ちくわブログ

ちくわの夜明け

文化としてのエスペラント

2005-12-11 04:41:11 | 映画 『延示』
舶来のお菓子というものはパッケージがすこぶるそそるので、ついつい買ってしまいがちですが、実際食うと甘すぎて吐き気を催すのが毎度のパターンです。

このスイス産チョコクッキーも同じ憂き目にあい、どうしようかと持て余していたのですが、本日我が部屋に来客がありましたのでここぞとばかりにお出ししました。

その方はけっこうお気に召したらしく、このクッキーをもりもりと平らげていただけました。
「甘いもの好きなんで」
そう語る本日のゲストはエスペランティストのNさん。
わー。

延示』に出てくるエスペラントの全てを訳、監修、指導された方です。
本日は最後のお仕事を片付けていただきました。
おつかれさまでした!

このエスペラントという言葉、「世界共通語」として、1887年、ポーランドの眼科医・ザメンホフが考案したもので、その昔思想家や知識人なんかが使用していた人工言語です。
音の響きはイタリア語に似ていて、言語としての機能は非常に優れている、と言われています。
ただやはりこの言語は当時、世界各地で迫害を受けたようです。民族的見地からも、危険思想としての存在といった意味でも、時の権力側にはかんばしく映らなかったようです。

言葉による差別、壁を無くそうという志の元に作られたこの言語も、希求するものの有無に関わらず「無きものにしよう」という体制側の動きが強く、ついにはなんだか歴史の影に葬り去られてしまったかたちになったみたいです。

だって、多分「エスペラント」なんて文化、こちらから知ろうとしない限り一生縁のないもので終わりそうですよね?

わたし自身は覚えるつもりもさらさら無いのですが、ただ、この「文化」がこのままひたすら忘れ去られていくというのではもったいないので、「こういう背景の下にこういう言語が作られた」という文化としての存在だけでも残しておくべきなのではないかなぁ、と思うんです。
だから『延示』では国籍を捨てたテロリスト、恵想剛久がその思想を代弁するためにこの言語を使用しています。


思想の季節と呼ばれていたその昔、多少知られていたエスペラントも、その思想の季節が終わりを告げると共に忘れ去られつつあります。これは思想とは本当は無関係な立場にいなければならないエスペラントにとっては、皮肉な運命といえるかもしれません。
コメント (3)
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