ちくわブログ

ちくわの夜明け

二十歳の原点

2006-10-29 23:22:38 | Weblog
1969年、国鉄山陰線線路に飛び込み自殺した、高野悦子さんという二十歳の女性。
その彼女が、死に至る数日前までを綴った日記は、日記中の言葉から『二十歳の原点』と題され、1971年に出版社から発売され、当時ベストセラーとなりました。

彼女は学生運動の中に身を置き、己を高めようと研ぎ澄まし、自己と戦い、一人で生活し、そして恋もして・・・結局それらすべてのものに「敗北」したのか、追いつけなかったのか、ある日とうとう自殺してしまいました。

「自分」を希求する人間が、それを求めるあまりに、意志や現実からおいてけぼりになり、自殺に至るというのは、よくある話かもしれません。
でもこんな若い、それも女の子が、というのはちょっとやるせない気持ちになります。

これはわたしが学生運動について調べていた2,3年前、古本屋で見つけて読んだ本ですが、この本には続きがあって、それが『二十歳の原点序章』『二十歳の原点ノート』です。
それぞれ『二十歳の原点』が書かれた大学3年までを、中学校生活から綴ったもので、彼女がどんな生活や考えを経て二十歳で自らの命を絶ったか、が書かれています。
それをつい最近、とある古書セールで見つけ、購入しました。今まさに読んでるところです。


それで・・・今日で二十歳になる女の子に昨日、お仕事で会いました。別にいつもと変わらなかったんですが、「あー、今日で十代終わりなんだー」と寂しげに言っていたのを見て「そういえば俺の二十歳のころはどうだったか」などと思い返してみたりしました。


成人式の日、なぜだかは忘れましたが、実家に帰っていました。
式に参加する気なんてまったくなく、ただ偶然、家族と用事があった帰り、式の会場近くを車で走っていました。
ちょっと通り過ぎたくらいの時、携帯が鳴りました。
表示には中学時代の友人の名が出ていて「おっ!」と、なつかしさに浮かれながら「もしもし?おう、俺!」と出ました。
すると案の定というか「今、式終わってみんなで外いるんだけどさ、なんで来てないの?来なよ」と言われました。

すぐそこだし・・・と思い、車を降りて、家族を先に帰しました。
会場前につくと、そこには懐かしい顔ばかり。みんなに「久しぶり」と言ってまわる。男は一発で分かる。女の子は・・・だいたいみんな綺麗になってて、分からない。脳の中ではずっとあの頃のままの顔だから。
目の前にはいきなり女として成長した、というか・・・・化粧?ぶっちゃけ。そういう顔が並んでるから、よく分からなくなったり妙な気分になったり。

きのみ着のまま来たので、わたしはもちろん普段着。回りはスーツやら着物やら。
それを見たある友人が、「変わってないなぁ。その服も赤目らしいなぁ」と言ってきました。
「変わってない」ってのは、ある意味期待を裏切らないということで、周りにとっては嬉しいことなのかもしれない。実際、昔のままの性格の友人って、喋ってると楽しくなってきます。
でも、当の本人はそれを言われると複雑。特にあの状況下だと、「なんだか俺だけ昔のままみたい」という気持ちになってきます。

その後、それぞれグループに分かれて、みんなでご飯を食べに行く。
お決まりの携帯番号やアドレス交換、昔話、近況報告・・・・。でも、べつに親しい奴以外は、特に話すことなんてなかったりします。
漫然と気まずい空気がテーブルに流れる。昔から面白い奴は面白い。でも俺のように地味な奴はたいてい、どこのグループに入っても気まずい思いの一度や二度は、する。こういうの、学校生活まんまだなぁ。
で、面白い奴がいるテーブルが盛り上がれば、このテーブルにあきた彼、彼女らは「なになに~」とソッチのテーブルに上手に溶け込む。

俺には・・・・俺にはこれが昔っからできねぇっ!!!!!

のこされた地味な奴らは選りすぐりの「地味の特殊部隊」と化す。
われら、少数精鋭のデルタ・フォース。さしずめ俺は地味のチャック・ノリス。・・・・いや、そもそもチャック・ノリスは地味な存在だし、だとすればマイケル・パレあたりが適当か・・・・ってどうでもいいです。

さらに完全にひとり、孤立すると・・・・「ギュゥー」っと絞られるような寂しさが心に蔓延します。
「この宴で、なぜ俺は浮かれてないんだ」
で・・・いつからこんな処世術を身につけたのか、自分の中のスイッチを切って、ただぼーっとして空を眺める。そうするとあら不思議、寂しくなければ気まずくもない。ただ、時が過ぎるのを待つだけ。「今日の(下の)オカズは何にしよう」とか考えて過ごす。

やがて、笑顔の歓談も、地味の閑談も終わりをむかえ、家路につく。
次は夜、ある居酒屋を貸しきって学年全員のつどいをやる、とのことだけど、考えただけで吐き気がしたのでやめました。


あああああああ。
うううう。もう昔のことを思い出すのはやめよう。胸が苦しくなってくる。切ないとかそんなんじゃなくて、もっと苦々しいやつ。ゲロの後の酸味を帯びた胃液みたい。

いつも後悔してた。
人と一定以上仲良くなれなくて、いつも「その時」が来たら嫌われたりする。だから人とは距離をとることが正しいと思うし、自分のためにもなると思う。
でも頑張ってやりくりしてても「その時」はまたやって来て、嫌われたり嫌ったりする。
後悔や恥の塊みたいな男でした。

『ちっぽけな つまらぬ人間が たった独りでいる。』(二十歳の原点)


そんな陰鬱な青年がその後、どうなったかっていうと・・・・
たいして変わってないんですね~これが!( ´∀`)y-~~~ たのむぜ!オッサン。
ただ、ある程度の「諦め」みたいなのはついたかなー?と。いいじゃん、そんな自分と付き合っていこう、と。いや、これはこれでなかなかデカイ変化ですな。

高野悦子さんは、そういうことができなかった人なんでしょうね。世に言う、あの馬鹿みたいな人たちが喜んで使う言葉、「大人」とやらになるための諦め。
死ぬ時、どう思ったろうか。ほっとしたかな、後悔したかな。それとも、もうどうでもいいと思っていたんだろうから、何も考えてなかったのかも。

『「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。』(二十歳の原点)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする