Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

採点基準

2006-02-27 23:39:02 | Speech
フィギアスケート、終わってみて思うのは、メダルを狙って演技をするってどんな気持ちなんだろうということ。技術点と芸術点で評価・採点されるといえば聞こえはいいが、絶対的な距離や時間を競う競技と違って、基準が明らかに主観的であり曖昧だからだ。

当然それは、観衆がこの人の演技に一番感動したと思っても、場合によってはそれがそのまま順位に反映されるとは限らないことを意味する。そうなると、どういうモチベーションでその「競技」に向き合っているのか...。

僕は数年前にスピーチの全国大会に出場した。結果は選外だった。確かにあとでビデオを見ると、至らぬ点が多くあり、その結果も仕方がないと思ったが、当日それを聴いてくれていた身の回りの人のみならず、見ず知らずの人たちも、「よかった」「感動した」と声を掛けてくれたりしたので、しばらくの間は自分でその結果を受け入れ難かった。

順位をとれなかった原因のひとつに、僕のスピーチが序論・本論・結論という形になっておらず、構成点を取れなかったことがある。それは自分でも事前にわかっていたが、究極的には「何のために表現するのか」「誰のために話をするのか」という点を考えて、敢えて自分流に自分を表現した。だからこそ、「よかった」「感動した」と言ってくれる人たちがいたのだと思うし、無理に採点基準に合うように型にはめていけば、その良さが欠けてしまっていたと思う。

そう考えると、順位はあくまで結果論でしかないことになる。僕はそれ以来、悔しさから逃げる気持ちも半分、大会に出ることへのモチベーションが極端に低くなってしまった。いつか荒川選手がインタビューに答えて、いかに芸術的な演技をしても現在の採点基準では必ずしも勝てるわけではない、というようなことを話していたの見て、そんな自分の体験と重なったのを思い出す。

何をいまさらという感じだが、実は今日初めて荒川選手の滑りとともに他の選手の滑りの映像を見た。今回は会場の観衆の受け止め方と、採点の結果が一致していたようなのでリーズナブルだったんだと感じた。もちろん、研ぎ澄まされた採点基準を、ブレの少ない最高水準の審判員たちが採点するのだから、その辺のスピーチ大会とは比べるのも失礼な話だが、これがもしもそこにギャップがあったら、人生のすべて以上を賭けている彼女達にとって、悔やんでも悔やみきれないことになるだろう。

...こんなことを妻に話してみると「だからプロになる人がいるんじゃない」とさらりとかわされた。表現、芸術性だけを追求してプロスケーターとして、ステージに立つのだという。「でもね、やっぱり『元金メダリスト』なんかだと、1ステージ100万円とかを稼げるそうよ」とのこと。狭いスピーチの世界でも「全国大会で優勝したことがある」といえばそれなりの箔が付く。それは端的にわかりやすい単純な基準なのだ。世の中そんなもんなのかもしれない。

松山千春は「歌に順位などない」とベストテン出演を拒み続けていた。誰のため、何のためのスピーチなのか? それは形や形式ではなく、結局いかに効果的に、聴衆に自分の考えを伝えるのかということに尽きる。その意味で、僕がみたインタビューのとき、半ば「理不尽だ」と言わんばかりだった荒川選手がこうして1位になったことは、「無欲で勝った」という部分と、したたかに自分の信念と採点基準に折り合いをつけた結果だったことを知り、勝つものはやっぱり強いんだと感じた。

一方道端のスピーカーの僕は、形やルールにとらわれず、常に誰のために、何のために話すのか、そんなことを忘れることなくスピーチと向き合っていきたいと思った。そしてまた、もしも気が向いたら、大会という「大人のゲーム」にエントリーしてみようと思う。

久々の例会

2006-02-25 23:29:39 | Weblog
今日は久しぶりにトーストマスターズクラブの例会に参加してきた。前回やまのての例会に出たのが去年だったか一昨年だったかというところだし、いずれにしてもここ2、3年はまともに活動はしていないので本当に久しぶりだ。

このクラブは月に一度、CTM以上の上級者だけで集まろうという趣旨のクラブというか勉強会というようなもので、土曜日の開催だし、レベルも高いので行ってみようかなという感覚で、今日その初回に参加させてもらった。もともと論評の役割が当たっていたのだが、スピーチに棄権があって先週末に急遽指名を受けてしまい、以前他のクラブでやった、コーヒーの淹れ方を実際にコーヒーを淹れながら話すという実演スピーチに少し改善を加えてやってみた。今回は実演販売さながらに、聴衆に前に出てきてもらい、間近で豆が膨らむ様子などを見てもらうようにしたので、聴衆の反応がよかった。えっコーヒーって本来こんな明るい色なの? ポットに入れておけば味は変わらないの? っと興味を持って食いついてもらえるのは、話す者としてはやはり嬉しかった。また、単にほめるだけでなく、的確な改善点を含んだ論評をしてもらえて、さすがは上級者の集まりという感じがした。

さて、今日は本当に久しぶりに例会に出たわけだが、久しぶりに出てみると、しばらく遠ざかっていたからこそ見えてくるものが見えた気がした。

まず何より「やっぱり特殊な空間だよね」ということ。やはり日常の空間とはかなり違う空気がそこにあり、またそれはそういうものだという了解が共有されている。僕は今まで何人もの人をトーストマスターズクラブを紹介しようと各クラブの例会に連れていったりしたが、彼らが持った印象が今よくわかったような気がして、「これでは入会率が低いのも仕方ないな」と感じた。

それぞれ参加している目的も姿勢も違うし、何がいいとか悪いとかということはないが、一方でそのかなり幅の広い層を受け入れてしまうこのトーストマスターズ独特の間口の広さが、会の流れを曖昧にし、取っ掛かりを難しくしてしまっているのではないかと思った。

例えば僕は、即日常で使えるものを学び、練習する場だと捉えているので、あの場でのスピーチや論評、司会のひとつひとつ、どこを切り取って日常に置き換えてもおかしくない、そういうものを求めている。しばらくこの活動から遠ざかっていてそういう目で見ると、そこに非日常性を感じずにはいられなかった。そこにはトーストマスターズでしか理解されない常識が厳然と存在し、日常性よりも優先されていると感じる部分がいくつもあった。

一方、それで何が悪いという意見もあるだろう。別に日常に適用することを第一の目的とせず、その活動自体を楽しもうという人はそう思って然るべきだ。トーストマスターズクラブの中で定められたルールに従って、スピーチを、論評を楽しむ。この高度に知的な作業をある秩序の中で楽しもうというのもひとつの立派なモチベーションである。

僕がこのクラブから学んだもの、この活動を通して学んだものは本当に計り知れない。パブリックスピーキング(スピーチ)を通してリーダーシップを学ぼうというその理念は、多くのビジネスパーソンにとって共通に求められるスキルを身につけるための土台となりうる。だから、このクラブはいつか日本でも爆発的にヒットするだろうとずっと思っていたが、それがなぜ未だに達成されないか、今日そのヒントが見えたような気がする。

ビジネスマンという潜在的な大市場を攻略するには、もっと現実的な日常性が必要なのではないか。それはすなわち例会のどの部分を切り取っても、それぞれの日常に違和感なく適用できると思えるくらいの日常性を意味する。

そのためには「何のためにスピーチを上達しようとするのか」という参加する目的をはっきり絞り込み、その方向感をメンバー全員が共有する雰囲気、場を作ることが必要だ。そういう基本を整えた上で、しかるべきマーケティングを徹底的に行えば、きっと違った結果が見えてくるだろう。

トーストマスターズクラブはまだその手前のところで揺れている。そもそもこんな現実的なことを目差すのはむしろ邪道であり、本来知的なゲームを楽しむ場であるのかも知れない。しかし、マスを相手に打って出るということを考えるのならば、すなわち、日本でももっともっと会員数を増やして大きな組織にしようと思うのなら、やっぱりこのビジネスマン市場を取り込まずして成長するのは難しいだろう。

このトーストマスターズというものはいったい何を目指しているのだろう。

久しぶりに例会に出て、図らずもこのトーストマスターズクラブが日本において直面する現実を目の当たりにしてしまった。僕の中でもこれからの関わり方にもきっと大きく影響すると思う。何事も、知らずに手探りで行うことと、わかっていて取る行動には大きな違いがある。今日は面白い経験ができた。

麻薬のキレ

2006-02-23 23:49:30 | Weblog
もう10年近く前のことになるけど、ドラッグストアで風邪薬を物色していたとき、近づいてきた薬剤師のおやじに、みんな似たような薬なのにどうしてこんなに値段が違うのか、と訊いてみたことがる。すると、

「いい薬は麻薬のキレがいいんですよ。値段の違いはそこです」

とかえってきた。要は、痛みを抑えるなどの薬の効き目というは麻薬が効いているからってことらしい。しかし「麻薬のキレ」だってさ。なんか危ないよなぁ...なんて思いながらもキレがいいといわれたエスタックイブを購入。確かに飲んでしばらくすると頭のどこかが気持ちいい感じがする。

昨日あたりから風邪をひいてしまって、鼻がつまるし、のどが痛い。ここ数年、うがい手洗い励行するようになって、ほとんど風邪をひかなくなっていたので、ここまで風邪らしくなってしまったのは久しぶり。ということで昨夜は件のエスタックイブを飲んで寝たのだが、やっぱり気持ちイイ。キレがいいからに違いない!!

せっかく合法的にイイ気持ちになれるのに(笑)、今朝は薬を持って出るのを忘れてしまった。仕方なく、日中会社にある置き薬の風邪薬を飲んでみのだが、効いているのはわかるんだけど、そんなに気持ちイイ感じはない。やっぱり安い薬はキレがイマイチなのか。

麻薬のキレ...風邪薬を見ると思い出しては笑ってしまう。


痛ましい事件

2006-02-21 23:24:29 | Weblog
Yahooのポータルでヘッドラインを見た。小さい子のからむ痛ましい事件はなるべくなら目にしたくない。でも思い切ってクリックした。読んだ瞬間、起こるべくして起きてしまったのではと思えて胸が痛んだ。

ここから先はすべて想像の話であり、個人的な感覚にもとづく意見である点をわかってくださった上で、それでもあえてという方だけ読んでほしい。

この女性、「中国人女性」と言われるが、本国では日本語を勉強し子供に教えたりしていたそうで、村では文字通り優秀な女性だったようだ。それでも、中国の田舎から見合いのような形でやってきて、日本では苦労も多かっただろう。本国では優秀な人間として扱われていたのが、日本でただ「普通」の扱いを受けるだけでも差別されたような気持ちになったことだろう。まして異文化を受け入れることが下手な日本ではなおさらのことだろう。

以前にも書いたが、日本はLow Context Cultureだ。におわすことをしても決して物事をダイレクトには伝えない。実際、ごみ出しなどのルール違反やその他問題があったようだが、本人にわかるように誰かが根気よく伝えたのだろうか。対峙することを避け、みんなと違うことをする者をただうとましく思ったのでは、結果、するとはなく仲間はずれにするような感じになり、当然本人も「受け入れらていない」という気持ちになり、勢い疑心暗鬼になる。

そんなLow Contextな文化であっても、昔は村長なり長老なりがいて、その人柄と公正な判断基準を持ってそういう異分子をも説得し、和を創造し守っていたのだろう。しかし今の日本の集団の中にそういう役割を演じる人の存在を期待するのは難しいことと思えてならない。

この女性は、こうなる前、個別に登園したいと言っていて実際そうしていた。確かに最後は本人が集団登園に参加すると申し出たようだが、それは周囲のプレッシャーを感じてのことだろう。そこにストレスがあるなら、なぜ対応してあげなかったのか。基本的にまわりと違うことを許容できない。別に個別に登園することが、ちょっとひとと違うことをするのがどれくらい問題なのだろうか。ここで優先されるのは、個人の感情や気持ち、あるいは迷惑かどうかなどの基準ではなく、あくまで周りと違うかどうかということになる。

そんなことが重なり、繰り返されるうちに、ひとり異国の地にいて疎外感や孤独を感じて不安定になる。唯一のよりどころは自分の分身である最愛の子供となり、すべてがそこに集中し、ちょっとしたことでもいじめられているのではないか、そんな過敏な反応になる。

中国はもとより、High ContextなCultureだ。何があってもVerbalなコミュニケーションを諦めない。わかるまで、うるさいほど話し、教える。ここではLow Contextから来たものにも、コミュニケーションを強要し、やがて取り込む力がある。しかし、逆は難しい。Low Contextに入り込むHigh Contextな自己主張を止める術はない。ただ出る杭として不明瞭な理由で打たれるだけとなる。

この女性が苦しむそんな状況を、彼女の反発という反応を、周囲は察知できなかっただろうか。やはり遠い異国の地からやってきたひとりのその村では優秀だったという外国人女性を受け入れるのは難しかったか。不安定になるのを、ただ放っておくことしかできなかったのだろうか。気になるのは夫の存在である。どんな対応をしていたんだろう。

テレビの報道を見るにつけ本当に残念に思う。遺族からの自粛要請を受け、節度のある取材を申し合わせているはずなのに...

どうして事件の上っ面だけクローズアップして、不安や犯罪性だけを駆り立てるような報道しかできないのか
どうしてもっと分析的なアプローチがないのか、どうしたら起こらずに済んだのか、どうしたら同じ事件が起こらないようにできるのか...

を考えようとしないのか。

この痛ましい事件は、異文化対応が下手な日本がこれから対処していかなければならない問題を提起している。言い続けなければわからない相手がいるのに、それが苦手な日本文化。まわりとの違いに気を取られるあまり、集団登園にも着いて来てしまうこの女性の裏側にあった本当の理由を誰もフォローしきれなかった。

僕が言いたいのは、だから良いとか悪いとかではない。そもそも文化に優劣なんかはない。ただそれぞれ得手不得手がある。そこに問題意識が持てるかどうか、それを喚起できるかどうかが問題なのだ。

こんな風に週刊誌のネタのように扱われるのでは、失われた尊い2つの命、そしてこれからの一生を棒に振ったこの女性の心の叫びが報われない。こうしてマスコミがあおるだけでは、残念だが第二第三の事件がおきかねない。報道が報道の使命を果たしているとは残念ながら言い難い。


スピーチ依頼

2006-02-20 23:37:03 | Speech
まったく違った用事でほんとうに久しぶりに連絡をとろうした相手から、逆にスピーチを頼まれてしまった。「あっ申し訳ないなぁ、わざわざ折り返してもらっちゃって...」なんて思いながら電話を取ると、こちらの用件よりも何よりも「実は...」と切り出された。こちらからの電話がちょうどいいタイミングだったらしい。

披露宴のスピーチ。この歳でおかしな話だが今まで主賓のスピーチしかしたことがない。今までは頭にさっさと片付けて後は思い切り飲んじゃえばいいというパターンだったけど、今回は友人代表ということで宴の真ん中でやることになる。飲んで食っての後は初めてなのでどうなることやら。

いずれにしても今回は依頼の内容がはっきりしているし、その電話で会場の雰囲気や列席者のプロフィール、年齢構成などをだいたい教えてもらえて、それなりにイメージできたので僕でいいのかなと思いつつも引き受けることにした。

所詮5分のスピーチで伝えられることは限られている。思い切って話題を選んで話すしかないことを身体で知っている僕としてはそれほど悩むこともない(余地もない)。そう思ってさっそく、だいたい話すべきこと、話せること...出会ったきっかけ、エピソード、挨拶などなどをマインドマネージャーに書き出したら、だいたい内容は出来上がってしまった。

これをベースにこれから、順番を変えてみたり、入れたい表現を足したり引いたり、話を組み立てていくことになる。僕は基本的にこういう作業が好きみたいだ。依頼されて緊張するというよりも楽しみ。もちろん多少緊張もする。でもこのドキドキが言葉を前に押し出す原動力になる。

こうした機会をくれたことに感謝し、僕を選んでくれたことに応えられるように心をこめていいスピーチをしよう。

アウの人

2006-02-18 12:44:17 | Weblog
「よくここにいるのがわかったね~」

母の携帯に電話すると、絵に書いたような典型的な反応。別に岡崎(愛知県)にいることを知ってたわけじゃなくて、あなたがどこにいようと電波が届くところなら電話が通じるんだって!!

当然そんな調子だから、送った携帯メールも開けられない。"とりせつ"を読んでも要領を得ないようなのでどうしようもない。「ところでメールは見れるようになった?」っと訊いてみると、

「あっメールはね、アウの人に聞いて見れるようになったよ。すごく簡単だった」

アウって何??? エーユーでしょ!!! 確かにドイツ語読みだとアウだけだどさ。せっかく教えてくれたauの人もずっこけるよね...。「じゃぁ添付の写真は見れた?」とさらに訊いてみると、

「ん~、写真は見れない。どうやるの?」

いやカーソルをフォーカスして真ん中のボタンを押せばいいんだけど、こんな人に電話口で説明なんてできっこない。

「アウが家の近くにあるからまた訊いてみるわよ」

auの方、申し訳ありません...。

先日ガリンコ号に乗ったという母は、「これで写真を撮ってあんたに送ることもできるんでしょ?」と言う。
「そうだよ、氷や船の写真を送ってくれたらTもよろこぶよ」と孫をだしにしてみるけど、そんなことができるのはいつのことだろうか。

「あとさぁ、アウじゃなくてau(エーユー)だからね」

今度実家に帰ることがあったら、美瑛のアウに菓子折りを持っていった方がいいかもしれない。


私服?

2006-02-17 23:34:06 | Weblog
先月、会社で土日に大規模な模様替えをしたときに、金曜日から準備に追われるからと、ほとんど初めてだったがカジュアルで仕事をした。やっぱりスーツよりも格段に楽。

ということで、スーツ一式を会社に置いておき、金曜日はDressdown Dayとすることにした。そんな帰りにライブに行くと、「今日はシブクないですか?」と言われる。何か変だ。別に特別な格好じゃないんだけど...いや「私服なんですか」ってことだった。

「私服」って言われても...、僕別に衣装さんがいるわけじゃないから、全部私服だって。(笑)

生まれてこの方、学校でも仕事でも制服のあるところに身を置いたことがないから、なんか私服って表現がしっくりこない。でも制服がある世界の人にとっては、仕事着⇔私服なんだろう。

自分は自分なので意識もしていないけど、まわりから見るとえらい違うらしい。昼休みに会社の人と外ですれ違って向こうはなんか驚いた様子。なんかしたかなって思ったら、「カジュアルフライデーなんですね」とか言われる。土日に出てくるときはこんな格好だよ、って言いたくなったりする。

まぁそんなのはどうでもいいけど、今日のライブはよかった。PAがひどくてやってる側は捨てたくなるだろうに、そこを切れずに、図太く、みごとに演奏しきったと思う。

なにがきっかけなのか訊いてみたけど、なんか吹っ切れたみたいだ。ちょっと前と全然違う。完全に次の次元に行ってしまった感じ。これは絶対チャンスが来るって気がした。


言ってみるもんだ

2006-02-10 17:18:14 | Weblog
本店の管理部門宛に送らないといけない書類があったので、クーリエで送るくらいならと今回持参したのいいのだが、実は社内便で送る機会を逸して、帰りの空港まで持ってきてしまった。仕方がないので郵送しようかと思ったが、いいことを思いついた。

実は空港のいたるところに支店があるではないか! ダメでもともと訊いてみた。

「オレさぁ、東京支店で働いてるんだけど、この書類出し忘れちゃったんだよね。本店のこの部門に社内便で送ってもらないかな?」

っと一応社員証らしきものを見せながら言うと、

「ここに出せばいいのね、OK、いいわよ」

と案外すんなり引き受けてくれた。基本的に顔はこわいけど、話しかけると笑顔で答えてくれるんだね、この国の人は。とりあえず、切手を買って郵送という情けない事態は避けられ、気分よく出発できた。

しかし、ぐちゃぐちゃな本店機能をかいくぐってちゃんと届くかは心配。一応名刺を一枚入れて、受け取ったらメールくれたしと書いておいたがどうだろう。


こんなことしてていいのか...

2006-02-09 20:15:00 | Weblog
そもそも自分は社会に対してどんな付加価値をつけているんだろう。信用創造、決済機能の提供、お題目はあろうけど、やってることといえば、某当局対策と称して過剰な内部管理の強化、すなわち無意味な対応に時間を費やし、それを満足にやるための体制をつくろうすれば、無駄だといって承認されない。確かに無駄だよ。他の業界にはそんなことないんだから。やったところでお客様のためになってるわけじゃないし...。

本店に来てみても、話してることは大したことないし、人だって適当だし、決して切れるやつばかりじゃない。こんなことのために金と時間をかけて何になるんだろう...。

この仕事のいいところは、給料がいいということ。金もなければならないが、金のために働いているわけではない。もっとまともな仕事をしたいと思うが、守るものがあるとなかなかそれも難しい。それじゃぁ、金のためにもう少しここで働くか...。そんなことしてるうちにいい年になって何もできなくなっちまう。そもそも自分はどんなことがしたいのか...。デイトレーダーというのはあるが、それこそどんな付加価値をつけられるのかますます疑問だ。

いずれにしても、こんなモチベーションじゃまともな仕事はできない。

図らずも本店に来てみて、こんなことを感じた。

Out of Asia

2006-02-07 22:46:01 | Weblog
空港に降り立ち、乗り継ぎ便の手続をするカウンターの中に居る10人近いスタッフがいる壮観な眺めを見てそう思った。あたりまえだけどみんな白人。アジアでは見ない人種。外国に来たなっ感じ。

よく考えると、外国には行ってたけど、グアムに行ったのを除けば、最近はアジアから出たことはなかった。8年ぶりにヨーロッパにやってきて、なんだかすごい違和感を感じる。

朝飯も、基本的にパンとハムとチーズ。ホテルにいるからもうすこしいろいろあるけど、アジアのホテルのバラエティーとは明かに違う。ホテルのグレードも高くはない。

タクシーに乗ると車にカーナビが内蔵されていた。ダッシュボードのスピードメーターの中に表示がでる。全ての通りに名前がついてるから、シンプルに作れるんだね。

そういえば、行きの飛行機には武田が乗ってた。サッカーの。ラップトップでサッカー見てるからよっぽど好きなんだなって思って顔をよく見たら、プロだった。入国審査でたまたま隣に並んだので聴こえたけど、「No, no, vacation」って言ってたけどホントだか...。