ちくわブログ

ちくわの夜明け

銀ブラの歴史

2007-10-09 01:36:39 | Weblog
ひさびさに3連休で、何も予定が入ってないときている。ヨシ、ちょっと近場の温泉か何かでも日帰りで行ってみるか、と思ったが今月末に自分の映画の取材旅行に行くので、やめにしときました。

そういうわけで、いろいろとその準備を進めながらも「遊びたい」欲にかられ、ちょっと近くまで用事がてら、銀座をねり歩いてみました。なんと言っても上京して10年近くたちますが、銀座をまともに歩いたことなぞ、一度もなかったのです。

さて、銀座で思いつくのが「銀ブラ」という言葉でありますが、どうやらこの言葉は近頃の若者には通じないらしく、どうも死語と化したよう。
いちおうのため説明しとくと、銀ブラとはすなわち、自慢のいちもつをモダン跋扈する銀座にて開陳し、ブラブラとやりながら闊歩するという、まったく芸術性あふれる行為で、大正末期から昭和初期にかけての銀座は、それこそモボ・モガ・陰茎の街」と形容されるほど「銀ブラ」が流行したと聞きます。
因みにモボ・モガとはモダンボーイ・モダンガールの略であります。

さてその銀ブラですが、ものの本によるとバブル以降はめっきりやる人もなくなったとかで、まさしく資本による「街」の風景の破壊が、こんなところにまで押し寄せたかと、驚くばかりです。
資本主義というものは全てのものを相対化、均一化し、無個性・フラットな状態にすることで、そこからシステマチックに人々から「金」というエネルギイを搾取してゆくのです。最近の好例としましては、秋葉原への巨大資本の介入とそれによるムーブメントが思い出されます。

話がそれましたが、わたしが数時間練り歩きつぶさに観察したかぎりでは、陰茎はおろか、ふんどし一丁の輩さえ発見することはできませんでした。なんとか、半ズボンの浮浪者がワンカップ片手に「ウワアアアアアーーーーー」と奇声を発しながら大量の鳩と戯れておるのを目撃した程度です。

「まったく、つまらない街だ」
わたしはしらけてしまい、1杯500円前後という銀座らしからぬ安値で天丼を食わせる店で野菜天丼とアイス天ぷらを食い、そそくさと銀座を後にしました。


戦後、空襲ですっかり変わり果ててしまった銀座を見て、内地に帰還したばかりのある詩人は、こんな詩を読んでいます。
「われ知る街よいづこ 薫風にそよぐ 銀の木野子よいづこ」

戦後の復興とともに、銀ブラも復活のきざしを見せますが、時代の流れによりその内容も変質していったようです。

60年代後半、70年安保へ向けて加熱する街頭デモ。銀座では「銀ブ連」と名乗る少数党派が登場し、イデオロギーと自己表現の高度な結びつきを目指しました。しかし丸出しの下半身は機動隊による武力排除にはまったく弱く、放水車による放水で、いわゆる「腹に入り」路上をのたうちまわる者が続出したとか。いっぽうで、水圧によりむけて「ひとつウエノ男になりますた」と喜んだ人もいたようです。
70年以後は、政治的要因は極めて希薄となり、バブル期には「第3次黄銀期」と呼ばれるほどのブームになりますが、バブルがはじけ、昭和の軽薄な時期が過ぎ去ると同時に、銀ブラもひとつの終焉をむかえるかたちとなります。


こうして去勢された銀ブラの魂。
だがしかし、わたし達は彼らの残した「自己表現」という蒙昧ながらも崇高な、この芸術的行為のエネルギーを忘れてはいけない。彼らの行為そのものはともかくとして、あの爆発的なエネルギーは純粋そのものなのだから・・・・


「われ知る街よいづこ 薫風にそよぐ 銀の木野子よいづこ」


(了)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« uniqlock | トップ | 満面の笑み »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事