赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

舛添問題は何をもたらしたのか コラム(173)

2016-06-16 00:00:00 | 政治見解




コラム(173):舛添問題は何をもたらしたのか


舛添東京都知事が6月21日に辞職することになりました。週刊誌の舛添批判記事をきっかけに、報道各社が連日、舛添問題をセンセーショナルに報じたことは周知のとおりです。


マスコミのファシズム誘導

全体主義、あるいは、排外的な政治概念を表す言葉に「ファシズム」があります。ファシズムは、語源的には、ファッション(流行)や、「ある方向への強制力を秘めた導き」という意味があります。

知事問題では、報道によるファシズムとしての舛添叩きが横行していたと言えます。また、世論にはそれを楽しむ風潮があったことは否めません。

この原因は、マスコミの報道姿勢に帰着します。報道各社は都議会の委員会を競うように中継し、ことごとく解説を加え、批判を煽り立てました。国会中継すらしない民放の力の入れ具合は一体何なのでしょうか。

週刊誌記事は、人の持っている劣情を煽ることで売り上げを伸ばそうとしますが、テレビ局はそれに輪をかけて、視聴者の嫉妬、攻撃、排斥、裁きという感情を導き出そうとしていました。テレビ関係者は報道の名のもとに自分たちに内在する感情をそのまま垂れ流していたのです。

こうして出来上がった風潮は、かつてナチスのヒトラーを生んだり、大統領候補のトランプ氏を応援する狂信的な人たちを発生させたことと通じるものがあります。マスコミに誘導された世論の行き着く先はファシズムへの道となるのです。

戦前、朝日新聞が国民を戦争の道に駆り立てた手法と同一のものです。

舛添問題をワイド・ショー化させ、国民を愚民化に導こうとしている意図を見抜くことが大切です。


辞任で都議会を清浄化できなくなった

都議会各会派は大上段に構えて舛添批判を行っていましたが、彼らとて舛添氏と同様、政治資金を正当に使っているわけではありません。

地方議員の殆どは、政治資金を「第二の財布」「自分の金」と思っています。したがって、舛添氏を追及する議員たちは、それを言う資格があるかどうかを問われることになります。

知事の辞任で決着をつけたつもりになっていますが、議員や議会の浄化の機会を逃したことを見過ごしてはならないのです。

逆説的にいえば、舛添氏を衆目監視の「針のむしろ」の中で知事の職務を全うさせることで、東京オリンピックがまれにみる清潔なスポーツの祭典となる可能性もあります。全都民が厳しい監視をする中での都政で、舛添氏は間違いなく良い仕事をしなければならなくなったはずなのです。しかも、舛添氏が知事報酬を受け取らないで職務に就くことで、他の都議の不正やごまかしが無くなり、同時に日本中の地方議員が襟を正すきっかけとなったと思います。

辞任で片付けるだけでは、議員は不正がバレないようにするだけになり、風紀の乱れが正される機会は失われてしまいます。


舛添問題での派手な報道で、「これで報道各社は風前の灯であった業界の延命につながった」と評した人もいました。

しかし舛添問題は、マスコミによるファシズムへの誘導と、物事の本質を見失ったジャーナリズムの見識の低さが露呈された象徴的な事件であったと思います。


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