Schreib mal wieder!

自分の感じるままに...それがクレームと言われても

昔取った ナントカ...

2009-04-13 21:49:19 | Ref.
 
「プレーオン!!」

足をコツコツ蹴られながらも倒れずにがんばってゴールに向かっている選手を見て、思わず大きな声を出してしまった。

子供が行きたいというので、昨日一昨日と2日続けて戸田グランドに野球を見に行った。昨日は遠くの駐車場しか空いおらず、球場までの道すがらのサッカーグランドのプレーに見入っていた。

さすがは本気でやってただけのことはあるな、と自分でも可笑しく思うけど、もう離れて10年近く経つというのに、主審のポジション、走る先、副審の立ち位置...そんなんじゃ見えないじゃん、次はここでしょ?、そこに居てよく旗上げるな、選手から文句言われるよ...てな具合にパッパッパッと見えてしまい、この人走ってないから選手がやってるんだろうなぁ、この人負け残りかなんかで副審やらされてんのかな、ってわかってしまう。

あまりに走らない適当なレフリーぶりに、帰り道に子供を抱えて歩きながら見ているときに、

「プレーオン!!」

と大きな声を出してしまい恥ずかしい思いをしたが、やっぱり好きだったんだな、これが楽しかったんだなとあらためて思った。

選手出身のやる気のない審判にはまだまだ勝てるかな、またやってみたいなぁ...そう感じる反面、いやもう90分は走れないかな...そんなことを思いながら、公園を後にした。

まだ2歳にならない子供は、僕が笛を吹く真似をしたり、プレーオンと言ったのを面白がってしばらく真似していた。

資格更新講習会

2007-08-26 21:04:13 | Ref.
 
「おとうさん、明日は審判の勉強に出掛けるから、帰ってきたら沼影プールに行こう」と言うと、

「どうして審判しないのに必要なの?」というまさに的を射た質問を返され、

「まったくもってそのとおり」と妻と車の中で大笑い。

確かにここのところまったくしていないし、これからする当てもない。でも僕は、もし万々が一子供がサッカーをしたいといったとき、誰かの親が帯同としてアサインされることになる。そのとき、右も左もわからない奴と一緒に4級から始めるなんてとてもプライドが許さない。

箱根ヶ崎で試合があると言われれば八高線に乗り、検見川に行けと言われれば旅行から帰った翌日でも行き、ドイツの生意気なガキどもに泣かされたこともあれば、大学生にガンをつけらたり、インストラクターに辛らつなこと言われたり...週末のほとんどを犠牲にして、(今思えば笑えるけれど)1度だけでもいいからJ-Leagueで旗を振りたいと思って僕は努力した。そう、結局3級で終わってしまったが、なかなか機会のない2級昇級試験も受けた。妻をして珍しく「確かにあのころはよくやってたわね~」と言わしめるほど頑張っていた。

だからこそ、だからこそどうしてもこの資格を手放したくない...のか?

僕は実はここから本当に多くのこと学んだ。それは今回の8日間のトレーニングの中でも、これこそ自分のアイデンティティーであると言っても過言でないほどだと気付かされることが多くあった。

 知らない人(副審)とチームを組んで、うまくコントロールできるようにすること
 選手たちに受け入れられる形で、試合をコントロールすること
 常に正しい判断をすること
 常に人が見ていないところに目をやり、気を配ること...

若かった僕はこの点に本当に苦労して考えた。残念ながら体力はついていかなかったが、頭では相当いろいろと考えていたんだと思う。いろんな人の話を聴き、いろんなことに応用しながら、自分の体力のなさに泣きながら毎週の試合に一喜一憂しながら、

そもそも「何のためにこれをするのか」という根源的なことから、ひいてはこれが「スキル(ノウハウ)と知識の積み上げであるということ」、勉強して、練習して、身に付けていくということを、審判の世界を通して身に付けることができた。

休憩時間に、あっこの人もしかしたら組んだことあるひとだな、あのころやってたなぁと思ったり...でももう10年以上も前の話だから、話すこともない。向こうも気付かないだろう。でも、そんな思い出の中から、今の自分が、当時の自分から限りなく飛躍して、違う舞台ではあるけれど、確実に次のステップに進んでいるということが実感できた。

だからこそ、だからこそどうしてもこの資格を手放したくない...のか?

いや違う。実際に継続研修の会場にやってきてそう思った。これは今の僕を形づくるひとつのアイデンティティーそのものだから、僕はこの資格だけは手放したくないのだ。

週末を犠牲にして投資した時間、ある部分これを通して失った関係、26才で2級になり損ねた挫折...すべてが神さまからもらった貴重なプレゼントだった。ふとそんなことを考えた。

時々近所で草試合を見ると、今こうして視野が広くなり、より高いコミュニケーションの技術を身に付けた自分が今、またフィールドに立ったら、きっといい笛を吹けるだろうなぁ...なんて思ったりする。あるいは、試合勘がなくコテンパンにやられてしまうのかもしれない...。いつかまた一度やってみたいなぁ。


斜(はす)に見る

2007-01-16 23:00:58 | Ref.
 
家に帰ると、子供が近所の文庫で借りてきた『ウォーリーを探せ』が転がっていた。当然子供は自分では見つけられないから「お母さん、探して!」攻撃に辟易したと妻は言っていたが、面白半分に眺めていると結構簡単に見つかるではないか。

その物を見るのではなくて、その手前のところを少し大きく捉える...審判をするときに身につけた視点に近い。じっとプレーを見てしまってはいけないので、視野を大きく持って、常に何か起きないかという頭でじっと見ている。言ったら半目で見るような感覚。

子供はとっくに寝ているけれど、寝る前に何ページか探して、「俺って天才?!」っとしばし(安~い)幸せに浸ったのでした。


3枚目のイエローカード

2006-06-24 23:20:45 | Ref.
「結果的にそれがあなたの勘違いでも見間違いでも、まったく構わないから、もしも僕が2枚目のイエローカードを出してもなお、試合を再開しようとしてたらピッチに入ってきてもいいから絶対に止めてください」

駒沢陸上競技場。Jサテライトか何かのゲームで第4審判を担当した僕に、主審だったJ担当の福田さん(だったと思う)に試合前の打ち合わせの中でこんなことを大真面目に言われのは、今でもかなり強く印象に残っている。

サッカーでは「主審の決定が最終である」とルールに書いてある。また「主審は試合を再開するまえであれば、いつでもその決定を変更することができる」とあるが、裏返せば「再開してしまったらもう変えられない」ということだ。だからこそ、J担当というトップクラスの審判でも3級の私に大真面目にこんなことを依頼するのである。

もしも間違った決定があっても、それはFIFAであろうともその決定を変更することはできない。FIFAにできることは審判を処分し、再試合を設定することくらいだ。

主審との打ち合わせ次第だが、試合中は基本的に4人の審判全員で、得点、カードなどの出来事を微妙にタイミングをずらしながらだがブッキングする(タイミングをずらすのは全員が同時に記録するとその間に何かあったときに誰も見てない状態になってしまうから)。

ブラッター会長が「理解できないことが起きた。4人で審判団を構成し、試合中もそれぞれが無線で連絡を取り合えるようになっている。全員が記憶喪失になって主審のミスを誰も気が付かなかったようだ。誰かがピッチに入り試合を止めるよう進言すべきだった」と怒りをあらわにしたというのは至極真っ当な話だ。

ワールドカップという最上の舞台(FIFAの位置づけ上はオリンピックより上)でこんなことが起きるなんていったいどうなっちゃったのという感じ。「オーストラリアかクロアチアから再試合を要求されたら、拒否できなかった」というレベルの話。せめてもの救いは、後半ロスタイムに入ってからの出来事だったということだろうか。

今大会は審判の判定に対する評価が高かっただけに、ちょっと残念だ。

審判

2005-05-06 23:05:48 | Ref.
ファームのゲームはどうやら3人で担当するらしい。サッカーでは考えられないことだけど、確かに3人しかグランドにいない。

見ているとそれぞれの場面場面でアイコンタクトしながらフォーメーションを変えている。球審ひとりに塁審ふたりだから、満塁になったらどうするんだろうと思いながら見ていた。

僕はサッカーの審判に携わるようになってかなりになる。ここ2年くらいはまったく笛も旗も振ってはいないが、もう10年以上になるので審判気質が染みついていて、何を見るにも黒い服を来た'プレーヤー'に目が行ってしまう。

普通の人は意外に思うかも知れないが、彼らは実によく走っていた。あらゆる場面と可能性を想定し見るべきポジションに入る。それを普通より少ない3人で担当するんだからなおさらだ。

ファームのゲームといえども100人超の観客がいる。その中で彼らの'活躍'に目をやる人は何人いるんだろうか。

"Nice Ref!!"

僕はそう声を掛けたかったけれど、野球の流儀を知らない。心の中で「おつかれさま!」と言って子供とともにグランドを後にした。