赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

Ⅰ.利権化した地震予知

2023-11-08 08:00:00 | 政治見解



Ⅰ.利権化した地震予知 :231108情報


——「学者はみんな嘘つきと言ってもいいでしょう」――こう語るのは、筑波大学准教授の掛谷英紀氏。「学者のウソ」「学者の暴走」などでその実態を暴いています。

「科学の世界では論文不正や研究不正は、全世界で日常茶飯事に起きています。非常に不正が横行しやすい場なのです。一体なぜかと言うと、大学や学会、あるいはそれぞれの学問分野そのものが、ある種の利益団体となっており、且つ外部の監視が働きにくいからです。」

「専門性の壁があって、一般の人々にはわかりにくい上に、組織で庇い合うということもあります。こうした構造になっているので、学術会では個人の不正だけでなく、組織ぐるみの不正も行なわれやすいのです」

今回は、地球物理学者でエッセイストの島村英紀の『利権化した「地震予知」 国策がむしろ地震・波被害を広げる』を取り上げます。



利権化した「地震予知」 国策がむしろ地震・津波被害を広げる


地震大国・日本。いざ巨大地震が起きたら、被害はなるべく抑えたいとは誰もが 願っていることだろう。ところがその願いにつけ込むかのような研究が国策として行われている。議論と反省なきまま、日本の地震研究はどこへ向かっているの だろうか。

モノ言わぬ御用学者の集まり

日本の地震予知研究が始まってか ら半世紀を超えたが、地震予知に一度も成功していない記録は日々更新されている。

1978年に「地震予 知が可能だ」という前提で作られた「大規模地震対策特別措置法」(大震法)は、地震の予知が実際には現実的でないということから、数年前に「見直し」の声が高まったが、結局、 政府はいまだに変更も取り下げもし ていない。

地震学会という組織がある。任意 団体で3000 人近い会員がいる。会員の多くは、地震研究者やそのタマゴ、それに気象庁など地震関係の お役人である。さすが地震国・日本、地震学者の数は多いのだ。

日本で地震学を支えている研究費 のほとんどは国費だ。職員も大学を含め、地震予知計画で雇われた者が多い。あとは、電力会社や損保会社 からの研究費と研究者がわずかにいるにすぎない。このため地震学者はそもそも「御用学者」になる宿命に ある。

誠実な科学者はごく少数で、彼らは研究費面でも人事面でも冷遇されている。従って学会も御用学者の集まり だ。政府の方針や政策に対して、モノ言うことはこれまで一度もなかった。地震予知研究の命運を左右する大震法が成立するときも、疑問を呈することも提言することも、何もしなかった。学者としての社会的責任はどこへいったのだろう。

一時はバラ色に見えた地震予知研究が世界的に暗転していったときに、地震予知研究について、学会と して議論したことも意見を表明したことも一度もない。つまり地震学会 は、学者の仲良しクラブにすぎないのだ。

ところで、地震をめぐる政・官・学のあきれる歴史を述べた、私の 『公認「地震予知」を疑う』(柏書房、 2004年)は、予想通り、見事に 黙殺された。それ以前に出した本は いろいろ紹介してもらっていた。 地震学会もまた、貝のように口を 閉じたままだった。しかし、これは 学会員が本を読んでいない、という わけでは決してない。

私が関西のある大学に頼まれて講 演をしに行ったときのことだ。講演を終え、懇親会がお開きになりか かったとき、若い研究者が教授たちの目をはばかるようにやって来ての本を差し出しながら「サインを してくださいますか」と言ってきた。ある官庁の研究者からは「今は発言できないが、定年になったら、私にも言いたいことがいっぱいあります 支援しますからね」と言われた。

私は『公認「地震予知」を疑う』 が出版されたときには、それまで教授として勤めていた北海道大学理学部を出て、国立極地研究所の所長になっていた。一大学の教授ならともかく、国立研究所の所長としては許されない発言だったのであろう。2006年、北海道大学から冤罪で 起訴され、拘置所で半年を失った。

いわれのない逮捕・拘留であった北海道大学の起訴は、最初は公金横領だったが、公判を維持できないと悟ったのか、のちに詐欺罪で起訴された。ところが、被害者とされたノルウェーのベルゲン大学側は「詐欺に遭ったとは思わない」と証言した のである。


いたずらな予想は被害を拡大させかねない

私が『公認「地震予知」を疑う』 を書いた後も、政府が危険度を計算している活断層調査や、発表されている地震危険度をあざ笑うように、危険とされていないところにばかり 地震が起きている。

2000年の鳥取県西部地震、2004年の新潟県中越地震、2005年の福岡県西方 沖地震と首都圏直下地震、2007 年の能登半島地震、新潟県中越沖地震、2008年の岩手宮城内陸地震、 2011年の東日本大震災、どれもそうだった。

御用学者は政府が進めようとして いる原子力発電所の推進に都合がいい。たとえば原発を作るときに「内陸ではマグニチュード(M) 6 - 5 を超える地震は起きない」という説 を前提にしているのは、明らかに地震学者が関与していた。しかし、その後はそれよりもずっと大きな地震が起きている。

また、原発を作る設計指針で「将来起こりうる最強の地震」とか「お よそ現実的ではないと考えられる地震」と想定していた揺れ(加速度) にも、地震学者の関与がある。実際 には、その後はそれをはるかに超える揺れが記録されたのだった。 普段、モノ言わぬ御用学者は、政 府が言ってほしいことだけは口にするのだ。


はたして地震の予知は 可能なのか?


古典力学のバックグラウンドを持つ人間にとっての「予知」とは、ある瞬間の物体の状態を知ることで、 それから後の任意の時刻でのその物 体の位置や速度を一義的に決めることができるもののはずだ。

となれば、地震が起きるかが物理学的にきちんと分かっていることが、学問としての地震予知の基礎だろう。それができな ければ、地震予知は科学にはなりえない。そして、地震には前兆現象が出るものだとすれば、それがいつ出 るのか、なぜ出るのか、どのように出るのかが、きちんと分かっていな ければならない。

では、これらの要件が成り立って いるかどうか、見てみよう。

①「震源」で何が起きるかが物理学的に分かっている。➡×
これはつまり、「準備」から本震までの過程が、逐一、分かっているということだが、残念ながらノーで ある。定量的で検証可能なモデルは ない。

②本震の前にどういう前兆が、いつ、 なぜ、どのように出るか分かっている。➡×

③前兆が他の自然•人工現象と区別 して確実に認識できる。➡×
日本のような人口密集地では人間活動に起因した雑音が極めて多く、たとえ前兆があったとしても、それを雑音と区別することが難しい。しかも、地震予知の研究の困難は地震の例数が少なすぎるということにある。

統計的に十分有意な結果を得るためには数百例くらいはないと、有意な数字とは言えない。地震はそれぞれ起き方もメカニズムも違うか ら、阪神淡路大震災を起こした地震 と北海道の地震を同じ統計として扱うわけにはいかない。

④地下の「震源」で起きている過程 を時々刻々、観測によって監視できる。➡×
たとえば、地下で歪みがどこにどのくらい溜まっていっているのかというデータは、現在の観測ではとうてい得ることはできない。地震予知 が科学を自称するためには、地下 の「震源」で起きている過程を時々刻々、観測データの変化として監視 できるということが、まず観測の基 礎になるが、これはほとんどできて いないのだ。

1999年に世界でもっとも権威がある英国の科学雑誌「ネイチャー」 が、「地震予知は可能か」ということについて公開討論会を実施した。 しかし不可解なことに、世界でもっとも多くの研究予算を使っている、突出した「予知大国」日本からは、誰も参加しなかった。日本は説明責任を放棄して「敵前逃亡」した のである。

「ネイチャー」誌の結論は、「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能であり、本気で科学として研究するには値しない」というものだった。

(続く)


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