateful if there's any chance in future to see you
or work together.

Sincerely yours,

22.Dec.2009

Yusuke Horiguchi
yh@