今日のニセコは、はっきりしないお天気です。
隣接するスキーセンターの駐車場では、「倶知安ジャズフェステバル」
が始まりました。
城山三郎氏の「そうか、もう君はいないのか」を読みました。
同氏は、「総会屋錦城」で直木賞を受賞後、広田弘毅首相の生涯を書
いた「落日燃ゆ」や「男子の本懐」、「毎日が日曜日」などの話題作の著
者として広く知られていますが、昨年3月79歳で逝去されました。
2000年2月、最愛の奥様を(癌で)亡くした同氏が、その後の7年間をど
のような思いで過ごしたのかを克明に記しています。
そこには、”50億の中でただ一人「おい」と呼べる妻へ”あてた愛惜の
念とともに、妻に先立たれた老作家の悲愁が赤裸々に綴られていて、
比較的年代の近い小生には、身につまされるものがありました。
自分が同じような境遇におかれることになった場合、果たして、自分は
力強く生きていけるのだろうか? そして、それはまた、家内にとっても
言えることで、我々同年代を生きる老人にはさけて通れない問題です。
城山三郎氏は、同書の中で、
2000年2月24日、杉浦(城山の姓)容子、永眠。享年68。
あっという間の別れ、という感じが強い。
癌と分かってから4ヶ月、入院してから2ヶ月と少し。
4歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思っていな
かった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女は
もういないのかと、ときに不思議な気分に襲われる。容子がいなくな
ってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。
ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君は
いないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。
と、その心境を吐露しています。同年代の方にご一読をお勧めします。
2枚目の写真は、NHKハイビジョン特集「ただ一人“おい”と呼べる君へ
~城山三郎 亡き妻への遺稿~」からお借りしました。