赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

第三者委員会は必要か コラム(172)

2016-06-15 00:00:00 | 政治見解




コラム(172):第三者委員会は必要か

社会的な大問題を起した企業、組織、あるいは個人が、「第三者委員会の公正な目で検証を依頼する」ことをよく見かけます。

しかし、いまだかつて第三者委員会と称するものの検証報告では、厳正で客観的な意見が提出されたことはありません。


第三者委員会は隠れ蓑

第三者委員会とは、「直接の利害をもたない中立的な第三者によって構成される」と定義されています。しかし、第三者委員会に対する依頼者は、社会問題を起した企業や組織自身であることと、その費用は依頼者自身が支払います。依頼された第三者はすでに利害関係者であり、第三者とは言えません。

第三者委員会に検証を依頼する側は、世間の批判をかわすため、その場しのぎに利用しています。

たとえば、慰安婦捏造問題を引き起こした朝日新聞は、世論を恐れ、7名からなる第三者委員会を設置しました。

朝日新聞はそこでの検証結果報告を受けて、「経営と編集の関係」、「報道のあり方」、「慰安婦報道」についてそれぞれの見解と取り組みを発表しました。とくに慰安婦問題については、改めて「おわび」を表明し、「多角的な報道を続け、それを海外にも発信していきます」と述べていました。

しかし朝日新聞は、実際は何も変わらず、英語版では謝罪をしないばかりか、慰安婦強制プロパガンダを発信し続けています。結局、朝日新聞は、第三者委員会を隠れ蓑にするとともに、第三者委員会の調査報告を以て、禊を済ませたかのように振る舞っています。


報酬と信用性

第三者委員会の信用性を著しく損なわせているもうひとつのパターンは、第三者委員会が依頼者を慮って、手心を加えたと言われても仕方がない報告を連発させていることです。最近の事例を見ると、餃子の王将の報告では最大の問題である反社会勢力との関係性を明らかにしませんでしたし、東芝の報告書は、不正会計、粉飾決算であったにもかかわらず、不適切会計という指摘に留めていました。

これらの事例は、第三者委員会が、中立公正のように装っていても、実態は、依頼者との阿吽の呼吸により、ストーリー通りの見解を導き出していることを意味します。とくに、重大な疑惑になるほど、問題点を矮小化し、早く決着をつけようとするケースが多く見られます。

第三者委員会への報酬は、依頼者から支払われるので、手加減があるのは当然です。つまり、第三者委員会には「第三者」という厳正で客観的な立場は存在しないのです。


ちなみに、第三者委員会報告書格付け委員会という弁護士が手弁当で立ち上げた組織があります。そこでは、第三者委員会の出す報告書を委員がそれぞれの視点で「格付け」しています。前述の東芝問題では、8人の委員のうち、「内容が著しく劣り、評価に値しない」と評価した委員が3名に上りました。依頼者からの報酬を受けていない客観的な立場で事実関係を調査すれば、当然、このような厳しい結論になるのです。


第三者委員会の設置に潔さは見られない

結局、第三者委員会を設置する企業や組織は、本音では決して客観的な検証を求めてはおらず、むしろ、自己弁護に利用する目的で依頼しているものなのです。そして、第三者委員会が出した結論を金科玉条のように振りかざして、あたかも自浄作用が働いたかのように見せかけているのです。

その姿はまことに見苦しく、日本人の美意識である「潔さ」とは対極に存在するものと言えます。潔さとは、高い道徳意識に基づいた秩序と規律を保とうとする意識の現われです。

したがって、大きな社会的問題を起した企業や組織は、自己保身や卑怯な逃げ道をつくるのではなく、自らの意思で判断し、行動していくことが最も大切なことであると考えます。



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